ゴールデンウィークに立山黒部アルペンルートに行ってきました。
扇沢駅前の無料駐車場に車をとめ、コートを着込んで、いざ出発~!
扇沢駅から黒部ダム駅まで電気で関電トンネルトロリーバスでトンネル内を走ります。
トロリーバスの写真を撮ったのですが、ブレブレで大失敗~(汗~)。
こちらのサイトに写真があります。→
http://www.kurobe-dam.com/trolleybus/関電トンネルは黒部ダム建設用資材運搬用トンネルとして、1958年に開通しました。
途中、トンネル内に破砕帯と記された看板がありました。
破砕帯とは断層運動によって砕かれた岩石が帯状になっている部分のことです。
細かく砕けた岩石の隙間には大量の地下水が含まれています。
工事の途中でこの破砕帯にあたり、4℃の冷たい水が毎秒660リットルも噴き出しました。
この水を抜くためのトンネルを別に掘り薬剤とコンクリートで固めながら掘り進めました。
大変な難工事で、工事中に171人もの死者を出しました。
今なら大問題で、関電は大バッシングを受けるでしょうが、当時はそういうことはなかったのでしょうか?
↓ 黒部ダムに到着~。

この時期、ダムの放水は行われていません。
↓ 黒部湖には氷がまだ残っていました。

↓ 黒部ダム駅から黒部湖駅までは徒歩、黒部湖駅から黒部ケーブルカーで黒部平駅に向かいます。
↓ 黒部平駅から立山ロープウェイで大観峰駅へ。

大観峰駅から立山トンネルトロリーバスで室堂駅へ。
↓ 雪を切り開いて作った雪の大谷。

まるで繁華街のような人並み!
歩いている旅行者さんはほとんど中国の方です。
中国からの団体旅行で来られている方がめちゃめちゃ多いです。
団体旅行のグループはひとつ、ふたつなんてものではなくてもっともっと多いです。
日本人の旅行者はほんのわずか。
立山黒部アルペンルートが中国の方にこんなに人気があるとは思わなかった。
案内所で「みくりが池」近くに雷鳥のなわばりがあると教えていただいたので行ってみることに。
雪道を歩いて「みくりが池」に向かう人は少なく静かでした。雪の大谷の喧騒が嘘のよう。
途中、すれ違った人たちが「雷鳥がいましたよ」と教えてくれました。
雷鳥がいました!

↑ ニホンライチョウのオス。足にも羽毛が生えています。
雷鳥は冬はほとんど飛ばないそうです。
ゴールデンウィーク期間中でしたが、雷鳥はほとんど飛びませんでした。
また雷鳥としては珍しくニホンライチョウは人を怖がらないそうで、写真を撮っても逃げません。
ただ雷鳥を撮った、というだけの写真だけど。

↑ニホンライチョウのメス。
手前の草が前ボケになって雷鳥にかぶってしまった!
前ボケを消す方法ってないかなあ~?
ふと見ると、友達が雪の中に埋まって、イケメン男性にひっぱりあげられていました。(ありがとうございます!)
上に雪が積もって深い溝になってるのがわからなかったんですね。
友達を助けてくれたイケメンさんも溝に落ちたそうで、雪の上に大きな穴が二つ~。
ふたりともケガがなくてよかった~。
ライチョウは約2万年前の氷河期に日本にやってきたと考えられています。
氷河期が終わると多くのライチョウは北の地へ戻りましたが、一部は高山の寒冷地に残りました。
隔絶された日本の高山で進化したライチョウはニホンライチョウとなりました。
現在の日本にはわずか2000羽が棲息するのみとされます。
平安時代にはライチョウは「らいの鳥」と呼ばれていました。
江戸時代には『鶆(らい)』と記した文献があるようです。
「らいの鳥」とは「癩(らい)病の鳥」という意味なのではないでしょうか。
ライ病は差別的な言葉であるとして現在ではハンセン病と言われています。
http://www3.famille.ne.jp/~ochi/rai6.html↑ こちらのサイトにライチョウの換羽(衣がえ)の写真があります。
ライチョウは季節によって姿を変えます。
上記サイトを見ると月ごろのライチョウには斑点がありますが、1月2月ごろのライチョウは白いです。
説明文を読むと、春ごろより斑点模様がでてくるようです。
この斑点模様からライチョウはハンセン病患者に喩えられたのではないでしょうか。
ハンセン病には様々な症状があるようですが、顔面や手足に潰瘍ができるというケースもあるそうです。
奈良豆比古神社では、志貴皇子がハンセン病を患ったが、あるとき翁の面に病が移りもとの美しい顔になっていた、と伝えています。
奈良豆比古神社 翁舞 『道鏡の父親は志貴皇子だった?』 斑点のある姿から真っ白な美しい姿に変化するライチョウは、まるで志貴皇子のようではありませんか。
いつも応援ありがとうございます♪
にほんブログ村
にほんブログ村