奈良県生駒郡斑鳩町 法起寺
2015年2月中旬撮影
塔百景37
①方二間の塔法起寺の三重塔はほかの三重塔にはない特徴があります。
ちょっと他の搭と見比べてみましょう。
法起寺 ↓
室生寺 ↓

浄瑠璃寺 ↓
西明寺↓

浅草寺 ↓
三重塔は方三間(正面から、また側面からみて、柱が4本あるため、柱間が数が3つになる。)が一般的な形です。
浄瑠璃寺や西明寺は方三間になっていますね。
しかし法起寺は初層・二層の柱間が3間、三層の柱間が2間になっているのです。
②方二間の斑鳩の塔群斑鳩の里には法起寺のほか、法輪寺や法隆寺がありますが、法輪寺の三重塔も初層・二層の柱間が3間、三層の柱間が2間になっています。
↓ 法輪寺
↓ 法隆寺の五重塔も、最上部の五層の柱間が2間になっています。
法起寺・法輪寺・法隆寺はいずれも聖徳太子に関係する寺院です。
③怨霊封じ込めの門上野法隆寺の写真をよく見てください。
法隆寺の五重塔の手前にあるのは中門ですが、これもとても珍しい形になっています。
一般的な門は奇数間で造られていますが、法隆寺の中門は偶数間で作られているので門の中央に柱があります。
梅原猛さんは「門に柱を建てれば閂であり、法隆寺は聖徳太子の怨霊封じ込めの寺である。」と説かれました。
法隆寺 夕景 『法隆寺の七不思議①』 聖徳太子は憲法十七条を制定するなど、すばらしい功績を残しましたが、彼の子孫は繁栄しませんでした。
聖徳太子の子孫は蘇我入鹿に攻められて、全員、斑鳩寺で首を括って自害したとされます。
そのため聖徳太子は怨霊として恐れられたとする説があります。
陰陽道では奇数を陽、偶数を陰としています。
そして鬼(オニ)という言葉は陰陽の陰(オン)が訛ったものだともいわれています。
斑鳩にある法隆寺・法輪寺・法起寺は聖徳太子の怨霊(鬼)が宿る陰の寺であるのかもしれませんね。
④歴史の教科書から聖徳太子の表記が消える先日、「歴史の教科書から聖徳太子の表記を、厩戸王という表記に改める」という報道がありましたね。
聖徳太子の実績とされる十七条憲法は聖徳太子よりも後の時代に成立したという説が有力ですし
官位十二階は中国や朝鮮半島の制度を取り入れたものと考えられています。
また聖徳太子という表記が用いられるようになったのは、厩戸王没後しばらくたってからだとされます。
そういう理由で聖徳太子から厩戸王という表記に変えるようですね。
厩戸王は怨霊になったと信じられ、怨霊を鎮めるために聖人化されて聖徳太子と呼ばれるようになったのだと思います。
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