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鞍馬の火祭 『鞍馬に海賊が現れた?』 


京都市左京区 由岐神社
鞍馬の火祭・・・10月22日

鞍馬の火祭 門前町の飾りつけ

●大地震と天慶の乱

昨日、中国地方で大きな地震がありましたね。関西も結構揺れました。
被害にあわれた方々に心よりお見舞い申しあげます。

939年ごろ、都は大地震にみまわれ、また天慶の乱が起きるなどしました。
天慶の乱とは平将門の乱と藤原純友の乱のことで、同時期におきたので天慶の乱と総称されています。
また出羽で俘囚(朝廷の支配に属した蝦夷のこと)が反乱を起こしており、これも天慶の乱と呼ばれています。
939年は朝廷にとって大変な年だったのです。

鞍馬の火祭4

●由岐明神の遷宮

940年9月9日、朱雀天皇はそれまでは御所で祭っていた由岐明神を鞍馬に遷宮させました。
それはもちろん939年におこったもろもろの悪いことを払拭するという意味合いがこめられたものだったのでしょう。

由岐明神の遷宮の行列は無数の松明を携え、その行列は十町(約1キロ)に及びました。
『鞍馬の火祭』はこの遷宮の様子を再現したものだといわれています。
  
鞍馬の火祭 猿田彦

●山中なのに船頭篭手?


下の写真の男性が腕につけているのは船頭篭手(せんどうごて)です。
船頭篭手は船頭の力強い腕力を表すために身に着けているとされていますが、
鞍馬は山なのに船頭ってちょっと違和感があります。

鞍馬の火祭

鞍馬川という川が流れていますが川を渡る船の船頭さんなんでしょうか?
鞍馬川って水量がそんなに多くないと思いますが、保津川の急流下りをするような船が中世には鞍馬川を渡っていたのでしょうか?

鞍馬の火祭 太鼓

 
●由岐明神は藤原純友の乱平定を目的として遷宮された?

940年由岐明神が遷宮してきたのは9月9日ということですが、9月9日は旧暦だと思うので、これを新暦に直すと1940年10月12日となります。

平将門は940年3月25日に討死し、由岐明神が鞍馬に遷宮してきたときすでに平将門の乱は鎮圧されていました。
しかし、このとき藤原純友の乱はまだ鎮圧できていませんでした。

由岐明神を鞍馬に遷宮させたのは、由岐明神に立派な社殿を奉り、また都の東北におくことで鬼門封じとし、藤原純友の乱を鎮圧させようという呪術的な目的があったのではないでしょうか。

くらまのひまつり かがりび もり

●藤原純友は海賊の棟梁だった。


藤原純友は海賊の棟梁で、海賊を率いて乱を起こしました。
当時の海賊がどのようないでたちをしていたのかわかりませんが
もしかして鞍馬の人々が祭礼で身に着けているような船頭篭手をつけていたのかも?

鞍馬の人々のいでたちは藤原純友率いる海賊のいでたちなのではないでしょうか?

941年5月、朝廷の派遣した軍が純友軍を破りました。
純友は小舟に乗って伊予に逃れましたが、同年6月に捕らえられ、獄中で死亡しました。

鞍馬の火祭2


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[2016/10/22 09:00] 京都の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)