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旧小西儀助商店 紅葉 少彦名神社 神農祭 『神農さんと聖徳太子は習合されている?』 



大阪市中央区道修町 旧小西儀助商店  少彦名神社

コニシボンド いちょう

旧小西儀助商店  


①旧小西儀助商店

ここはどこでしょう?
古い町並みが残る城下町?

実はここは大阪の北浜駅を下車してすぐのオフィス街、道修町です。
この建物は旧小西儀助商店 で、ボンドで有名なコニシ株式会社の創業者・小西儀助がたてたものです。

近代的なオフィスビルに囲まれた谷間に建っています。

小西家住宅

http://www.bond.co.jp/history/kyukonishi/pdf/konishi.pdf
上記に間取り図がありますよ~。

 1階は店・書院・仏間・社長室(茶室)・前栽・台所・炊事場・蔵などがあります。
2階は居住スペースのようで、子供部屋が3室、他10部屋もあります。

現在、旧小西儀助商店 の建物は2階建てですが、かつては3階建てだったそうです。
こちらに写真があります。→
https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00520/

建てられたのは1900年で、建築当時、家族12人、従業員が35人、下女7、8人の合計52人が暮らしていたとのこと。

道修町の漢方薬屋さん 

道修町の漢方薬屋さん


②薬の神様

旧小西儀助商店から道修町通りに入っていくと少彦名神社があります。
道修町は製薬メーカーや薬問屋が多く、薬の神様として少彦名神を祀っているのです。
近代的なビル街ですが、古くからの習慣を大事にしている街なんですね。

少彦名神社 

少彦名神社

③春琴抄の舞台

少彦名神社の門前には春琴抄の碑が建てられています。
谷崎純一郎は道修町界隈を舞台として小説春琴抄を書いたんですね~。

春琴抄碑 

大阪道修町の薬種商鵙屋の次女、春琴(本名は琴)は9歳の頃に失明したが、三味線の道に生きる決意をします。
春琴の身の回りの世話をしてい丁稚の佐助は、春琴の弟子となります。
ところが春琴、気性が激しく若干暴力的なところがありましてw
弟子に撥をなげつけてケガをさせるということがときどきありました。
あるとき、誰かが春琴の屋敷に潜り込み、春琴の顔に熱湯をかけました。
春琴は顔に大やけどを負い醜い姿を見られるのを嫌がって佐助を近づけようとしない。
そこで佐助は自ら両眼を針でついて失明してしまう、というような話のようですね。

佐助は春琴の「醜い姿を見せたくない」という気持ちを思いやって「僕も目が見えないから容姿のことなど気にしなくていいんだよ」ということを示すために針で目をついたのではないでしょうか。

マゾヒズム? 谷崎純一郎、オタンビーだなあ~。

少彦名神社 絵馬

④江戸時代の女性はバリバリ働いていた。

春琴は明治19年に脚気で亡くなったという設定ですから江戸末期から明治にかけてが舞台なんですね。

ここで私が注目したのは、春琴が三味線の師匠として自立していたということです。
また小西儀助商店では下女7,8人がいたということで、江戸時代末から明治にかけて女性が働くことは当たり前だったように思えます。

https://edo-g.com/blog/2017/08/womens_work.html より引用

上のサイトには江戸時代の女性の職業として、次のようなものがあげられています。

接客職・・・・水茶屋・麦湯の女・・料理屋・留女
販売職・・・・糊売り・針売り・枝豆売り・鮎売り・大原女・楊枝屋
技術職・・・・産婆・髪結・手習いの師匠(寺子屋)・三味線の師匠御物師(着物を仕立てる)
芸人・・・・・瞽女(盲人女性の芸能者・三味線などを弾いて諸国をめぐった。)鳥追・手妻使い(マジシャン)
手工業・・・・養蚕・機織り・綿摘(内職として)
遊女・・・・・遊女・夜鷹・湯女・飯盛女・矢場女
スピリチュアル・・・占い師・巫女
その他・・・改め婆・乳母・洗濯屋・女中・下女(掃除・炊事などの雑用を行う)

上は町人の女性の職業ですが、農村や漁村でももちろん女性は働いていたはずです。海女もいたでしょうね。

専業主婦が定着したのは1950年代だと言われます。
ときどき「女は家にいて、男は仕事にいくのが日本の伝統」みたいなことを言う人がいますが、誤解だったんですね~。

江戸時代、明治時代は男女差別というよりも格差社会が問題であったと思います。
多くの人が会社勤めをするようになってから、男女差別は問題になってきたといわれます。

少彦名神社 神農祭-巫女  

少彦名神社 神農祭

⑤杉田水脈氏は「男女平等」という言葉の概念をもて遊んでいるだけで、労働の実体を把握していないのではないか?

