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星田妙見宮 妙見河原 桜 『かつて織女石は北極星だった』 


大阪府交野市 妙見河原 星田妙見宮

星田妙見宮  
①織女石は3つある?

前回、記事を書きながら気になっていたことがあります。
中山観音寺跡(観音山公園) しだれ桜 『北斗七星、織女星に変身する?』 

星田妙見宮 境内図

星田妙見宮 境内図 (案内板より)

上の図の①は「織女石、山上拝殿、鎮宅霊符社・三宝荒神社」と書かれています。
①の数字の下に石のようなものが描かれていますが、石のようなものはふたつありますね。

しかし、この付近を撮影した写真を見てみると石はひとつしかありません。

星田妙見宮 織女石

画像検索して他の方が撮影された写真も見てみましたがやはり、石はひとつしか写っていません。

https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E6%98%9F%E7%94%B0%E5%A6%99%E8%A6%8B+%E7%B9%94%E5%A5%B3%E7%9F%B3&ei=UTF-8&ts=13708&aq=-1&ai=MjhQALdgS0yLnu6XIwcHdA&fr=top_ga1_sa

星田妙見宮のhpには『享和元年刊『河内名所図絵』にみる「星田妙見宮」』の図が掲載されていました。
https://www.hoshida-myoken.com/%E3%81%94%E7%94%B1%E7%B7%92/

この絵を見ると、やはり二つ石があるように見えます。
織女石の背後は茂みになっていますが、その茂みに隠れてもうひとつ石があるのではないでしょうか?

で、随分前に自分で撮影した写真を探してみたら、こんな写真が見つかりました。

星田妙見宮 巨岩

もう10年以上も前のことでよく覚えていないのですが(汗)
この写真は、星田妙見宮の織女石を撮影した5分後に撮影しています。
織女石を後ろから撮影したのかな?
でも石の周囲に木が生えているところを見ると織女石とは別の石のようにも思えます。
近いうちに再度確認しにいってきたいと思います。(すいません~)

また、星田妙見宮のhpに次のように記されています。

享和元年(1801)に刊行された『河内名所図絵』には「妙見祠 妙見山にあり。神躰巨石三箇、鼎の如く岐ちて、丘の如し。前に石の鳥井、拝殿、玉垣、石段あり、土人、織女石とも呼ぶ。

https://www.hoshida-myoken.com/%E3%81%94%E7%94%B1%E7%B7%92/ より引用

「神躰巨石三箇」とありますが、「箇という漢字には二つの意味があります。

1.物を数えるのに用いる助数詞。類義語:個・个「箇条・箇所」
2.この。これ。あの。あれ。物事や場所を指し示す語。

https://mojinavi.com/d/u7b87 より引用

ここでは1の意味だと思います。
「鼎」は「かなえ」とよみ、三本の脚がついた器、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BC%8E
「岐ちて」は「枝分かれして」という意味でしょうか。

つまり、こういう意味ではないかと思うのですが、どうでしょうか?

妙見祠が妙見山にある。ご神体は巨石三個、三本脚の器・鼎のように枝分かれして、丘のようである。
ご神体の前に石の鳥居、拝殿、玉垣、石段があり、地元の人々はご神体のことを織女石とも呼んでいる。


ご神体の巨石は2個ではなく3個ある?
で、その3つを総称して織女石と呼んでいるということではないでしょうか?

星田妙見宮 付近 
妙見河原

②北斗七星伝説


交野にはこんな伝説がありますよ。

嵯峨天皇の御代、弘仁年間(810~823年)に、弘法大師が獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えたところ天上より七曜の星(北斗七星)が降り、
星の森・光林寺・星田妙見宮の三か所に落ちました。


北斗七星が3ヶ所に分かれて落ちた、ということは
3個+3個+1個とか、3個+2個+2個のようにおちたということも考えられます。
ですから、星田妙見宮に石が3個落ちたとしてもおかしくはないことになります。
あるいは一つの石が鼎のように枝分かれして3つの巨石になったということなのかもしれません。

③織女石は北極星または北辰(天の北極)をあらわす石では?

