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御堂筋イルミネーション 三津寺 『安積親王を弔う寺?』 


大阪市中央区 三津寺
御堂筋イルミネーション 2017年度は1月9日で終了しました。


御堂筋イルミネーション 
イルミネーションがきらめく御堂筋をぶらぶらとウィンドウショッピングしました。

御堂筋 ハードロックカフェ2
ハードロックカフェ

御堂筋 ハードロックカフェ 




大丸
↑ 大丸

高島屋 

↑ 高島屋

三津寺 御堂筋イルミネーション

↑ 御堂筋には神社やお寺もあります。 写真は三津寺です。

①行基が創建した三津寺

三津寺は744年に聖武天皇の勅命を受けて行基が創建したお寺です。
ここからが本題です(汗~)

②長屋王の変

行基は自殺においこまれた長屋王を弔うために多くの寺を建てた人だと私は考えています。

729年、長屋王は謀反の疑いがあるとされ、厳しい取り調べを受けました。
そしてそれに耐え切れず自害してしまったのです。
長屋王が謀反を企てていたというのは事実ではなく、藤原四兄弟(藤原不比等の息子/武智麻呂、房前、宇合、麻呂)による陰謀であると考えられています。
長屋王の死後、藤原四兄弟は藤原四子政権を樹立し、妹の光明子を聖武天皇の皇后にすることに成功しています。
ところが735年から737年にかけて天然痘が流行り、藤原四兄弟は次々に天然痘をわずらって死亡しました。
藤原四兄弟の死は長屋王の祟りだと噂されました。

御堂筋 マクラーレン 
③行基は長屋王の霊を弔うためにたくさんの寺を建てた?

行基が創建した金剛輪寺の創建年は737年または741年と伝わっていますが。737年は天然痘が流行って藤原四兄弟が死亡した年です。
やはり行基が創建した東光院の創建年は735年ですが、この年、、舎人親王と新田部親王が死亡しています。
735年は天然痘が流行った年であり、舎人親王と新田部親王は長田王の取り調べを行った人物です。
舎人親王と新田部親王の死も藤原四兄弟と同じく長屋王の怨霊のしわざであると考えられたのではないでしょうか。
岩船寺も行基が創建していますが、岩船寺の創建は長屋王が自殺した729年です。
行基は長屋王を弔うためにこれらの寺を創建したのではないでしょうか。

④三津寺は安積親王を弔うための寺が亡くなった年に創建された。

三津寺が創建された744年は聖武天皇の第二皇子・安積親王が亡くなった年です。17歳という若さでした。
死因は脚気だとされています。

聖武天皇と光明皇后の間には第一皇子の基皇子がありましたが、基皇子は生まれてまもなく亡くなりました。
そのため安積親王は皇太子の有力候補でしたが、母親が県犬養広刀自で、当時権力を握っていた藤原氏ではありませんでした。
そこで藤原仲麻呂によって安積親王は毒殺されたという説もあります。

安積親王が亡くなったあと、聖武天皇と光明皇后の間に生まれた阿倍内親王(のちの孝謙天皇)が女性として初めての皇太子となっています。
藤原仲麻呂は光明皇后の甥で、光明皇后の信頼も得ていましたので、光明皇后の娘の阿倍内親王が皇太子となり、即位することは都合のいいことだと考えたのではないでしょうか。
しかし、のちに藤原仲麻呂と孝謙天皇(阿倍内親王)は仲たがいするようになり、仲麻呂は孝謙天皇の軍によって斬首されてしまうのですが。

三津寺は安積親王を弔うための寺であり。秘仏の十一面観音は安積親王のおもかげを映したものなのかもしれませんね。

あるいは安積親王が早世したのは長屋王の怨霊の仕業だと考えられ、行基は長屋王を弔うために三津寺を創建したのかも?

御堂筋イルミネーションを映す自動車 

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2017/01/21 00:00] 大阪の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)