奈良県宇陀市 室生寺
2019年11月17日 撮影
①室生寺付近は水銀鉱山だった。興味深い記事を見つけました。
タイトルは「神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 鉱産物(03-139)/大阪毎日新聞 1937.3.12 (昭和12)/意外な広大さから国史学界に波紋/京大田久保助教授、興味の調査/丹生の字義に新解釈?南大和の水銀鉱」
となっています。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00063987&TYPE=HTML_FILE&POS=1内容をまとめます。
①京大理学部地質鉱物学助教授田久保実太郎氏は南大和の水銀鉱調査し、有望な露頭鉱床を発見した。
②その結果、宇太町附近の駒帰・稲戸・下芳野などの既知の水銀鉱山の他、多武峰・下居・大東・金剛山附近などいたるところ水銀の露頭鉱床を見出した。(広大な南大和水銀鉱)
③平安朝以来雨の神として信仰されている丹生明神がこの地方に多い。吉野には丹生川上神社もある。
④丹生明神の荷は埴と同じく『土』の意味だと考えられてきた。
⑤しかし、広大な南大和水銀鉱の存在を考えると、朱の原料・辰砂を産するところという意味ではないか。
⑥丹生明神は辰砂を産する山を神格化したもので雨の神ではないのではないか。
⑦古墳等に使われている朱(硫化水銀)は今日まで漠然と支那伝来のものと考えられていた。
⑧しかし、南大和では辰砂の採掘、朱の製造が行われていたのではないか。
⑨弘法大師は丹生明神に率いられて高野山を開いたといわれるが、これは大師が支那の新知識によって辰砂の採掘、朱の製造を行ったということではないか。
⑩大師を開基とする
大和室生寺附近は田久保助教授によって水銀鉱山であることが証明されている。⑪大阪鉱山監督局 菅野鉱業課長は次のように話している。
「宇陀郡宇太町は昭和十年度には五、〇八九キログラムの水銀を産出している。
その他水銀鉱区として多武峰・葛城・吐田郷にも水銀の鉱区がある。
三重県飯南郡丹生村の附近にも伊勢水銀の鉱区があり昭和十年には水銀鉱十一キロトンを産している。
室生寺付近は水銀鉱山だったのですね。
②仏隆寺で入定した堅恵室生寺の東南、直線距離2kmほどのところ、宇陀
市榛原赤埴に仏隆寺というお寺があります。
仏隆寺には開祖堅恵入定石室と呼ばれるものがあります。
仏隆寺の開祖・堅恵上人は即身仏となるべく、この石室に入定したのでしょう。

『弘法大師如意宝珠納札銘』に
『宇一山精進峯竹目々底土心水師道場』とあります。
『宇一山』は正確には『宀一山(べんいつさん/ういつさん)』で『宀一』は『室生』の二字のそれぞれ上下を採ったもの。
『竹目々』は『竹木目』で『箱』の字を分解したもの。
『土心水師』は堅恵法師の部首を採った略とされます。
すると、『宇一山精進峯竹目々底土心水師道場』は『室生山精進峯の箱の底が堅恵法師の道場である』という意味になると思います。
即身仏となるとき、生きたまま箱に入りそれを土中に埋めさせたりしたようです。
つまり、『宇一山精進峯竹目々底土心水師道場』とは、『堅恵は室生山精進峯に入定した』という意味なのかもしれません。
仏隆寺 彼岸花 『謎々です。『宇一山精進峯竹目々底土心水師道場』は何と読む?』
③水銀の防腐効果即身仏となるためには、木食といって五穀をたち、木の皮や木の実のみを食べる修業をします。
即身仏のメッカといえば山形の湯殿山ですが、湯殿山は水銀土壌なんだそうで、木食をすることで体内に水銀がたまり
水銀の防腐効果で腐りにくい体になると聞いたことがあります。
空海が高野山を欲したのも、高野山には水銀の鉱脈があったからだといわれます。
水銀は空海の懐を潤したかもしれませんが、それだけでなく、空海は即身仏となる際の水銀の防腐効果にも期待していたのではないかと思います。
すると堅恵が室生寺近くにある仏隆寺に入定したのも、水銀土壌であったからではないかと思ったりします。
④赤埴という地名の由来仏隆寺のある場所は地名を赤埴というんですね。
『奈良縣宇陀郡史料』に次のように記されているそうです。
「(赤埴)氏は本姓大神にして大物主神の後大神君大友主より出ず、上古大国主神嫡后須勢理姫と共に宇陀の室生岩窟に入り五百引の石を以って之を塞ぎ赤土を以って其口を塗る、赤埴の称ここに起り其岩窟は即ち今の室生龍穴社なりと云う」
赤埴氏の本姓は大神氏で、オオモノヌシの後、大神君大友主から出た。
昔、オオクニヌシが后のスセリヒメと共に宇陀の室生岩窟に入り、引っ張るのに五百人必要なほど大きな石で岩窟を塞ぎ、その口に赤土を塗った。
赤埴という名前(地名?)はここからくる。
その岩窟は室生龍穴神社である。みたいな意味でしょうか。(違っていたら教えてくださいね!)
⑤埴も丹も「あかつち」埴とは黄赤色の粘土のことで、陶器などが作られました。ねばつち、あかつち、へな等とも言いました。
ですが、「丹」「辰砂」のことも「あかつち」「あかに」などと言いました。
(丹、辰砂は水銀)
岩窟をふさいだ石に塗った「あかつち」とは埴ではなく、丹だったりしないでしょうか?
⑥一富士・二鷹・三茄子の謎古知谷阿弥陀寺 紅葉 『即身仏と油』 上の記事に、古知谷阿弥陀寺には即身仏が安置されている、ということを書きました。
ただし、非公開で拝観することができないのですが。
この古知谷阿弥陀寺のそばを高野川が流れています。
高野川って、空海が入定した高野山と同じ名前ですね。
「一富士・二鷹・三茄子」といいますが、私はこれは鉱山または鉱物の隠語ではないかと考えています。
栃木県那須町の近くには足尾銅山があります。
愛媛県新居浜市のなすび平の近くには銅山川が流れ、別子銅山があります。
銅は茄子色をしています。
そして茄子が鈴なりになっている状態を坑道に見立てたのではないでしょうか。
つまり、茄子は銅を表す隠語ではないかと思うわけです。
鷹は鷹の爪のことでしょう。
鷹の爪の赤い色は水銀を、また鷹の爪の実が鈴なりになるようすをやはり坑道に見立てたのではないでしょうか。
藤は不死の意味で、輝きを失わない金を意味しているのだと思います。
藤の花が房になって咲くようすもやはり坑道に喩えられたのだと思います。
そして、高野山には水銀の鉱脈がありました。
すると高野川付近にも水銀の鉱脈があったので?と思えます。
⑦高野川の古名は埴川だった。「日本後紀」によると、高野川は平安時代には埴川と呼ばれていたようです。
「雍州府志」には高野村を通ることが高野川の名前の由来だとあります。
しかし、高=水銀(丹)と、埴は混同されていたようにも思えて興味深いです。

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