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石山寺 紅葉 『源氏物語の作者は男だった?』 


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滋賀県大津市 石山寺
2009年11月23日 撮影

石山寺-多宝塔2

①紫式部が源氏物語を書いたので、日本は男女平等だった?

紫式部は石山寺に参篭して、源氏物語を書くアイデアを思いついたという伝説がありますよ。
そういうわけで、石山寺本堂には紫式部の像が置かれています。

石山寺-紫式部像 

ある人がよくこんなことをおっしゃっています。
「紫式部が女性として世界で初めて小説を書いたことは、日本が男女平等社会であったことの証拠である。」

「なるほど、そのとおりだよ!」と思う人もいらっしゃると思います。
でも、私なんかは「へ?」と思ってしまいます。

次の点について、考えていただきたいと思います。

石山寺 三十八所権現社本殿 
a.小説を書くことと男女平等はどのようにして結びつくのか。その説明がない。

b.紫式部は貴族の娘だが、当時、日本人の多くは農民などの庶民だった。
一部の貴族の例をもちだして、日本全体を語っていいのか?

c.男女差別が問題視されるようになったのは、近年になって多くの人が企業に就職するようになってからといわれている。
それより以前の社会では男女差別より身分差別が問題だった。

d.紫式部が源氏物語を書いたという一例だけで、日本は男女平等だったと断じてしまっていいのか?


わかりやすい例をあげましょう。

ある男女共学の学校で、ひとりの女子学生が小説を書き、芥川賞をとったとしますね。
そのことをもって、男女平等な学校だと断定してもいいでしょうか。
実はその学校では受験テストで、男子の合格ラインは60点、女子の合格ラインは90点としているとしたら?
実際、そんな大学があって、女性差別だと問題になりましたねw

石山寺 本堂

②紫式部が源氏物語の作者だと考えられているワケ

そもそも紫式部が源氏物語を書いたという例は、男女平等を語るのにふさわしくないです。
というのは、源氏物語の作者は男ではないかとする説があるからです。

紫式部という女性は、一条天皇の中宮・藤原彰子(藤原道長の娘)の女房として実在していたことはほぼ事実とみてよいと思います。

ただ、源氏物語には作者名が記されていないんですね。

石山寺2

紫式部が源氏物語の作者だと考えられている理由は次のようなもののようです。

a.『紫式部日記』に次のような記述がある。

・宮中の宴で、藤原公任が「若紫はおいでですか」と紫式部に訊ねたが、
 紫式部は「光源氏のような方もいないのに紫の上がいるはずない」と思って聞いていた。
 
・一条天皇が 「源氏物語の作者は日本紀を読んでいるのだろう。才能のある人のようだね。」とおっしゃったのを聞て左衛門の内侍が「紫式部は才能をひけらかしている」などと殿上人に言いふらし、「日本紀
の御局」というあだ名をつけているのは滑稽なことだ。

・娘・中宮彰子が源氏物語を読んでいるのを知った道長が、そばにあった梅の枝が置かれている色紙を取り、歌を書いて紫式部をからかった。
すきものと 名にし立てれば 見る人の 折らで過ぐるは あらじとぞ思ふ
(梅は酸き物ですが、あなたは好き者として評判ですから、梅の枝を折らないで過ぎていく男なんていないでしょうねえ)

これに対して紫式部は次のように歌を返しました。
人にまだ 折られぬものを たれかこの すきものぞとは 口ならしけむ
(梅の枝はまだ折られていませんが、誰が好き者などと言うのでしょうか)


これらの記述は、紫式部が源氏物語の作者であると断定できるものではありませんね。
紫式部が源氏物語の作者でなくとも、上のような会話は十分なりたちそうに思えます。

石山寺 滝蔵権現社

b.『新編纂図本朝尊卑分脉系譜雑類要集』に次のように記されている。
上東門院女房 歌人 紫式部是也 源氏物語作者 或本雅正女云々 為時妹也云々 御堂関白道長妾
(上東門院の女房 歌人 紫式部はこれなり。 源氏物語の作者、ある本には藤原雅正の娘うんぬん、藤原為時の妹うんぬんとある。御堂関白道長の妾)

石山寺-心経堂 

③源氏物語の著者は男だった?

さて、それでは源氏物語の著者は男だったとする説の根拠についてみてみましょう。

a.源氏物語は臣籍降下した源氏が藤原氏との政争や恋愛に打ち勝つというもの。(現実は藤原氏が勝利している。)
そういう物語を藤原氏の紫式部が書くだろうかという疑問。

b.源氏物語の妊娠・出産の記述では子供を産んだ経験のある女性が書いたとは思えない矛盾がある。(紫式部は20代後半に藤原宣孝と結婚し娘を出産している。結婚3年後に宣孝は死亡。)

c.作中に婦人語がない。

d.紫式部の父親の役職は式部大丞であり、そこから彼女は紫式部と呼ばれていたと思われる。
作中に登場する「藤式部丞」は紫式部の父親がモデルと考えられるが、愚かな人物として描かれており、紫式部が書いたとするには不自然。

石山寺 三十八所権現社-鳥居 

源氏物語の作者は紫式部なのか、どうかについては、これからじっくり考えてみたいと思います。

ただ、男が書いた説もあるので、「日本は男女平等だった」の証拠としてあげるにはふさわしくないですね。
また、源氏物語を書いたのが紫式部でまちがいないとしても、さきほども述べたようにたった一例だけをあげて「日本は男女平等だった」というのはあまりにお粗末です。

ですから、紫式部以外の例を4~5個程度はあげて戴きたいと思います。

石山寺 

石山寺 紅葉

石山寺 東大門

石山寺-多宝塔 


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毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!




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[2019/11/11 17:11] 滋賀県 | TB(0) | CM(0)

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