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古知谷阿弥陀寺 紅葉 『即身仏と油』 

京都市左京区 小知谷阿弥陀寺
2019年11月16日 撮影

古知谷阿弥陀寺 門2

①体質を樹脂質化する?

三千院の北に小知谷阿弥陀寺があります。
紅葉シーズン、三千院あたりはたいへんな人出ですが、古知谷阿弥陀寺は観光客もまばらで静寂につつまれています。
穴場ですよっ。

そんな静かな古知谷阿弥陀寺には、開基・弾誓の即身仏が安置されています。

ウィキペディアによると「弾誓は1613年に62歳で示寂した」とあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E5%AF%BA_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%B7%A6%E4%BA%AC%E5%8C%BA)
ということは、1613年に入定したということなんですかね?

堂内にあった説明板には次のように記されていました。
「開基弾誓上人は穀絶ち塩絶ちのすえ、松の実 松の皮を食べ 体質を樹脂質化した後 念仏三昧をもって生きながら石窟の二重になった石棺の中に入り・・・。」

樹脂とはアカマツ・カラマツなどの樹木から分泌される粘り気のある液体、またはそれが空気に触れて酸化して固まったもののことで、
例としては松脂や琥珀などがあげられます。

「体質を樹脂質化する」というのがどういう状態のことを言っているのか、よくわかりませんが
松の実や松の皮を食べていたということなので、当然松脂も体内に摂取したことでしょう。
それを「体質を樹脂質化する」と言っているのかもしれませんね。

是非お姿を拝んでみたい!しかし石室に安置されていて、お姿を拝むことはできません。

古知谷阿弥陀寺 門

即身仏になるために防腐剤が用いられていた?

即身仏となるためには木食といって、五穀を断ち、木の皮や木の実のみを食べる修業を行いました。
こうして体から脂肪を落とし、死後腐りにくい体をつくるというのです。

弾誓上人が松の実や皮を食べたのは木食修行だったんですね。

即身仏のメッカといえば山形の湯殿山ですが、湯殿山は水銀土壌だそうで、ここで育つ木の皮や実は水銀濃度が高いと言われます。
水銀には防腐作用があり、そのため即身仏が数多く残ったのではないかと言われます。
もちろん、寒冷な気候も影響したでしょうね。

また入定する前に漆のお茶を飲むということもされていたようです。
こうすることによって、胃の中のものを吐き出し、また漆の防腐作用で腐りにくくなったといわれます。

古知谷阿弥陀寺 枯山水

③樹脂は防腐剤だった?

調べてみると古代エジプトのミイラで防腐剤が使用されていたということがわかりました。

英ヨーク大学の考古学者スティーブン・バックレー博士によると
現在、イタリア・トリノのエジプト博物館に保管されている古代エジプトのミイラは次のようなレシピから作られる防腐剤を使用されているということです。。

●植物性油:おそらくゴマ
●植物か根からの「バルサム(樹脂の一種)のような」抽出液:ガマ属の植物由来とみられる
●植物性ののり:アカシアから抽出されたとみられる糖
●針葉樹の樹脂:おそらく松ヤニ

樹脂を油と混ぜると殺菌特性が備わり、遺体を腐敗から守ってくれる。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45204722

京都大原は平安京があったあたりに比べるとかなり寒冷な気候だと思います。
紅葉も早いですし、雪も結構降るみたいですね。
しかし、山形とはくらべものにならないでしょう。
やはり太原は温暖な気候で、即身仏となるには不向きな気候だと思います。

それなのに、即身仏が残っているとされるのは、樹脂と油をまぜた防腐剤が用いられていたのかもしれませんね。


古知谷阿弥陀寺 茶室

④長木を発明した神官の正体とは?

ここ大原には惟喬親王が隠棲したとも伝わります。(隠棲地は別の場所だとする説もありますが。)
そして惟隆親王は、嵐山の法輪寺に籠って虚空蔵菩薩より漆の製法を授かったという伝説があります。

また宇治に喜撰法師が籠ったという喜撰洞がありますが、喜撰法師とは紀名虎または紀有常のことだとする説があります。
(私は喜撰法師とは紀名虎の娘で、紀有常の妹の紀静子を母親に持つ惟喬親王の事である可能性もあるかなと思っていますが)
喜撰洞とは喜撰法師が入定した洞窟ではないかと私は考えています。
喜撰というのはお茶の隠語としても用いられていますが、それは喜撰法師が漆のお茶を飲んで入定したことから隠語として用いられているのではないかと思ったりもします。

と、このように考えてみたとき、離宮八幡宮に伝わる次のような伝説を思い出してしまいます。

貞観年間(859~877年)、離宮八幡宮の神官が神示を受けて「長木」と呼ばれる搾油器を発明し、荏胡麻(えごま)油(神社仏閣の燈明用油)が作られるようになった。

長木の図

離宮八幡宮 説明板より


離宮八幡宮の神官が長木を発明したのは859~877年ということですが、惟喬親王の生没年は844~897年です。
また、惟喬親王は木地師の祖とされ、巻物が転がるのを見て木地師が用いる轆轤(ろくろ)を発明したという伝説があります。

惟喬親王が木地師の祖とされるのは、彼が虚空蔵菩薩より漆の製法を授かったという伝説からくるのかもしれません。
木地師が作ったお椀には漆を塗って仕上げますので。

そしてこの木地師が用いる轆轤は、棒に綱を巻き付けて用いる点が油を搾る長木に構造がよく似ています。

木地師資料館 惟喬親王像 

木地師資料館にて 女性が轆轤の棒を回転させ、男性が棒の先端に取り付けた刃物で器を削っています。

また離宮八幡宮はもともと石清水八幡宮があった場所であり、石清水八幡宮の神官は紀氏の世襲です。
日本では先祖の霊は子孫が祭祀擦るべきという考え方がありました。
つまり、石清水八幡宮や離宮八幡宮は紀氏の血の濃い惟喬親王の霊を慰霊する神社ではないかと思うのです。

そういったことから、私は伝説に登場する長木という搾油器を発明した神官とは惟喬親王のことではないかと考えています。


これが正しいと仮定して、なぜ惟喬親王は搾油器を発明したなどという伝説があるのか考えてみてください。

惟喬親王は虚空蔵菩薩より漆の製法を授かったという伝説も残りますが、これは入定する際、漆のお茶を飲むことと関係がありそうに思えます。

すると、搾油器を発明したという伝説は、その油と松脂などの樹脂をまぜて防腐剤として用いたことから生じた伝説なのかも、と思えます。

https://karaage.info/2016/03/23/195251/

↑ こちらのブログには廃油が防腐剤がわりになる、との旨が記されています。

また油は樹脂化するとの記事もネット上にたくさん見つかります。

古知谷阿弥陀寺 茶室2 



古知谷阿弥陀寺 渡り廊下 
古知谷阿弥陀寺  

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