山口家住宅を見学したついでに堺鉄砲鍛冶屋敷へ行ってきました。
山口家住宅の記事はこちら ↓
山口家住宅(堺市) 『鯉のぼり と 鯉の滝のぼり』 
↑ 堺鉄砲鍛冶屋敷の写真に安井金毘羅宮櫛祭の行列に参加されていた女性を合成しました。
ここにこんな古風な着物を着た人が歩いていたらいいな~、と思って。
1543年、種子島に漂着した中国船に二人のポルトガル人が乗っていました。
種子島島主・種子島恵時・時尭親子はポルトガル人が持っていた火縄銃を購入し、刀鍛冶・八板金兵衛に鉄砲を作らせました。
堺の商人・橘屋又三郎は琉球貿易の途中で種子島に立ちより、鉄砲の製造方法を学んで堺に戻りました。
それ以降、堺は日本一の鉄砲生産地へと発展していきました。
写真の鉄砲鍛冶屋敷は江戸時代から続く堺の鉄砲鍛冶・井上関右衛門の居宅兼作業場兼店舗でした。
非公開ですが年に1日(11月)のみ公開されているとのことで、ぜひ見学してみたいです。
鉄砲鍛冶屋敷の近くには堺鉄砲館があり、土日祝に見学することができます。
↑ 堺鉄砲館の内部です。
鉄砲鍛冶用の炉と鞴(ふいご)、やっとこが展示されていました。
↑ 火縄銃のコレクション。
↑ 鉄砲鍛冶屋を描いたもの。
堺鉄砲館を運営されている堺火縄銃保存会の方が面白いお話をいろいろ聞かせてくださいました。
ほう~、と思ったのは、鉄砲鍛冶と堺の自転車産業にはつながりがあるということ。
鉄砲は平たい板を丸く曲げて作りますが、これを応用して自転車のパイプを作るようになったのが、堺の自転車産業の始まりなのだとか。
また鉄砲とともに日本にネジが伝わったというお話も聞かせていただきました。
さきほど、種子島の刀鍛冶・八板金兵衛が種子島島主・種子島恵時・時尭親子命じられて鉄砲を作ったという話をしました。
銃床をふさぐために雄ネジと雌ネジが必要でした。
八板金兵衛は雄ネジはつくることができましたが、雌ネジの作り方がわかりませねした。
そこで、八板金兵衛は娘・若狭をポルトガル人に嫁がせて鉄砲の作り方を教えてもらったそうで、八板家系図に次のように記されているそうです。
「若狭 1527年生まれる。1543年、フランシスコに嫁いでポルトガルに渡る。1544年ポルトガル船がやってきて金兵衛と若狭は再び会うことが出た。数日後、若狭は大病にかかって死んだと偽って葬式をおこなった。フランシスコは泣きもしなかった。」
以前、
堺祭 火縄銃隊 『鉄砲伝来』 の記事を書いた際、若狭がポルトガル人に嫁いだという話を知り、何か嘘っぽいなあ~、と思っていました。
日本では正月に餅つきをしますが、あれは夫婦和合を表していると聞いたことがあります。
杵が男で、臼は女を表しているとのことです。
鉄砲とともに日本にねじが伝わったとき、日本人は雄ネジと雌ネジを見て、やはり夫婦和合を思い浮かべたにちがいありません。
八板金兵衛がどのようにして雌ネジを作ることに成功したのかは、よくわかりませんが、ポルトガル人の男とは雄ネジ、若狭とは雌ネジを擬人化したものではないでしょうか。
↑ 堺まつりで発砲する堺火縄銃保存会のみなさん。(合成)
背景は関ヶ原古戦場です。
堺鉄砲鍛冶屋敷・・・堺市堺区北旅籠町西1丁3-22
堺鉄砲館・・・堺市堺区北旅籠町西1丁2-7※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
いつも応援ありがとうございます♪
にほんブログ村
にほんブログ村