
8月7日は立秋でした。
テレビでアナウンサーが「こんなに暑くて秋の気配なんて感じられませんが」と毎年のように言います。
でも昔もこんな暑い中で立秋を迎えていたのではないかと思います。
二十四節気とは1年を24分割して分割点を含む日に季節を表す名称をつけたものです。
なぜ二十四節気が用いられていたのでしょうか。
江戸時代まで日本では太陽太陰暦(旧暦)を用いていました。
月の周期は約29.5日なので、 1年=29.5日×12ヶ月=354日となります。
ところが、地球が太陽の回りを一周するのに要するのは365日なので、太陽太陰暦は実際の季節とは1年で約11日もずれてしまいます。
そのため、4年に一度閏月を設けて修正する必要がありました。
太陽太陰暦では月齢がそのまま何日であるかを示します。
これは月がカレンダーがわりになるということで、紙が貴重品だった時代には大変便利でした。
けれど太陽の運行によって生じる季節とは、最大で一ヶ月もずれてしまい、農作業などに不便が生じます。
そこで1太陽年(太陽が黄道上の分点(春分・秋分 )と至点(夏至・冬至)から出て再び各点に戻ってくるまでの周期。約365.2424日)を24に分割した二十四節気を太陽太陰暦と併用していたのです。
つまり、古も今も立秋は新暦(太陽暦)の8月7日ごろだったのです。
旧暦では約1か月遅れの7月ごろでした。
また、旧暦では1月、2月、3月を春、4月、5月、6月を夏、7月、8月、9月を秋、10月、11月、12月を冬としていました。
ざっくりと新暦換算すると約1か月遅れの2月、3月、4月が春、5月、6月、7月が夏、8月、9月、10月が秋、11月、12月1月が冬となります。
つまり、我々の先祖はもっとも暑いさなかに秋を迎えていたのですね。
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