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墨染寺 欣浄寺 桜 『深草少将の正体とは?」 


京都市伏見区 墨染寺 欣浄寺

墨染寺 桜 

墨染寺


①墨染寺

平安時代、藤原基経がなくなったとき、これを悲しんだ上野峯雄が次のように歌を詠みました。

深草の 野辺の桜し こころあらば 今年ばかりは 墨染に咲け
(深草の野辺の桜よ、おまえに心があるのならば、今年だけは墨染色に咲いておくれ。)

墨染寺はこの歌に詠まれた墨染桜があることで知られています。(写真撮り忘れ・・・・汗)
墨染桜は花びらの中央部が墨で染めたように黒っぽくみえるところから墨染桜と呼ばれています。
また境内にはたくさんのソメイヨシノも植えられており、別名を桜寺といいます。

墨染寺 瓦

②欣浄寺

墨染寺のすぐ近所に欣浄寺というお寺があるということで探し回ったんですが、見つからない!
近所の方に尋ねても、知らないと・・・・・w
ようやく欣浄寺は見つかりましたが、近所の方が知らないというのも無理ありません。
欣浄寺は空き地の奥にあって寺門もないのです。
空き地の奥に、民家と民家に挟まれた狭い通路があり、ここから敷地内に入るとコンクリート造の本堂が現れます。
それでようやくここが寺だと気付くほどです。

欣浄寺-桜 
欣浄寺

③墨染寺と欣浄寺、どちらにも存在する墨染桜の古株と墨染井

墨染寺と欣浄寺の由緒は次のとおり。

【墨染寺】
①874年清和天皇(850-881)の勅願により、摂政・藤原良房(804-872)が建立した元号寺院の貞観寺が前身。
②豊臣秀吉より土地の寄進を受け、本宗寺院となった。
③学妙上人が復興された。

【欣浄寺】
①平安時代初期に桓武天皇より深草少将が邸地として賜わったもので八町四面の広さがあった。
②深草少将は弘仁3年(813年)3月16日に薨去しこの地に埋葬された。
③その後、遍照が仁明天皇の崩御を悼んで念仏堂をたてた。
④1230年~1232年、曹洞宗開祖の道元禅師がここに閑居された。
⑤欣浄寺の池の東には「少将の通い道」と呼ばれる道があり、この道を訴訟のある人が通ると願いがかなわないといわれている。

墨染寺と欣浄寺の寺の由緒はまったく異なりますが、二つの寺には何か関係がありそうに思えます。
というのは、どちらの寺にも墨染桜の古株が残されており、どちらの寺にも墨染井があるんですよね。
もっとも墨染寺にある墨染井は1768年に歌舞伎役者・2代目中村歌右衛門が寄進した御手洗鉢、
欣浄寺にある墨染井はつるべ式の井戸と形はかなり違うんですが。

欣浄寺-墨染井  

欣浄寺 墨染井

④深草少将=仁明天皇?


欣浄寺の墨染井は深草少将が用いていたものとされ、井戸のほとりには小野小町と深草少将の供養塔が建てられています。

欣浄寺-深草少将 小野小町 供養塔  

欣浄寺 小野小町・深草少将供養塔
また欣浄寺の池の東には「少将の通い道」と呼ばれる道があり、「この道を訴訟のある人が通ると願いがかなわない」といわれています。

深草少将は813年に亡くなったというが、小町との関わりを考えると時代が少し早いように思います。
小町は分屋康秀(?~885)や遍照(816~890)と交流があった。
小町が深草少将と同年代だとすれば、小町は分屋康秀や遍照よりもかなり年が上ということになってしまいます。
小町が分屋康秀や遍照よりもかなり年が上だったというのはありえなくはないですが。

欣浄寺の由緒には「その後遍照がここに仁明天皇(810~850)を悼んで念仏堂をたてた」とあります。
なぜ遍照は深草少将の邸宅跡に仁明天皇を悼むための念仏堂をたてたのでしょうか。
この記事は深草少将と仁明天皇に関係があることを思わせます。
ということは、深草少将とは仁明天皇のことなんでしょうか。

仁明天皇の陵は深草の地にある。
仁明天皇が深草帝と呼ばれたのはそのためです。
山村美佐さんは「小野小町は仁明天皇の更衣であった」としておられます。
山村美佐さんは深草少将は深草帝(仁明天皇)であると推理されているのでしょう。
ただし、深草少将が亡くなったとされるのは813年、仁明天皇が崩御されたのは850年で時代があいません。

墨染寺 

墨染寺

⑤深草は紀氏の土地だった。

私は深草少将のモデルは仁明天皇ではないと考えています。

奈良時代、深草は紀伊郡に属し、深草郷と呼ばれていました。
紀伊郡という地名は紀氏一族が本拠地としていた土地であったところからつけられたと考えられています。
平安時代に深草は藤原氏の荘園となりました。
そして紀氏の勢力は衰え、藤原氏の配下にあった秦氏がこのあたりの土地を支配したようです。

