生石神社(おうしこじんじゃ)・・・兵庫県高砂市阿弥陀町生石171
友人が工場夜景を見に行こうと誘ってくれたので、行ってみたら、
そこはなんと生石神社でした。以前から一度行ってきたいと思っていたのです♪
しかし、駐車場には『午後5時に施錠します』と書いてあります。
すでに午後5時をまわっているし、「だめじゃーん、他の駐車場探さないと~」と友人と話していると
神社の方が来られて「駐車場あけときますから」と言ってくださいました。
ありがとうございます~!
拝殿・本殿の向こう側には巨大な岩が!
ご神体の石の宝殿です。すごいね!

池の上に浮いてるように見えますよ。
これ以上後ろに下がれないので、写真はこれが限界。
広角レンズがほしい~。


後部はこんな感じになっています。
石の宝殿から山上公園にむかう階段が続いています。(写真はないけど、岩を掘って階段にしてありました。)

こんな感じで工場がみえます。夜景というより夕景だけどw

山上公園からおりる階段から撮影した石の宝殿と割拝殿 ↓

社伝によれば、崇神天皇代、疫病が流行したとき、石の宝殿に鎮まる二神が崇神天皇の夢に表れ、「吾らを祀れば天下は泰平になる」と告げたといいます。
同様の話は日本書記にあり、そちらの話では疫病を流行らせているのは大神神社の大物主で、自分の子であるオオタタネコを神官にすれば疫病は収まる、と告げたとあります。
ほか、いろいろな文献に記述があるようですね。
播磨国風土記 | 原の南に作り石がある。 家のような形をし、長さ二丈、広さ一丈五尺、高さも同様で、名前を大石と言う。 伝承では、聖徳太子の時代に物部守屋が作った石という。 |
万葉集 | 巻三、生石村主真人の歌にある志都乃石室は、生石神社の石の宝殿をさすか? 「大汝(おおなむち) 少彦名の いましけむ 志都の石屋は 幾代経にけむ」 |
播州石宝殿略縁起 | 神代の昔、大穴牟遅と少毘古那が国土経営のため出雲からこの地に至り、石の宮殿を造営しようとして一夜のうちに二丈六尺の石の宝殿を作った。 しかし当地の阿賀の神の反乱を受け、それを鎮圧する間に夜が明けてしまい、宮殿は横倒しのまま起こすことができなかった。二神は、未完成の宮殿に鎮まり国土を守ることを誓った |
峯相記 | 天人が石で社を作ろうとしたが、夜明けまでに押し起こすことができずに帰っていった |

幅6.4m、高さ5.7m、奥行き7.2m。重さは推定500トンを越える。竜山石として知られる凝灰岩の岩山の中腹を削って作られており、三方を加工前の岩盤に囲まれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E3%81%AE%E5%AE%9D%E6%AE%BF#生石神社の石宝殿
より引用
https://石の宝殿研究会.com/clean-up/
上のサイトをみると、池の下には蛙の置物のようなものがあるようです。水の上からでも見えるようですが、夕方で暗かったので気が付きませんでした。
割拝殿 ↓

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