男女差別がない状態とは、男と女が同じ仕事をするということではありません。
女性が好む仕事、男性に適した仕事というのもあると思います。
しかし、〇〇は女の仕事、△△は男の仕事、のように分類してしまうことは好ましくないです。

女性でも理数系が得意だったり、研究開発をやってみたいという人がいるので、女性だからという理由で雇用機会を奪ったりするようなことはよくないのです。

雇用機会が公平に与えられているか、給与格差はあるか、不当に昇進・昇給をおさえられていないか。
女子社員にのみ掃除・お茶くみを強要していないか。

また働く女性には出産・育児の権利が認められるべきと思いますので、これらをどう確保していくのか、といった問題も考えなければいけません。(専業主婦だめ、といっているんじゃありません。いろいろなライフスタイルを認めるべき、と言っています。)

杉田水脈氏は「日本に女性差別はない」と発言しています。
https://www.businessinsider.jp/post-172378
でも申し訳ないんですが、言葉の概念をもてあそんでいるだけのように思ってしまいます。

杉田さんは、雇用機会の公平さ、給与格差、出産・育児の権利などを十分に認識した上で、発言していないように思えます。

自分が専業主婦だから、男女平等などどうでもいい、とか、男はこうあるべき、女はこうあるべきと結論づけて多様性を認めない人もいますが(専業主婦が悪いといっているわけではない)
自分のことだけ考えないで、もう少し他の人のことも考えるべきではないかと思います。

また、働く女性が増えたことと男性の低賃金化を結びつける人がいますが、女性を雇用することと男性の低賃金化は本来別の問題です。
派遣が増えたり、企業の内部留保が増えていたり、社員と役員の年収格差などが問題であって、怒りの矛先を間違えています。

こちらは役員報酬が高い上場企業経営者 ↓
https://toyokeizai.net/articles/-/236206?page=2

少彦名神社 神虎 

⑥張り子の虎で有名な少彦名神社と朝護孫子寺

えー、それでは本題に入ります。(前置きが長い~)

少彦名神社のシンボルは張り子の虎で、神農祭では五葉笹に張り子の虎(神虎と呼ばれる)をとりつけたものを参拝者に授与しています。
江戸末期に大阪でコレラが流行した際、薬と一緒に張り子の虎を配ったとされます。

少彦名神社 蛭子 大黒

張り子の虎といえば、朝護孫子寺を思い出します。

朝護孫子寺 張り子の虎

朝護孫子寺

朝護孫子寺は聖徳太子が創建した寺です。

聖徳太子が信貴山で、物部守屋との闘いの戦勝祈願をしたところ、毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かったというのです。
そして、聖徳太子が先勝祈願をしたのが、寅年、寅日、寅の刻であったといわれます。

少彦名神社 神農祭 

少彦名神社 神農祭

⑦神農祭が広隆寺の聖徳太子御火焚祭と同じ日なのは偶然?

少彦名神社の神農祭は11月22日~11月23日です。
あれっ?聖徳太子をご本尊とする京都・広隆寺の御火焚祭も11月22日でしたね。
http://www.digistyle-kyoto.com/event/nenjugyoji/post_24.html

広隆寺の御火焚祭は聖徳太子の命日に行っているとされていますが、聖徳太子の命日は2月22日です。
それが広隆寺ではなぜ11月22日を聖徳太子の命日としているんんでしょうか?
11月の数字であるふたつの1を足すと2になるからかな?

そして少彦名神社の神農祭と広隆寺の御火焚祭が同じ日であるのが気になります。

神農さんとは中国の神で、少彦名神と習合されているのだと思います。どちらも薬の神なので。
そして神農さん=少彦名神はさらに聖徳太子と習合されているのではないか?と思ったりします。

少彦名神社 神農さん 

少彦名神社 神農さん


神農さん、コロナウィルスが早く収束するようにお願いします~





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