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堀川戎神社 福娘 しころ 『えべっさんの正体』 


    大阪市北区  堀川戎神社
十日戎・・・1月9日 ~1月11日

堀川戎神社 十日戎 福娘 
天神橋筋商店街を福娘さんたちや宝船が練り歩き、お店に福笹を届けていました。 

①しころ奉納

堀川戎神社境内では関西演芸協会の方々によって「しころ(錣)」が奉納されていました。

上方芝居芸能では正月興行の芝居が終演した際、木戸口で太鼓と双盤を用いて囃しつつ、「ひょっとこ」「おたふく」の面を被った人が「大入り」の字の形になるように踊っていた、と堀川戎神社のhpに説明があります。

写真のひょっとこは手にはたきを持っていますが、このはたきで「大入り」の形をつくるということでしょうか。

「ひょっとこ」と「おたふく」が踊るということですが、私が見に行ったときには「ひょっとこ」がひとりで踊っていました。
「おたふく」役の人が急用で出られなくなったのかも?

堀川戎神社 十日戎 しころ

②榎木神社と榎本神社

参拝を終えて境内をうろうろしていると、ななななんと、「榎木稲荷神社」を発見ーーーーーー!!! 

榎木稲荷神社 

前回の記事、京都ゑびす神社 宝恵かご 舞妓さん 『耳の悪い神』  を読んでくださった人はなぜ私が「榎木稲荷神社」にテンションをあげているのかおわかりいただけると思います。

えべっさん(蛭子神)は耳が悪いので、よく聞こえるように神殿の後ろをたたいて参拝するという習慣があります。
そして奈良・春日大社にある榎本神社も耳が悪いので、柱をたたいて参拝する習慣があります。
そこで、えべっさんと榎本の神は同一神ではないかと私は考えていたのです。

榎木稲荷神社の榎木と榎本は横棒が一本あるかないかの違いしかありませんが、これは偶然なんでしょうか? 

堀川戎神社 十日戎 宝船

③地車稲荷と狸

榎木神社は地車(だんじり)の形をしているので、地車稲荷とも呼ばれていおり、次のような伝説があります。

かつて天満堀川の堀止めに側に榎があり、その根元に木の神・句句廼知神を祀る祠がありました。
榎の大の木の根元には吉兵衛という老狸が住んでいて、毎夜、決まった時間に地車囃子の真似をしていました。
1839年、その地に本殿・拝殿を造営して正式に榎木神社を創建し、堀川戎神社末社の稲生神社の分霊を合祀しました。
明治40年に堀川戎神社と合併してここに遷座しました。
願い事が叶った夜には地車囃子が聞こえるといわれています。


ふつう、稲荷神社といえば狐ですが、榎木神社は狸なんですね。
四国の稲荷神社も狸なのだそうです。
弘法大師が四国の狐を追い出して、狸を開放したなどとも言われています。

1839年に榎木神社に堀川戎神社末社の稲生神社の分霊が合祀されたり、明治40年に榎木神社と堀川戎神社が合併されたりしていますが、これは戎神と榎木の神=吉兵衛が同一神だという認識を人々が持っていたためではないでしょうか。

堀川戎神社 十日戎 福娘2

④榎本の神は物部守屋?


春日大社にある榎本神社の御祭神は猿田彦神です。
日本書紀には猿田彦は『高天原から葦原中国までを照らす神』だと記されていますが、これにぴったりな神名を持つ神がいます。。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)=ニギハヤヒです。
猿田彦神とニギハヤヒは同一神なのだと思います。

ニギハヤヒは物部王朝の祖神ですが、物部守屋は蘇我氏との戦いの際、榎の上にいたところを矢で射られて死んでいます。
榎本神社とはこの物部守屋のことではないかと私は考えています。

堀川戎神社 十日戎 福娘3

⑤榎木の下に住む吉兵衛狸は物部守屋?

同様に榎木の大木の根本に住む狸の吉兵衛もまた物部守屋のことなのではないでしょうか。

大阪は物部守屋ゆかりの地で聖徳太子が建てた四天王寺は物部守屋の土地を没収して建てられたものです。



毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2017/01/10 00:00] 大阪の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)