奈良県吉野郡吉野町 金峯山寺蔵王堂
節分会…2月3日①金峯山寺 蔵王堂 節分会
zzzz・・・
次、左もやってね~。
きく~。
お経、まだ終わらないの?長いね~。

退屈だから参拝者を脅しちゃおう~。(本当はお加持)
let’s dance!
ラララララ~♪
うひゃーー。
まいりました・・・。
②鬼はなぜ牛の角を生やし、虎皮のパンツをはいているの?鬼たちは牛の角を生やし、黄色地に黒の模様の入ったパンツをはいています。
黄色地に黒の模様は簡略化されていますが、虎皮のパンツをあらわしているのでしょう。
上の写真は前にご紹介した石清水八幡宮の鬼ですが、こちらの鬼ははっきり虎皮のパンツだとわかりますね。
なぜ節分の鬼は牛の角を生やし、虎皮のパンツをはいているのでしょうか。
③旧暦と二十四節気現在の日本では太陽暦(新暦)を用いていますが、江戸時代までの日本では太陽太陰暦(旧暦)を用いていました。
太陽太陰暦は月をカレンダーがわりに用いた暦法で、月のない夜(朔/新月)を1日、上弦(半月)を7日または8日、満月(望月)を15日とします。
1か月の周期は29日または30日です。
すると太陽太陰暦の1年は29.5日×12か月=354日となります。
太陽暦は地球が太陽の周囲を1周するのを1年としています。
地球が太陽を1周するのに要する日数は約365日です。
太陰暦は太陽暦に比べて1年の日数が11日不足しており、3年では約1か月近くもずれることになります。
そこで太陽太陰暦では4年に1度閏月をもうけてずれを解消していました。
太陽太陰暦は月をカレンダーがわりにできるので紙が貴重品だった時代には大変便利でした。
しかし実際の季節とは最大1か月ものずれが生じるので、農作業などに不便が生じます。
そこで、太陰暦の他に1太陽年を24に分割し、立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒 とよんでいました。(二十四節気)
④節分は二十四節気の大晦日節分とは「季節の変わり目」を意味し、もともとは立春(2月4日)・立夏(5月6日)・立秋(8月8日)・立冬(11月8日)の前日のことを言う言葉でした。
本来節分は1年に4回あるのです。
特に立春は季節の変わり目であると同時に1年の変わり目であるため、重要視され、現在では立春の前日のことを節分ということが多いです。
つまり、節分とは二十四節気の大晦日なのです。
江戸時代までの日本では旧暦の正月と、二十四節気の正月と2回正月がありました。
節分は太陽暦の2月3日ごろですが、太陰暦は太陽暦よりも約1か月遅れになるので、旧暦の大晦日と二十四節気の節分はだいたい同時期でした。
⑤鬼は丑寅で1年の変わり目をあらわす。12か月を干支でいえば丑は12月、寅は1月なので丑寅は1年の変わり目を表します。
また方角を干支でいうと丑寅の方角は東北で、丑寅の方角は鬼が出入りする方角として忌まれていました。
鬼=丑寅=1年の変わり目 だといっていいでしょう。
鬼が牛の角を生やし、虎皮のパンツをはいているのは、干支の丑寅(1年の変わり目)をあらわしているのだと思います。
そして鬼=丑寅を追いやることで新年を迎えようというのが追儺式なのだと思います。
目に見えない1年の移り変わりを視覚化したものだといってもいいかもしれませんね。
