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神護寺 紅葉 『和気清麻呂と猪の関係』 

 
京都市右京区 神護寺
2010年11月13日 撮影 


神護寺 本坊
本坊


●和気氏の私寺

神護寺は824年に神願寺と高雄山寺が合併してできました。
神願寺・高雄山寺はいずれも和気氏の私寺であったと考えられています。

神護寺 金堂 
金堂


●和気清麻呂廟と護王神社

境内には和気清麻呂の廟があります。かつては護王善神堂と呼ばれていたようです。

769年、宇佐八幡宮で「道鏡を天皇にすべし」との神託がおりた際、称徳天皇はこれを確認するために和気清麻呂を宇佐に派遣しました。
都に戻った清麻呂は「天つ日嗣は、必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし」という神託を奏上しました。
道鏡を天皇にしたいと考えていた称徳天皇はこの奏上を聞いてかんかんになって怒り、清麻呂と姉の広虫を流罪としました。
しかし翌770年、称徳天皇は急病を患って崩御され光仁天皇が即位しました。
また清麻呂と広虫は許されて京へ戻りました。

1851年、孝明天皇は宇佐八幡宮神託事件における和気清麻呂の功績を讃え、和気清麻呂に護王大明神の神号と正一位の神階を授けています。
1874年、護王善神堂を護王神社と改称し、1886年、明治天皇の勅命により京都御所の東に遷宮されました。

護王神社については以前の記事・護王神社 亥子祭 『天子さまは二人いた。』 にも書きましたので参考にしてください。

神護寺 和気清麻呂廟 
和気清麻呂廟


護王神社 狛猪  

護王神社 狛猪


●和気清麻呂と猪の関係は?


護王神社にはの境内のいたるところに猪の像が置かれており、いのしし神社とも呼ばれています。

猪の像がたくさん置かれているのは和気清麻呂が流刑となって大隅国へ向かうとき、300頭もの猪が現れて清麻呂を守ったという伝説にちなむものでしょう。

しかし当然のことですが、これは史実だとは考えられません。
なぜこのような伝説が作られたのでしょうか?
和気清麻呂と猪には何か関係があるのでしょうか?

●和気清麻呂廟は都から見て戌の方角


まず、護王神社の前身である和気清麻呂の廟が、都からみて亥(い/猪)の方角にあることと関係があるのではないか、と考えてみました。
(現在の護王神社は京都御所の東にあります。)



地図の東に京都御所がありますが、平安時代の京都御所は現在よりも1.7kmほど西にありました。
北野白梅町の文字より1本東側の道(千本通り)沿いあたりです。

干支 方角 

うーん、亥の方角というより戌ですかね?

●猪は摩利支天の神使

次に私は、摩利支天の神使が猪とされていることと関係があるのではないかと考えてみました。
摩利支天は陽炎を神格化したものとされます。

陽炎について、ウィキペディアは次のように記しています。

局所的に密度の異なる
大気大気が混ざり合うことで光が屈折し、起こる現象。よく晴れて日が強く、かつ風があまり強くない日に、道路のアスファルト上、自動車の屋根部分の上などに立ち昇る、もやもやとしたゆらめきのこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E7%82%8E_(%E6%B0%97%E8%B1%A1%E7%8F%BE%E8%B1%A1)#.E6.96.87.E5.8C.96 より引用

ですが、摩利支天という名前は梵語のMarīcīからきており、Marīcīは太陽や月の光線という意味です
また摩利支天は日天(インドの太陽を神格化した神)の眷属(従者の神)なので、
太陽そのものではなく、太陽の光の神と考えていいのかな、と思います。
神護寺 鐘楼 

鐘楼


●和気清麻呂は日天の眷属(従者)の摩利支天?

すると、こんな風にも考えられると思います。
天皇を日天に喩え、天皇に献身的に仕えた和気清麻呂は日天の眷属(従者)摩利支天に喩えられたのではないかと。

和気清麻呂は宇佐八幡宮神託事件では流罪となってまで皇統を守った人物ですから、日天の眷属(従者)にふさわしいといえるのではないでしょうか。

(私は道鏡は天皇の血をひく人物だったと考えていますが 詳しくはこちらをお読みください →
 奈良豆比古神社 翁舞 『道鏡の父親は志貴皇子だった?』  

●和気清麻呂、配流のルートと太陽の動き

また、こんな風に考えたりもします。
伝説では和気清麻呂がは都(奈良)から大隅国(鹿児島県)に流される際に300頭もの猪が現れたということでした。
これは都から大隅国に至るルートが太陽の動きに喩えられ、太陽の光=猪なので、猪が現れたと表現したのではないかと。

もう少し詳しく説明しますね。

太陽の南中高度の変化2 

上の図のように、夏至(6月21日ごろ)の太陽は東北東よりのぼり、西北西に沈みます。



動画、お借りしました。 動画主さん、ありがとうございます。

魚眼レンズをつけたカメラを真上に向けて撮影したというイメージですね。

夏至の太陽は東北東から昇り、大きな孤を描いて南西に進みますが、弧を描くように進むので、途中で進行方向が西北に変わる様子がとてもわかりやすく作られています。

冬至の太陽(12月22日ごろ)は東南東から昇り、夏至の太陽よりも小さな弧を描きますが、やはり南西に進み、途中で進行方向を西北に変えて南南西に沈みます。

いずれにせよ、昇った太陽は南西に進み、途中で進行方向を西北に変えて沈んでいくわけです。

※通常の地図と違って向かって左が東、向かって右が西になっているので注意してください。




和気清麻呂の配流のルートは出発点の奈良(大阪の南東あたり)から、大隅国(現在の鹿児島)です。
和気清麻呂は南西に向かったわけですね。
これは太陽と同じ方角に進んだことになると思うのですが、どうでしょう?

神護寺 五大堂 毘沙門堂 

手前 五大堂、奥 毘沙門堂




毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/11/07 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)