今宮戎神社・・・大阪市浪速区恵美須西1丁目6-10
十日戎・・・http://www.imamiya-ebisu.jp/h27hoekago
宝恵駕行列
①京都八坂神社の氏子、北向蛭子社を今宮に勧請平安時代ごろから京都の八坂神社境内には北向蛭子社がありました。
そして今宮に移り住んだ八坂神社の氏子が今宮の地に蛭子社をお祀りしたのが今宮戎神社の始まりなのだそうです。
文楽人形も宝恵駕に乗っていました。 ②蛭子命と事代主命今宮戎神社の御祭神は事代主命です。
『えべっさん』の総本社である兵庫県の西宮神社の御祭神は蛭子命です。
えべっさんには事代主命を御祭神としているところと、蛭子命を御祭神にしているところがあります。
③入水した事代主命と海に流された蛭子命事代主命は天照大神が派遣したタケミカヅチに、『国を譲るように』と迫られ、『承知した』といって入水自殺した神様です。
一方、蛭子はイザナギ・イザナミの御子でしたが、3歳になっても脚のたたない身体障害児でした。
そのため、イザナギ・イザナミは蛭子を葦船に乗せて海に流してしまうのです。
ひどい両親ですね!
西宮神社の社伝によれば、葦船に乗せて流された蛭児命は西宮に漂着し、『夷三郎殿』と称されて海の神として祀られたそうです。
④蛭子命と事代主命はどちらも海で死んだ神水死体のことを『えびす』という地方があるそうです。
そして猟の網に水死体がかかると大漁になる、などといわれています。
たった3歳で、しかも身体障害児だった蛭子が海に流され、生きて漂着したとはちょっと考えられません。
蛭子は死に、水死体となって西宮に漂着したのでしょう。
事代主命は海を踏み傾けて入水しており、やはり海で死んだ神です。
蛭子と事代主命は同一神であるという認識が古の人々の中にあったため、事代主命と蛭子はどちらも『えべっさん』として信仰されているのだと思います。
⑤蛭子は日子だった?『蛭子(ひるこ)』は、もともとは『日子』であったのが語呂合わせで『蛭子』にされたのではないかという説もあります。
「『日子』とは太陽神のことです。
太陽神であった『日子』は海に流されて『海の神』となったわけです。
大阪木津市場 献鯛神事⑥蛭子、語呂合わせで商売繁盛の神になる。さらに蛭子は脚が悪いことから『お足がでない』ということで商売繁盛の神にもなりました。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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