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春日大社 春日若宮おん祭 『榎本明神の正体』 

12月15日~17日、春日若宮おん祭が行われます。
17日はお渡り式です。
お渡り式は3度くらい見に行ったことがあるんですが、3度とも雨や雪で中止になってしまいました~。(ホントです。)


 春日若宮おん祭 大和士宵宮詣 
↑ 写真は16日の大和士宵宮詣(やまとさむらいよいみやもうで)です。

春日若宮おん祭 田楽座宵宮詣

↑ こちらは16日の・田楽座宵宮詣です。

私は春日若宮様とは志貴皇子のことだと考えていますが、これについては 中秋の名月と采女祭 采女神社 『猿沢池の采女伝説のモデルとは?』
でお話しましたので、今回は春日大社の摂社・榎本神社についてお話したいと思います。

榎本神社


榎本神社には次のような伝説があります。

武甕槌命は春日野の地主である榎本の神に『この土地を地尺だけ譲ってほしい』と言いました。
榎本の神は『三尺くらいなら』と承諾しました。
ところが武甕槌命は広大な土地に囲いをしたので、榎本の神は『話が違う』と抗議しました。
武甕槌命は『私は地下三尺と言ったのに、あなたが聞き取れなかったのです。』といっいました。
しかし榎本の神が住むところがないと困るので、春日大社本殿のすぐそばに社を作りました。


榎本の神は耳が遠いとされ、そのため柱を叩き、祠を回って参拝する習慣がありますが、それはこの伝説からくるものでしょう。

榎本神社の御祭神は猿田彦です。
記紀によれば、猿田彦は「高天原から葦原中国までを照らす神」だと記されていますが、これにぴったりな神名を持つ神がいます。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)です。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊というのは先代旧事本紀の記述で、記紀では単に、ニギハヤヒとなっています。
ニギハヤヒは物部王朝の祖神で、初代天皇の神武が日向から東征して畿内入りする以前に天下っていたとされます。
ここから神武以前に物部王朝があったとする説もあります。

つまり猿田彦とニギハヤヒは同一神だと考えられます。
ということは榎本の神は物部氏の神なのではないでしょうか?

飛鳥時代、物部守屋という人物がいました。
587年、排仏派の物部守屋は崇仏派の蘇我馬子や聖徳太子と戦い、榎の枝で指揮をとっていたところ、迹見赤檮に矢で射落とされて死亡しました。

榎本の『本』を漢和辞典でひくと『下の意を表す。』とあります。
榎本明神とは榎の木の上で指揮をとっていたところを矢で射落とされた物部守屋のことではないでしょうか。



春日大社・・・奈良県奈良市春日野町160
春日若宮おん祭・・・12月15日~17日 http://www.kasugataisha.or.jp/onmatsuri/1215_18.html




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[2014/12/13 21:18] 奈良の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)