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亀岡祭 鍬山神社 『仲が悪い鍬山宮と八幡宮』 


鍬山神社・・・京都府亀岡市上矢田町上垣内22-2
亀岡祭・・・10月23日から25日 

亀岡祭 八幡山 

亀岡祭の宵宵宮の日、亀岡の町を訪ねました。
祭囃子を聞きながら情緒ある町を散策すると、十一基の山鉾が次々に現れます。

おでんやぜんざい、お神酒などの接待を行っている山もあり、いろいろ御馳走になりました。
亀岡のみなさん、ありがとうございました!

亀岡祭 お囃子

●亀岡盆地は湖だった。

亀岡祭は鍬山神社の祭礼ですが、鍬山神社には次のような伝説が伝えられています。

亀岡盆地が湖だった頃、大己貴命が八人の神様とともに樫船に乗り、鍬で浮田の峡を切り開き肥沃な農地を作りました。


大己貴命が切り開いた浮田の峡とは保津峡のことです。
実際、亀岡盆地が過去湖だったことを示す地層が発見されているそうです。

亀岡祭 桑山宮 

●大己貴命と誉田別尊

鍬山神社の御祭神は大己貴命と誉田別尊ですが、誉田別尊が祀られたのは709年の創建から456年後の1165年のことです。
もともとは大己貴命を祀る神社だったのでしょう。

誉田別尊とは応神天皇=八幡神のことです。
八幡は「ハチマン」のほか「ヤハタ」「ヤワタ」とも読まれ、渡来人の秦氏が祭祀する神だと考えらえています。
『日本書紀』には『応神14年、弓月君が応神天皇の助けを得て百済より百二十県の人を率いて帰化した。』と記されています。
秦氏が日本にやってこれたのは応神天皇の援助があったからこそで、そういったことから秦氏は応神天皇を神として崇めていたのでしょうか。

亀岡祭 高砂山 

●土木・治水の技術力に長けていた秦氏

保津川流域には秦氏が大勢住んでいました。
鍬山神社に誉田別尊を祀ったのは秦氏でしょう。

秦氏は土木・治水の技術力に長けた氏族で、渡月橋の下にある葛野大堰は秦氏が作ったものです。
保津峡の治水工事なども行ったことでしょう。

亀岡祭 蛭子山


●秦氏の神乗っ取り計画

保津峡を作った大己貴命は秦氏が祀る神・誉田別尊と同一神なのかな、と最初は思いました。
けれどもそう思わせることが目的で秦氏は鍬山神社に誉田別尊を祀ったのかもしれません。
つまり秦氏は鍬山神社の神をのっとるのが目的で鍬山神社に誉田別尊を祀ったのではないか、ということです。

というのは秦氏には神をのっとった前科があるのです。

亀岡祭 羽衣山


京都の藤森神社は紀氏の祖神を祀る神社で、もともとは伏見稲荷大社がある場所にあったそうですが、その地に秦氏が祭祀する伏見稲荷神社が建てられたため移転したのだそうです。
これは本来は紀氏の神であった稲荷山の神を、秦氏がのっとったということでしょう。

詳しくはこちらの記事をお読みください → 藤森神社 紫陽花 『紀氏の祖神を祀る寺』  

亀岡祭 三輪山


鍬山神社ももともとは他の氏族が祀る神社であったのを、秦氏がのっとろうとして誉田別尊を祀ったのではないかと思ってしまいます。

鍬山神社に伝わる次の伝説はこれを伝えるものではないかと思えるのです。

1165年、八幡宮を鍬山宮の隣に祀っていたところ、雷雨の発生や鳩と兎の争いがあり、八幡宮を杉谷に遷したところ収まりました。
1609年、鍬山宮と八幡宮を隣合わせに祀りましたが、争いを防ぐために両宮の間に小池が設けられました。


 亀岡祭 八幡山2




毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/10/24 00:00] 京都の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)