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正法寺(岩間寺) 紅葉 『日本は男女の役割分担があり、男女平等だった?』 

滋賀県大津市 正法寺(岩間寺)

岩間寺

①岩間寺

正法寺は、標高443mの岩間山にあり、岩間寺とも呼ばれています。

722年、元正天皇の病平癒祈願をした泰澄が、岩間山中の桂の大樹から千手陀羅尼を感得したといいます。
泰澄はその桂の木で等身の千手観音像を刻み、元正天皇の念持仏である金銅千手観音像をその胎内に納めました。
この金銅千手観音像の像高は4寸8分(約15cm)で現在は本堂の三重の厨子に納められて、秘仏とされていますが
夜ごと日没になると厨子を抜け出て百三十六地獄を駆け巡って人々を救済し、日の出とともに岩間山へ戻るという伝承があります。
この観音様は、「汗かき観音」呼ばれていますが、夜中百三十六地獄を駆け巡るので岩間山へ戻ったときには汗だくになっているためといわれます。

たぶんこれが千手陀羅尼を感得した桂だと思う。↓

岩間寺 桂 

②日本は男女の役割分担がわかれていて男女幸福社会ではなかった。

ここに登場する元正天皇は女性天皇です。

日本の女性天皇は8人います。
また天皇家の祖神の天照大神は女神とされています。

このことをもって武田邦彦さんは「日本は男女平等であった。」とおっしゃっています。

そして、「日本は男女平等」とは少し矛盾するように思えますが「日本は男女の役割分担が分かれていて男女幸福社会であった。」ともおっしゃっています。

結論からいうと、日本に女性天皇がいたことは「男女平等であった」とも「男女の役割分担が分かれていて男女幸福社会であった」ともいえないと思います。

今日はそれについてお話ししたいと思います。

岩間寺 

これは何でしょう?

③日本の女性天皇

日本の女性天皇は8人おり、元正天皇は5人目の女性天皇です。
※皇極天皇と斉明天皇、孝謙天皇と称徳天皇は重祚(2度即位すること)しているので、同一人物です。

歴代女性天皇
133代推古天皇
235代皇極天皇
37代斉明天皇皇極天皇と同一人物
341代持統天皇
443代元明天皇
544代元正天皇独身
646代孝謙天皇独身
48代称徳天皇孝謙天皇と同一人物
7109代明正天皇独身
8117代後桜町天皇独身

岩間寺 桜紅葉

④日本の女性天皇は全員中継ぎとしての即位だった。(男系の皇位継承にこだわった。)


推古天皇は敏達天皇の皇后、皇極天皇(斉明天皇)は舒明天皇の皇后、持統天皇は天武天皇の皇后、元明天皇は草壁皇子の后で
いずれも中継ぎの天皇でした。

推古天皇は甥の聖徳太子を皇太子としていました。聖徳太子が次期天皇になる予定だったのかもしれませんが推古天皇の兄で敏達天皇の孫の舒明天皇が即位しました。

皇極天皇は舒明天皇の皇后で、弟の孝徳天皇に譲位しました。
再び皇位について斉明天皇となり息子の天智天皇が次期天皇となりまいした。

持統天皇は天智天皇の娘で、天智天皇の弟の天武天皇の皇后でした。
天武天皇崩御後、持統天皇は我が子草壁皇子を即位させるため、中継ぎの天皇として即位しました。
しかし草壁皇子は即位せずに早世したため、草壁皇子の后である元明天皇が即位しました。
元明天皇の即位は我が子文武天皇の皇子・聖武天皇を即位させるための中継としてでした。

日本の天皇の即位は男系で継承されていることはみなさんご存じのとおりです。
言葉にすると少しややこしく感じるかもしれませんが、この4人の女性天皇はいずれも男系で皇位継承させるための中継ぎとしての即位でした。

岩間寺 桜紅葉2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
蘇我堅塩媛
 
29欽明天皇
 
石姫皇女
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
33推古天皇
 
30敏達天皇
 
広姫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大俣女王
 
押坂彦人
大兄皇子
 
糠手姫皇女
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
吉備姫王
 
茅渟王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
35皇極天皇
37斉明天皇
 
 
 
34舒明天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
蘇我遠智娘
 
38天智天皇
 
蘇我姪娘
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
40天武天皇
 
 
41持統天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
49代以降
 
 
草壁皇子
 
 
 
 
43元明天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
44元正天皇
 
藤原宮子
 
42文武天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
光明皇后
 
45聖武天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
46孝謙天皇
48称徳天皇

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A8%E5%8F%A4%E5%A4%A9%E7%9A%87 より引用


上はウィキペディアからお借りした系図ですが、
欽明天皇―敏達天皇ー押坂彦人大兄皇子ー天智天皇・天武天皇(兄弟)-草壁皇子ー文武天皇―聖武天皇とつながっていることがわかると思います。

ただし、聖武天皇の皇子は夭逝してしまったので皇女の孝謙(称徳)が即位し、そこで血筋がとぎれてしまいました。


そこで、称徳天皇の次代には天智天皇の皇子・志貴皇子の子である光仁天皇を即位させて、男系継承を継続させています。

天智天皇ー志貴皇子ー光仁天皇ー桓武天皇ー平城天皇・嵯峨天皇・淳和天皇(兄弟)・・・・

岩間寺 雷神霊泉 

雷神霊泉 泰澄の弟子になった雷神が爪でほったと伝わります。

⑤独身で即位した女性天皇は結婚が許されなかった。

もう1度、日本の女性天皇の表を見てみましょう。

歴代女性天皇
133代推古天皇
235代皇極天皇
37代斉明天皇皇極天皇と同一人物
341代持統天皇
443代元明天皇
544代元正天皇独身
646代孝謙天皇独身
48代称徳天皇孝謙天皇と同一人物
7109代明正天皇独身
8117代後桜町天皇独身


44代元正天皇以降の女性天皇は全員独身ですね。

推古・皇極(斉明)・持統・元明は皇位についたときすでに結婚して子供がおり、自らの子または孫を即位させたかったが、まだ幼すぎるなどの理由で中継ぎの天皇として即位したのでした。

元明天皇も孫の聖武天皇に即位させたかったのだと思いますが、その前に自分の娘である元正天皇に譲位しています。
元正天皇が即位したのは715年。
このとき聖武はまだ14歳くらいですから、即位させるには早すぎると考えられたのでしょう。

そしてこのとき元正は独身で子供がありませんでした。
独身で子供がない女性が天皇として即位した前例はありませんでした。

元正が結婚して子供を産んだら、聖武ではなく自分の子を即位させたいと考えるのは自然なことです。
それを防ぐため、元正は結婚を禁じられたのではないかと思います。

そしてそれが習慣化して、女性天皇は生涯独身であるべしとの考え方が定着したのだと思います。


つまり女性が皇位につくためには、女性であることを捨てる必要があったということで
武田氏がいう「男女の役割分担が分かれていて男女幸福社会であった」は成立しなくなります。

また「日本は男女平等だった」ともいえません。

男性天皇は結婚して子供を持つことができました。
女性天皇も結婚して子供を持つことができて初めて「日本は男女平等だった」といえるはずです。

8例だけなので、これらは例外だという考え方はできるかもしれませんが
武田氏は「日本は男女平等だった」ことの例として日本の女性天皇をあげているので、これはまちがいだというしかないです。

岩間寺 黒龍龍王杉2 

岩間寺 黒龍龍王杉 

岩間寺 



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[2020/01/06 13:35] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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