墨染寺、欣浄寺から徒歩10分くらいのところに藤森神社があります。

藤森神社 藤森祭 神輿 
藤森神社 藤森祭




藤森神社の御祭神 はスサノオで、別雷命、日本武命、應神天皇、神功皇后、武内宿禰、仁徳天皇、舍人親王、天武天皇、早良親王、伊予親王、井上内親王を配祀しています。
しかし、藤森神社は紀氏の先祖を祀る神社だともいわれています。

記紀などによれば、紀氏は孝元天皇の子孫で、武内宿禰の子・紀角宿禰を始祖としています。
しかし、別の史料には紀氏の祖神をスサノオとするものがあるそうです。
とすれば、藤森神社ではスサノオを祀っているので、紀氏の先祖を祀る神社であるというのは辻褄があいます。

伏見稲荷大社 狐の像2 

伏見稲荷大社

⑥土地と稲荷神を奪われた藤森神社

藤森神社はもともとは現在の伏見稲荷大社がある場所に鎮座していましたが、そこに伏見稲荷大社が創建されることになって移転しています。
 
そのため、伏見稲荷大社周辺の住人は今でも藤森神社の氏子です。
また藤森神社の祭礼では神輿を伏見稲荷神社へ担ぎこみ「土地返せ」と囃し立てるそうです。

伏見稲荷大社の御祭神は宇迦之御魂大神で、佐田彦大神、大宮能賣大神、田中大神、四大神を配祀しています。
『式内社調査報告』で、柴田實氏は、四大神とは、五十猛命、大屋姫、抓津姫、事八十神の四柱の神としています。

五十猛神(イソタケル)は、スサノオの子で、林業の神として信仰されています。
記紀の記述によれば五十猛神は紀伊国に祀られているとあります。
紀伊は古来より林業の盛んな地であり、紀伊の人々が信仰していた神だと考えられています。

大屋姫は大屋都姫命のことでしょうか。
大屋都姫命と抓津姫は姉妹の神で、は、和歌山県和歌山市宇田森の大屋都姫神社の御祭神です。
日本書記一書では大屋都姫命はスサノオの娘で五十猛神は兄となっています。
スサノオに命じられて五十猛命と共に全国の山々に木種を撒いたあと紀伊国に戻って住んだとあります。

伏見稲荷大社は紀氏が祭祀する藤森神社の土地を奪っただけでなく、紀氏の神までも奪ったっぽい。

また、 空海が816年、稲荷山三箇峯から現在地へ勧請したとも言い伝わっていますが、その際、紀州の老人が稲を背負い、杉の葉を提て、両女を率い、二子を具して東寺の南門に望んだという伝説もあります。
(伏見稲荷大社は東寺の鎮守とされる。)

東寺 桜 ライトアップ

東寺

伏見稲荷大社は711年、秦伊呂具によって創始されたとされているが、もともとは稲荷神は稲を背負った紀州の老人=紀氏の神だったのではないだろうか。

和歌山県有田市糸我町中番に稲荷神社があり、第27代安閑天皇(西暦531-535)代に創祀されたという伝説があります。
この稲荷神社は最古の稲荷社とも言われています。

⑦深草少将は紀氏だった?

欣浄寺によれば、深草少将は弘仁3年(813年)3月16日に薨去しこの地に埋葬されたといいます。
そして空海が稲荷神を勧請したのは816年です。

この816年ごろよりともとは紀氏の土地であった深草の地が藤原氏や藤原氏の配下にある秦氏の土地となっていったのではないでしょうか。
(空海は秦氏だとする説があります。)
するとそれ以前にこの地に邸宅を持っていた深草少将とは紀氏だと考えられます。

空海が816年、伏見稲荷大社を稲荷山三箇峯から現在地へ勧請した際、東寺の南門に現れてたという紀州の老人が深草少将なのではないでしょうか?

墨染寺 桜 

墨染寺 

墨染寺は874年に清和天皇(850-881)の勅願により、摂政・藤原良房(804-872)が建立した貞観寺が前身だとされますが
欣浄寺の前身である深草少将の邸宅は八丁四面の広大な敷地を持っていたとされます。
藤原良房は紀氏の人物と考えられる深草少将の邸宅があった土地をなんらかの方法で自分のものとし、そこに貞観寺を建てたのではないでしょうか。

墨染桜はもともとは813年になくなった深草少将の死を悲しんで花びらが墨色に染まったものと考えられていたのだと思います。
深草少将邸宅跡とされる欣浄寺に墨染桜の古株や墨染井があるのはそのためではないでしょうか。
ところが深草が藤原氏の土地となり藤原氏によって貞観寺がたてられたため、深草少将ではなく藤原基経の死を悲しんで花びらが墨色に染まったのが墨染桜であると考えられるようになったんだったりして?

欣浄寺の池の東には「少将の通い道」と呼ばれる道があり、この道を訴訟のある人が通ると願いがかなわないといわれています。
願がかなわないというのは、訴訟に負けるということでしょう。
深草少将=紀氏は藤原氏およびその配下にある秦氏に巧妙に土地を奪われてしまったことから、このような言い伝えができたのではないでしょうか。

欣浄寺



 

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[2020/03/19 13:10] 京都府 | TB(0) | CM(0)

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