fc2ブログ














橋寺放生院 浮島十三重石塔 『石川五右衛門が笠石を盗むことはありえないw』 


京都府宇治市 放生院(橋寺)浮島十三重石塔


橋寺放生寺 
①宇治橋を管理していた寺

石柱に橋寺放生院と刻まれていますね。
山号は雨宝山、寺号は常光寺といいまして、橋寺というのは通称です。
かつて宇治橋を管理していたため橋寺と呼ばれています。

603年、聖徳太子の命をうけて秦河勝が宇治橋を掛けたときに橋寺放生院も創建したとされます。
しかし境内にある宇治橋断碑の碑文には、「646年、元興寺の僧・道登が架けた」とあるそうです。

Ujibashi Danpi

宇治橋断碑 京都宇治 橋寺蔵

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ujibashi_Danpi.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/90/Ujibashi_Danpi.jpg 
日本語: 尾上八郎English: Hachiro Onoue [Public domain]

②洪水は魚の祟り!魚の慰霊のためつくられた浮島十三重石塔

有名な宇治公園中の島に建つ浮島十三重石塔は鎌倉時代に西大寺の僧の叡尊によって建てられたものだそうです。

浮島十三重石塔3 
浮島十三重石塔 ※写っている橋は宇治橋ではありません。

1284年ごろ、宇治川が流失してしまったようなんですね。
叡尊はそれを魚霊の祟りだと考えました。
そして宇治川で殺生禁断令を朝廷に要請、それが認められて網代などをすることは禁じられました。
網代とは柴や竹で囲い、その中に魚を追いこんで漁をする仕掛けのことです。
そして人工島をつくり、そこに供養塔として十三重石塔をたてたのです。

③紛失した笠石

宇治川は何度も洪水をおこしたようで、そのたび塔は倒壊し、修復されてきました。
1766年の大洪水で塔は川底に沈んでしまい、150年もそのっまになっていましたが、1907年より発掘が始ました。
女性信者より寄進された髪の毛を編んでだ綱で石をひっぱりあげたそうです。
しかし九重目(上から5番目)の笠石と頂の九輪石は発見できず、これらを新たに作って再現しました。

※五重塔は最下層を初層と数えるようなので、下から数えて九重目とするのが正しいのではないかと思います。

 浮島十三重石塔

④石川五右衛門が笠石を盗むことはありえない。
 
紛失した笠石は石川五右衛門に盗まれて藤森神社の手水鉢の台石にされていると言い伝えられています。

ですが、石川五右衛門が盗んだということはありえないです。
というのは、石川五右衛門は1594年に釜茹での刑で死亡したとされているのですが

③で記したように、塔が倒壊したのは1766年、150年ほど川底に沈んでいたのを1907年にひきあげたのですが
九重目(上から5番目)の笠石と頂の九輪石は発見できず、これらを新たに作って再現したとされるからです。

ただ、藤森神社の手水鉢の台石にされているというのは、ありえなくないです。

藤森神社へは何度も参拝に訪れていますが、いままで手水鉢の台座を気にしたことがありませんでした~。
今度行ったときに見てきます。

浮島十三重石塔2
 
⑤宇治の橋姫伝説

宇治橋には有名な宇治の橋姫伝説があります。


嵯峨天皇の御世(809年-825年)、公卿の娘が貴船神社に7日間籠り貴船大明神に「妬ましい女を殺したいので、私を生きながら鬼神にしてください。」と祈願しました。
貴船大明神は姿を変えて21日間宇治川に浸れ」と告げました。

娘は紙を5つに分けて5本の角にし、顔に朱、体には丹を塗り、逆にした鉄輪(かなわ/鉄の輪に三本脚が付いた台)を頭に被り、金輪の脚には松明を燃やし、さらに両端を燃やした松明を口にくわえました。

貴船神社 紅葉3 
貴船神社

このいでたちが丑の刻参りの作法になったといわれ、かつて貴船神社は丑の刻参りのメッカだったそうです。

宝山寺 柴燈護摩供4  

上の写真は奈良・宝山寺の般若窟柴燈大護摩供で撮影したものですが、行者さんが口に松明をくわえています。
なにか、丑の刻参りと関係があるのかな、と思ってしまった~w

⑥宇治は紀氏が支配する土地だった?

宇治の橋姫伝説で興味深く思うのは貴船大明神が鬼になる方法を教えた、ということです。
貴船神社は紀船神社で、紀州の神ではないかとする説があります。

というのは兵庫県尼崎市の長洲貴布禰神社に次のように伝わっているからです。

平安京遷都の際、調度の運搬を命ぜられた紀伊の紀氏が「任務が無事遂行できますように」と自身の守り神に祈願したところ、事がうまく運び、そのお礼にこの社を建てました。

「紀氏が自身の守り神に祈願した」ということは、「貴布禰神社(貴船神社)は紀氏の神」ということになります。

そして紀氏の神・貴船大明神は丑の刻参りの神、鬼の神ということになりますね。

さらに、その紀氏の神である貴船大明神が宇治川につかれと命じたということは、宇治は紀氏の土地だったのかな?

そういえば宇治の喜撰山には喜撰洞があって喜撰法師が住んでいたと伝えられているそうです。
この喜撰法師は紀仙法師であり、紀名虎(惟喬親王の祖父)または紀有常(惟喬親王の叔父)のことではないかとする説があります。

宇治が紀氏の土地であり、喜撰法師が紀名虎または紀有常であったとすれば辻褄が合うように思えますね。

また、浮舟十三重石塔の傘石が手水に用いられているのではないかといわれている藤森神社も紀氏の神社です。
藤森神社 紫陽花 『紀氏の祖神を祀る寺』  

藤森神社 蹴鞠

藤森神社

宇治川

宇治川



※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!




にほんブログ村    





 
関連記事

[2020/01/29 10:45] 京都府 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://kntryk.blog.fc2.com/tb.php/1669-40312a41