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乙訓寺 牡丹 『早良親王の霊を封じる牡丹』 

京都府長岡京市 乙訓寺

乙訓寺 牡丹 

①藤原種次暗殺事件と早良親王の怨霊

784年、桓武天皇は長岡京を造営していました。
このとき長岡京造宮使の藤原種種継暗殺事件がおきます。
これに関与したとして早良親王(桓武天皇の同母弟)がここ乙訓寺に幽閉されました。

早良親王は無実を訴えてハンガーストライキを決行し、淡路へ配流となる途中の船の中で憤死したと伝わります。

早良親王の死後、桓武天皇の母親や后があいついで死亡しました。
また疫病の流行や洪水などがあり、それらは早良親王の怨霊の祟りであると考えられました。

長岡京建都からわずか10年後の794年、桓武天皇は和気清麻呂の薦めを受けて長岡京から平安京に遷都しました。
平安京遷都の理由は早良親王の怨霊が棲む長岡京から逃れるためだと言われています。

②牡丹=猪=和気清麻呂

猪肉のことを隠語で牡丹といいます。
昔は肉食が禁じられていたので、桜(馬肉)、紅葉(鹿肉)、柏(鶏肉)などのように隠語を用いたのだと言われています。

桓武天皇に平安京遷都を勧めた和気清麻呂は京都御所の西にある護王神社に祀られていますが、護王神社には狛犬ならぬ狛猪が置かれています。

護王神社 狛猪  


護王神社に狛猪が置かれているのは、和気清麻呂が称徳天皇によって流罪にされた際、たくさんの猪が現れて清麻呂を守ったという伝説に基づくものだと思われます。

乙訓寺の牡丹は昭和9年に長谷寺より寄進されたものだそうですが、
牡丹=猪=和気清麻呂と連想してしまい、まるで牡丹が早良親王の霊を封じ込めているように思えてきます。



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[2015/05/01 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)