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小松寺(しょうしょうじ) 桜 『空海が降らせた星の正体はこぐま座流星群だった?』 



大阪府交野市 小松寺

小松寺 
①廃小松寺


星田妙見宮 妙見河原 桜 『かつて織女石は北極星だった』 
↑ こちらの記事で、妙見山にある星田妙見宮と妙見山のふもと、妙見河原についてご紹介しました。
この妙見河原のそばに小松寺というお寺があります。

1703年まで、この付近(現在のゴルフクラブ四条畷あたり)に小松寺という、現在の小松寺とは別のお寺がありました。
かつてあった小松寺のほうは、廃寺となったようです。

廃小松寺は、845年に創建されたお寺で、真言宗東寺派のお寺であったといいます。

江戸時代の『続群書類従』にある「小松寺縁起」にはこんなことが記されているそうです。

小松寺は奈良時代の大地震で山崩れし、堂が谷底に転落して、星田郷の美しい青石で刻んだ石仏が地中に埋もれてしまいました。た。

1703年に本尊の十一面観音を星田神社に移して廃寺となったそうです。

現在の小松寺は法華宗本門で、1704年、耕雲院日応上人が創建したそうです。
廃寺となった小松寺を惜しんで、その名を継承したと伝えられます。

小松寺


②廃小松寺と星田妙見宮の関係

現在の小松寺からほど近いところに星田妙見宮があります。
星田妙見宮は別名を小松神社といいました。

江渡時代まで神仏は習合して信仰されていましたから、廃小松寺は星田妙見宮(小松神社)と関係が深いお寺だったのではないでしょうか。

星田妙見宮  
星田妙見宮

③星が降る伝説は流星群をあらわしている?


以前の記事で、こんな交野の伝説についてお話ししました。

嵯峨天皇の御代、弘仁年間(810~823年)に、弘法大師が獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えたところ天上より七曜の星(北斗七星)が降り、
星の森・光林寺・星田妙見宮の三か所に落ちました。


空海の秘宝は星を降らせるほど強力な呪術力を持っていたのか?
なーんて考えるのは、今の時代ナンセンスですよね。

星が降るというのは流れ星のことだと思います。
それも北斗七星が降ったというのですから、7個の星が降ったというこで、この伝説は流星群を物語にしたものではないかと思いました。

小松寺2 

④七曜の星はこぐま座?

流星群はたくさんあります。

しかし、北斗七星流星群とかおおぐま座流星群(北斗七星はおおぐま座を構成する星)というのはありません。


星田妙見宮 妙見河原 桜 『かつて織女石は北極星だった』 
↑ こちらの記事で、星田妙見宮に祀られている北斗七星の神々は本当は北極星を含む七つの星、こぐま座の神々ではないかと書きました。


このこぐま座であれば、こぐま座流星群というのがあります。

七曜の星は北斗七星とされますが、本当はこぐま座だったりしませんかね?

北辰とは天の北極のことですが、北辰信仰は天の北極のほか、北極星・北斗七星の信仰も含みます。
でも、もともと北辰信仰は天の北極、北極星、こぐま座の信仰だったとか?

下の図は星田妙見宮の旗に描かれていたイラストです。
玄武といって、北を司る、亀に蛇がまきついた想像上の聖獣です。
亀は北極星、蛇は北斗七星を表しているんじゃないかと考えていましたが
それはまちがいで、亀は北辰(天の北極)、蛇はこぐま座をあらわしいるんだったりして?

星田妙見宮 旗のデザイン 


で、このこぐま座付近を放射点として流星群が見られるそうなんですね~。

こぐま座流星群 

⑤こぐま座流星群


こぐま座流星群が見られる時期は12月17日~12月26日で、ピークは12月22日です。
12月22日は冬至じゃないですか!

冬至は太陽の南中高度が最も低くなる日です。

空の真南で1年で最も南中高度の低い太陽が昇ると、夜にはほぼ真北の空で流星群が降るのです。

この現象を昔の人はどんな風に感じたでしょう。


冬至の衰えた太陽が北の空に移動して流星となって散る。
そして冬至のあとに新しい太陽ができ、再び南中高度をあげていく。


とか考えていたなんてことないですかねw。







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[2020/04/16 13:56] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

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