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聖林寺 紅葉 『賽の河原伝説のルーツは鎌足の子・定慧だった?』 

奈良県桜井市 聖林寺・談山神社
撮影 聖林寺・・・2010年11月27日 談山神社・・・10年以上前(フィルム)
  
聖林寺 紅葉 
聖林寺

●聖林寺

前回、談山神社についてお話しましたが、談山神社から近鉄桜井駅方面に向かって山をおりていくと途中に聖林寺があります。

聖林寺は国宝に指定されている天平時代の十一面観音があることで有名です。
この十一面観音はもともとは大神神社の神宮寺・大御輪寺にあったのですが、幕末ごろ、神仏分離令によって聖林寺に移されたのです。
とても美しい観音さまです。

画像はこちら ↓
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Eleven-faced_Kannon_Shorinji.JPG?uselang=ja 

●幽霊が建てた寺

今日はこの十一面観音の話ではなく、聖林寺のご本尊・地蔵菩薩像についてのお話です。

聖林寺の本堂に入ると、目の前に巨大な石の地蔵菩薩像の姿が飛び込んできます。
この地蔵菩薩像が聖林寺のご本尊です。

画像はこちら ↓
http://www.shorinji-temple.jp/about/about03.html

聖林寺は妙楽寺(現在の談山神社)の別院で、712年に中臣鎌足の長子・定慧が創建したと伝わっています。

前回、定慧の生没年は643年~666年であるとお話しました。
談山神社の十三重塔と同じく、聖林寺も定慧の幽霊によって創建された寺だということになります。

●他にもある定慧の幽霊が創建した寺

『六地蔵めぐり』で有名な京都の大善寺も定慧によって創建されたと伝わっています。
創建年は705年でやはり、定慧の幽霊が創建したお寺です。

大善寺  

大善寺

なぜ定慧は死後に多くの寺を創建したとされているのでしょうか。

●賽の河原伝説


こんな話を聞いたことがあります。

親より先になくなった子供が親の供養のために賽の河原で石を積んで塔を作っていると、鬼がやってきて石積みの塔を壊してしまいますが、お地蔵様が救ってくださいます。

鬼来迎 子供の亡者を救う地蔵菩薩
 
千葉県山武郡 広済寺 鬼来迎 地蔵菩薩が子供の亡者を鬼から救う場面


定慧の生没年は643年~666年、定慧の父親の鎌足の生没年は614年~669年でしたね。
定慧は父親の鎌足よりも先に亡くなった子供だったのです。

古の人々は「定慧は賽の河原で父・鎌足のために供養塔をつくった」と考えたのではないでしょうか。
供養塔は鬼に壊されかけたけれど、地蔵菩薩が救ってくれたおかげで無事完成した。
それが談山神社の十三重塔だと。

賽の河原で子供が作る塔は石の塔ですが、談山神社の十三重塔は木造です。
しかし十三重塔は石で作ったものが多いです。聖林寺にも石の十三重塔がありました。

談山神社 紅葉5


そして定慧が創建したと伝わる聖林寺や大善寺では地蔵菩薩を御本尊としています。

賽の河原伝説のルーツはもしかしたら定慧なのかもしれませんね。





毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/11/20 12:23] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)