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石光寺 牡丹 と 當麻寺 蓮華草 『中将姫は沈む太陽を擬人化したものだった?』 

この時期、二上山のふもとにある石光寺では牡丹が見頃となります。

石光寺 牡丹


石光寺から10分ほど歩くと蓮華畑の向こうに當麻寺が見えてきます。


當麻寺 蓮華草

塔百景44


當麻寺の牡丹も見事なんですが、當麻寺の牡丹の写真はまた改めてアップします。

石光寺と當麻寺にはこんな伝説が伝えられています。


奈良時代、藤原鎌足の曾孫・藤原豊成と妻・紫の前の間に娘が誕生し、中将姫と名付けられました。
紫の前は中将姫が5歳のときになくなり、豊成は照夜の前を後妻としました。
照夜の前は中将姫を嫌い、事あるごとに中将姫をいじめました。
中将姫が14歳のとき、父の豊成は諸国巡視の旅に出かけました。
継母の照夜の前は従者に中将姫の殺害を命じました。
しかし従者はかわいそうに思って中将姫を殺すことができず、雲雀山に置き去りにしました。
中将姫は雲雀山で念仏三昧の生活をおくっていましたが、1年後、遊猟にやってきた父・豊成と再会して都へ戻りました。
その後、出家して當麻寺に入りました。

26歳のとき、中将姫は蓮の茎から糸をつむぎ、石光寺の庭に井戸を掘って糸を浸したところ五色に染まりました。
中将姫はその蓮糸をつかい、一夜のうちに當麻曼茶羅を織りあげました。
29歳のとき、阿弥陀如来をはじめとする二十五菩薩が来迎して中将姫は生きながらにして西方浄土に向かいました。


中将姫には天照大神のイメージがあると思います。

天照大神が天の機屋にいたところ、スサノオが馬の逆剥ぎをなげこみ、それに驚いた織女の一人がほとをついて死んでしいまいました。

古事記には↑上記のように記されていますが、日本書記ではほとをついて死んだのは天照大神自身であるとされています。
つまり、天照大神は織女だったのです。
そして蓮糸で當麻曼荼羅を織り上げた中将姫もまた織女です。

また和歌山県の淡嶋神社の神様『淡島さん』は、天照大神の6番目の御子神であるともいわれています。
『神が子を産む』とは『神が分身を産む』ということではないかとする説があります。
すると淡島さんとは天照大神の分身だということになります。

『淡島さん』は婦人病にご利益があるとして厚く信仰されましたが、中将姫は雲雀山で自分をかくまってくれた藤村家の人々に婦人薬(中将湯)の製法を教えたという伝説があります。
中将姫も天照大神の分身だと考えられる淡島さんと同じく、婦人病にご利益のある神様だったのです。

奈良では三輪山から太陽が昇り、二上山へ沈みます。
そして當麻寺や石光寺は二上山のふもとにあります。
中将姫とは沈みゆく太陽を擬人化したものなのではないでしょうか。

※石光寺・當麻寺については下記の記事にも書きましたのでお読みいただけると嬉しいです♪

石光寺 當麻寺 寒牡丹 『二上山と西方浄土』
石光寺 百日紅(さるすべり) 『中将湯とバスクリン』

石光寺・・・奈良県葛城市染野387
當麻寺・・・奈良県葛城市當麻1263


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[2015/04/29 00:00] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)