京都市左京区 下鴨神社
蹴鞠始め 1月4日
①下鴨神社と大神神社に伝わる同じ伝説『山城国風土記』の賀茂神社縁起に 次のように記されています。
伝説1ある日川から丹塗りの矢が流れてきました。
玉依姫がこれを持ち帰り、枕元に置いて寝るとやがて妊娠し、別雷命が生まれました。別雷命は上賀茂神社に、玉依姫の父親の賀茂建角身命と玉依姫は下鴨神社に祀られています。
これと全く同じ伝説が奈良の大神神社にも伝わっています。
伝説2
大神神社の御祭神のる大物主命は丹塗りの矢に姿を変え、用を足しに川へやってきたセヤダタラヒメのほとを突きました。
セヤダタラヒメが矢を持ち帰ると大物主は元の姿に戻り、二人は結ばれ、ヒメタタライスズヒメ(イスケヨリヒメ)が生まれました。
ヒメタタライスズヒメは後に神武天皇の后となりました。
大神神社 拝殿②松尾大社は上賀茂神社の父神様だった?京都の松尾大社では9月の初めに八朔相撲が行われています。
この八朔相撲は、松尾大社の御祭神・大山咋神が、子息である上賀茂神社の別雷命に見せるために始めたと言われています。
また上賀茂神社では重陽の節句の9月9日に『からす相撲』が行われていて、これは別雷命が松尾の親神様にみせるためであると言われています。
つまり、松尾大社のの御祭神・大山咋神は上賀茂神社の御祭神・別雷命の父神様だということですね。
③大物主命は秦氏だった?記紀に次のような話が記されています。
崇神天皇代、疫病が流行したとき天皇の夢に大物主神が現れて
『疫病の流行は自分の仕業である。私の子である大田田根子を神官とすれば、疫病は収まるだろう。』
と告げました。
早速、大田田根子を探したところ、八尾付近で見つかりました。
また大物主神と活玉依姫との間に生まれた者であることも判明しました。
そこで大田田根子を大神神社の神官としたところ、疫病は収まりました。
大田田根子は多氏の人物ではないか、とする説があります。
多氏の出自はよくわかっていませんが、渡来人の秦氏と関係が深いと考えられています。
そして松尾大社は秦氏の氏神とされています。
とすれば、大田田根子の父親の大物主神は秦氏なのでしょうか?
④大物主神は物部氏だった?でも私は大物主とは物部氏の神だと思います。
物部氏の祖神のニギハヤヒは先代旧事本紀では天照国照彦火明
櫛玉饒速日命と記されています。
そして大神神社の御祭神・大物主の正式名称は倭大物主
櫛甕
魂命といいます。
櫛・玉(魂)が同じなので、ニギハヤヒと大物主は同一神ではないかという説があるためです。
⑤神殿がないのは物部氏の祭祀スタイル?また大物主を祀る大神神社は神殿がなく拝殿より直接三輪山を拝む祭祀スタイルですが、ニギハヤヒを祀る磐船神社も大神神社と同様、神殿がなく拝殿より直接御神体である巨岩を拝みます。
磐船神社 拝殿と御神体『天の磐船』
また肩野物部氏の本拠地であった交野ケ原(大阪府枚方市・交野市あたり)にある片埜神社の境外社・瘡(くさがみ)神社も神殿がなく、拝殿よりその奥にある沼を拝みます。
片埜神社の境外社・瘡(くさがみ)神社神殿がないのは物部氏の祭祀スタイルなのではないでしょうか。
⑥玉依姫は秦氏だった?そして伝説①では玉依姫、伝説③では活玉依姫と似たような名前の女性が登場しています。
神は複数の神名を持つケースがありますが、伝説①の玉依姫と伝説③の活玉依姫は同一神ではないでしょうか。
玉依姫=活玉依姫また伝説①と伝説②は全く同じ話なので、伝説①の玉依姫と伝説②のセヤダタラヒメも同一神だと思います。
玉依姫=セヤダタラヒメだとすれば玉依姫と活玉依姫とセヤダタラヒメは同一神ということになります。
玉依姫=活玉依姫=セヤダタラヒメ私は玉依姫とは秦氏の女性なのではないかと思います。
そうであれば大物主と玉依姫の間にできた子供が秦氏の多氏である理由がわかります。
秦氏は物部氏と姻戚関係になることによって、物部氏の神を奪ってしまったのかも?
秦氏には紀氏の祖神を奪ったと思われるフシもあるんですよね~。
亀岡祭 鍬山神社 『仲が悪い鍬山宮と八幡宮』
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
いつも応援ありがとうございます♪
にほんブログ村
にほんブログ村