もう一度、星田妙見宮の境内図を見てみましょう。
織女石は妙見山のほぼ頂上に祀られていますね。

星田妙見宮 境内図

星田妙見宮 境内図 (案内板より)


星田妙見宮の妙見とは妙見大菩薩の妙見です。
妙見大菩薩とは北辰(天の北極)を神格化した菩薩です。
ということは、星田妙見宮は北極星を祀る神社ということになります。
(天之御中主を御祭神としていますが。天之御中主という神様は北極星の神様なのかもしれませんね。)

すると妙見山の頂上近くにある織女石は、織女星(ベガ)ではなく、北極星または北辰(天の北極)ではないかと思えます。

④北斗七星ではなくこぐまざの神々では?

そして、織女石へ向かう参道の坂には貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星が祀られています。
境内図に貪・ 巨・ 禄・ 文・ 廉・ 武・ 破と記されているのが貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の七つの星の神を祀っている場所です。

星田妙見宮

貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の七つの星神は北斗七星を形成する星々の神のようで、神像の台には北斗七星が描かれています。

ただし、この七柱の神々の配置は北斗七星の形にはなっていませんが。

ですが、この七柱の神々は北斗七星の神々ではなく、こぐま座の神々なんてことはないでしょうか?
現在の北極星はポラリスと呼ばれる星ですが、下図のようにポラリス(北極星)を含む七つの星がこぐま座を形成しているのです。

 こぐま座 北斗七星 カシオペア座 琴座


⑤天帝の七人の娘はこぐま座?

七夕伝説は次のようなものでした。

天帝には7人の娘がいました。
末娘の織姫は娘たちの中で最も美人で機織りが上手でした。
あるとき、天帝は彦星がまじめな性格であることを評価して、彼に牛の管理を任せることにしました。
いつしか彦星と織姫は恋仲に。
そして、恋愛に夢中になってそれぞれの仕事を怠るようになったのです。
天帝は怒って二人を引き離し、年に一度、7月7日の夜呑み逢瀬を許すことにしました。
織姫は天母によって天宮に連れ戻され、天母がかけた天の川によってふたりは会うことが出来なくなりました。
しかし天の川に千羽の鵲が橋を作って二人の逢瀬の手助けをしてくれました。


前回、私は天帝の七人の娘とは北斗七星のことではないかと書きました。
しかし、天帝の七人の娘とは北斗七星ではなくて、こぐま座かもしれません。

④歳差運動と変化する北極星

天帝とは天の北極を神格化したものですが、天の北極=ポラリスではありません。
ポラリスはわずかに天の北極からずれています。

また天の北極(北辰)の近くにある星のことを北極星といいますが、時期によって北極星は変わります。
北極星が変わるのは、地球が歳差運動といって下図のように独楽がぶれるような動きをしているためです。
地球の歳差運動の周期は約25800年です。

Gyroscope precession

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gyroscope_precession.gif
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/82/Gyroscope_precession.gif
LucasVB [Public domain] 


この歳差運動が原因で北極星になる星がかわってくるのです。


Precession N

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Precession_N.gif
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/16/Precession_N.gif 
Tauʻolunga [CC BY-SA 2.5 (
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)]

↑ 歳差による北極星の変遷の図を見ると、かなり大きな円を描いて北極星が変遷することに驚かされます。

上記図に+2000とか+4000とあるのは西暦だと思います。

紀元前1100年ごろにはこぐま座β星が天の北極に最も近い北極星でした。
こぐま座は上図+2000の文字の向かって左にある星(ポラリス)から緑色の線でつながる7個の星が形成する星座です。
こぐま座β星は-2000の文字の向かって左にある星です。

⑤ベガは北極星になる星

北辰は天の北極、織女石がこぐま座の七番目の星。
しかし、織女星とはベガのことです。
ベガは琴座で、こぐま座ではありませんし、北極星でもありません。
それなのに、なぜ天の北極を神格化した妙見菩薩の名前をつけた妙見山の山頂に織女石があるのでしょうか?

実はベガは時期によっては北極星になる星なのです。

Precession N

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Precession_N.gif
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/16/Precession_N.gif 
Tauʻolunga [CC BY-SA 2.5 (
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)]

+14000とある左斜め下に大きな星がありますが、これがベガです。
今から12000年ほどすると歳差運動の影響でこのベガが北極星になります。
また今から14000年ほど前にはベガが北極星だった時代もあったということになります。

中国文明は紀元前4000年ごろに発祥したといわれ、天文学も古くから発達していました。
星々を観察することによって天の北極が変化することを知り、かつて織女星ベガが北極星であったことを知っていたのかも??
だとすると、すごいことですね。

星田妙見宮付近 
妙見河原(交野)



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[2020/03/30 14:37] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

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