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東大寺大仏殿 興福寺五重塔 桜 『青丹よし・・・盛りの花は桜ではなく藤だった?』 

奈良奥山ドライブウェーより大仏殿・興福寺五重塔を望む
塔百景39

上の写真は15年くらい前に奈良奥山ドライブウェイから撮影した写真です。
遠くに東大寺大仏殿と興福寺五重塔が見えています。
私はこの風景を見て、有名な歌を思い出しました。

青丹よし 奈良の都は 咲く花の におうがごとく 今さかりなり/小野老
(奈良の都は、咲く花の照り映えるが如く、今真っ盛りです)


この歌が詠まれたのは728年で、実際にはまだ大仏殿も興福寺五重塔も建てられていなかったのですが~(汗)

私は小野老の歌は次の歌に対応させたものだと思います。

藤波は 今を盛りに 咲きにけり 奈良の都を 思ほすや君/大伴四綱
(筑紫の藤の花は今花盛りです。同様に藤の花が咲き乱れている平城の都を思出しておられるのでしょうか。わが君は。)


この歌は大伴四綱が大伴旅人に贈った歌です。

藤原氏の氏神の春日大社には有名な『砂擦りの藤』があります。
藤は藤原氏の紋にもなっており、藤原氏の象徴だといえるでしょう。

春日大社 砂擦りの藤 

当時、奈良では藤原氏が権力を持ち、政治を牛耳っていました。
藤とは藤原氏を比喩的に言ったもので、大伴四綱は『藤原氏が権勢をふるっている奈良の都を思い出しているのでしょうか。わが君は。』と歌ったのだと思うのです。

728年、小野老は少弐として大宰府に着任しました。
小野老を歓迎する宴が行われ、大宰府の官人たちは小野老に都の様子を尋ねました。
それにこたえて小野老は「青丹よし 奈良の都は 咲く花の におうがごとく 今さかりなり」と詠んだのです。
このとき、大友旅人は大宰帥として大宰府にいました。
旅人も小野老の歌を聞いたにちがいありません。

小野老の歌に詠われた『花』とは一般的には桜のことだと考えられています。
しかし『青丹よし』の『青丹』とは青土色のことで、ピンク色の桜を詠うのにふさわしい言葉だとは思われません。
小野老は藤の花を詠んだのではないでしょうか。

つまり小野老は「都では藤原氏の勢力が勢いをましている。」という意味でこの歌を詠んだのではないかと思うのです。

興福寺 ライトアップ  
興福寺 夕景
塔百景40



奈良奥山ドライブウェイ・・・
http://shinwaka.com/

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[2015/04/05 14:12] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)