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串柿の里 串柿 『柿の実を串さしにして柿の神をおどす?』 


和歌山県かつらぎ町 串柿の里
2019年11月24日 撮影


串柿の里5
 
①四郷の串柿

東谷、平、滝、広口の四つの村は四郷(しごう)と総称され、400年も昔から串柿を作っています。

串柿とは1本の串に10個(または五個)の柿の実を刺して干したものです。

串柿の起源としては、約700年前、岐阜県蜂屋村の干柿を後鳥羽天皇に献上したという記録があるそうです。
戦国時代、武田信玄や淺野長政が柿栽培・干柿製造を奨励を推奨し、長政が安芸国(現在の広島県の西部)に転封となったので安芸国においても柿栽培、干柿製造が広まったといわれます。

四郷の串柿は約400年前、徳川某公が、四郷村の特産物として串柿製造を推奨したといわれています。
また、豊臣秀吉が根来衆を攻め落としたとき、四郷の人々が秀吉に串柿を献上したともいわれます。



②鏡餅と串柿

串柿は、正月に飾る鏡餅にそえて飾られます。

鏡餅の飾り方は、下のサイトにイラストが掲載されています。
http://www.gishi.co.jp/home/faq_03a.htm

昆布・裏白の上に紙を置き、その上に鏡餅を二段に載せていますね。
二段の鏡餅の間には紅白の紙垂をはさみ、鏡餅の上に串柿、橙を置いてあるようです。

橙は玉、串柿は剣、餅は鏡で、三種の神器をあらわしているなどともいわれます。

三種の神器とは、天孫降臨の際、天照大神が天孫・ニニギに授けた三種類の宝のことで、
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ 別名/草薙剣・八咫鏡のことをいいます。

串柿の里6

③柿の数が10個または5個の理由

柿の数が10個または5個である理由は次のように説明されます。

10個・・・にこにこ(二個二個)中睦まじく(中六つ)
5個・・・・ひとりひとり(1個1個)が、皆(3個)しあわせに

うまいっ!座布団2枚!

ですが、これ比較的最近になってこじつけたもののように思えなくもないです。
「にこにこ」という言葉が最近の言葉のように思えるんですが、どうでしょう?

「にこやかなり」という言葉は「和やかなり」「柔やかなり」と表記し、平安時代の源氏物語にもそういう表記がでてきます。

また「にこにこ」をネットの古語辞典で検索してみると「にふぶに」と出てきます。
そして万葉集の歌が例に引かれていますので、万葉集の時代には「にこにこ」は「にぶぶに」と言っていたということになります。
https://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%AB%E3%81%B5%E3%81%B6%E3%81%AB

そして、秀吉や徳川幕府の時代に「にこにこ」という言葉が用いられていたのならば、古語辞典にも「にこにこの意味は微笑む状態をあらわす」のように出てくると思うのですが、「にぶぶに」の意味が「にこにこ」としか出てきません。

「にこにこ」という言葉はいつから使われているのでしょうか?
ご存じの方、ぜひコメントお願いします。

串柿の里7

④霊木を「伐るぞ」とおどす成木責め

成木責めと呼ばれる行事があります。
なんだか、水責め、木馬責め、塩責めなどの拷問を思わせるような言葉ですねw。

成木責めとは、小正月に果樹の豊作を願う行事です。
家長が手斧で柿の木を伐りつけるまねをして「なるか、ならぬか」と問いかけます。
これに対して柿の木役の家人が「なります、なります」と答えます。

つまり、家長は「実をつけないと、伐っちゃうぞ」と柿の木をおどすことで、たくさんの実をつけさせようというおまじないのようなものです。

その一方で柿の木は
霊木としても信仰されており、お精霊さん(おしょらいさん/死んだ人の魂)は柿の木におりてくるとか、幽霊が出るなどともいわれていたようです。

そのような霊木を手斧でおどすって、とんでもない行為のようにも思えます。

しかし、そういう感覚はどうやら現代人の感覚のようで、古の人は神聖なものをおどしたりけなしたりということも当たり前にやっていたように思えます。

たとえば、広隆寺の牛祭では見物者が魔多羅神に対してヤジ罵声を投げかけるということです。


残念ながらこの牛祭、最近はあまり行われていないのですが、ユーチューブに動画があったのでお借りしました。
※動画でヤジの説明はありませんが、「広隆寺 ヤジ」でぐぐるとたくさん出てきます。





⑤柿の実を串刺しにして柿の神をおどす?

節分の柊鰯ってあるじゃないですか。
節分の日、鰯の頭を柊の木とともに玄関口に飾るという習慣のことです。
なんでも、鬼は生臭いのが苦手なので、こうしておくと鬼が逃げていくというのです。

鰯の頭だけを飾るというのが、さらし首を思い出させます。
鰯の頭とは鬼の首の比喩で、鬼は自分の首が晒されているように思って逃げていくのではないかと思ったりもします。

そして、節分は二十四節気の立春の前日=暦法・二十四節気における大晦日であり
もともと節分の追儺式は旧暦の大晦日に行われる行事であったとされます。
延暦寺では現在でも大晦日に追儺式を行っています。

すると正月の串柿も、柿の実を串刺しにして柿の神をおどすための呪いではないかと思えてきます。

串柿の里4 
串柿の里3

串柿の里 


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[2019/11/26 16:14] 和歌山 | TB(0) | CM(0)

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