大阪市生江 城北公園
城北公園の花菖蒲園では鴨が気持ちよさそうに泳いでいました。

鴨という名前を持つ神様がいます。
鴨建角身命(かもたけつぬのみこと)といい、京都の下鴨神社に祭られている神様です。
↓ 下鴨神社
鴨建角身命は賀茂氏の始祖とされています。
初代神武天皇は日向に住んでいましたが、あまりに国の端であるということで東征し、機内入りをめざしました。
そして河内国へ上陸し、地元の豪族・ナガスネヒコの軍と戦いますが、敗れます。
そこで神武天皇はいったん南に迂回して紀州から上陸することにしました。
神武は熊野を北上しますが、この際、鴨建角身命が八咫烏となって現れ、神武天皇を道案内しました。
咫は大きさを示す単位で、八は一般には大きな数字を表すと考えられています。
八咫烏とは大きな烏という意味だとされています。
しかし梅原武さんは「八は復活する数字」だとし、「八角墳は死者の復活を願って作った古墳、八角堂は死者の復活を祈って作ったお堂のことではないか」とおっしゃっています。
そういえば、八咫鏡は天岩戸にこもった天照大神を復活させた鏡のことですね。
神武天皇を道案内したのは八咫烏ですが、神武の先祖にあたるニニギという神が高天原から葦原中国へ天下る際、猿田彦という神が道案内しています。
猿田彦は天狗の姿をしています。
そしてニニギを道案内した神なので、祭りの行列では先導役とされることが多いです。
↓ 下の写真は大阪市平野区杭全神社の平野夏祭の猿田彦神です。
猿田彦は「高天原から葦原中国までを照らす神」だと記述があります。
これにぴったりな神名を持つ神がいます。
天照国照彦火明櫛玉饒速日命です。
天は高天原、国は葦原中國のことなので、「天照国照彦」とはまさしく「高天原から葦原中国までを照らす神」という意味になります。
天照国照彦火明櫛玉饒速日命という神名は先代旧事本紀の記述で、古事記や日本書紀では単に饒速日命(ニギハヤヒ)となっています。
この天照国照彦火明櫛玉饒速日命は男神で、本当の天照大神ではないかという説があります。
天岩戸にこもった天照大神はアメノウズメのストリップダンスに興味をもって天岩戸から出てきますが、女神のストリップダンスに興味を持つのは男神だ、というのです。
さらに天照国照彦火明櫛玉饒速日命は物部氏の祖神とされているので、初代神武以前に物部王朝があったとする説もあります。
猿田彦と八咫烏はどちらも天孫の道案内をしているところから、同一神ではないかと私は考えます。
八咫烏は中国や朝鮮では太陽の中に描かれることが多いです。
つまり、八咫烏とは復活した太陽神・ニギハヤヒなのではないかと思います。
神武以前に物部王朝があったとすれば、神武が初代天皇となったとき、物部王朝の王族は神武に服従するか、殺されるか、または未開の地へ逃げるなどしたことでしょう。
その物部王朝の祖神であるニギハヤヒ=猿田彦=八咫烏は神武に祟りこそすれ、神武の道案内などするはずがない、と思われるかもしれません。
しかしウィキペディアの
祟り神の項目には次のように記されています。
「祟り神(たたりがみ)は、荒御霊であり畏怖され忌避されるものであるが、手厚く祀りあげることで強力な守護神となると信仰される神々である。」
つまり、猿田彦や八咫烏とはニギハヤヒという祟り神を手厚く祀り上げることで、協力な守護神に転じさせた神のことではないかと私は考えています。

それにしても鴨建角身命は鴨なのに、なぜ烏に化身したんでしょうね?
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