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円成寺 紅葉 『宇多天皇、聖武天皇の霊に悩む?』 


 
奈良市忍辱山町 円成寺
2019年10月6日 撮影

円成寺 本堂  

萩が咲いているかなと思って出かけたんですが、萩はもう終わっていました。
そのかわり、もう紅葉が色づき始めていました。

①円成寺を創建したのは虚滝?益信?


前回の喜光寺もそうですが、お寺の創建については複数の縁起を伝えているケースが多々見られますね。
ここ円成寺もふたつの創建縁起を伝えます。

①756年、聖武天皇の勅願を受け、鑑真とともに来日した唐僧・虚滝(ころう)が創建した。(和州忍辱山円成寺縁起)

②延喜年間(901 - 923年)、京都東山鹿ケ谷に円成寺を建立した僧・益信が、大和忍辱山を訪れ、この地に寺を創建した。(忍辱山知恩院縁起)

京都東山鹿ケ谷の円成寺は円城寺ともいいますが、現存しないようです。
大豊神社付近にあったとされ、大豊神社は円成寺の鎮守であったとされます。

大豊神社 しだれ桜としだれ梅





大豊神社

②宇多天皇の御悩平癒祈願

京都東山鹿ケ谷にあった円成寺の鎮守・大豊神社は、仁和3年(887年)に尚侍藤原淑子が勅命を受けて創建したとされます。

勅命とは天皇の命令という意味ですから、宇多天皇(867-931/在位887-897)の命令を受けて藤原淑子が大豊神社を創建した、ということでしょう。

大豊神社が創建された887年は宇多天皇が即位された年ですね。
宇多天皇は即位するにあたり、何か心配ごとがあったのでしょうか?

円成寺 楼門2

③奈良の円成寺は道真の怨霊鎮めが目的で創建された?

宇多天皇(867-931/在位887-897)は菅原道真を重用していました。
897年、第一皇子の醍醐天皇に譲位しましたが、宇多天皇は醍醐天皇にも道真を重用するようにと申し付けていました。
ところが901年、藤原時平が醍醐天皇に「道真は謀反を企てている。」と讒言し、
醍醐天皇はこれを信じて道真を大宰府に流刑としてしまいました。
903年、道真は大宰府で死亡しました。

道真の死後、909年から931年ごろにかけて、京にはおかしな事件が相次いでおき、道真の怨霊のしわざとされました。

円成寺 白山神社 春日神社 
春日堂 白山堂

 


できごと寺社創建
887年
宇多天皇醍醐天皇に譲位

宇多天皇の勅命を受け、藤原淑子が京都円成寺の鎮守・大豊神社を創建
901年菅原道真大宰府に左遷となる。
903年菅原道真大宰府で死亡。
909年藤原時平39歳で病死延喜年間(901 - 923年)
京都東山鹿ケ谷に円成寺を建立した僧・益信が、大和忍辱山に円成寺を創建した。
913年光(道真失脚首謀者のひとり)、狩の最中に溺死。
923年醍醐天皇の皇太子・保明親王薨去
925年醍醐天皇の皇太子・慶頼王卒去
930年清涼殿落雷事件 道真左遷に関与した大勢が死傷する。
醍醐天皇崩御。(道真の怨霊を恐れるあまりノイローゼになって崩御したとも伝わる。)
931年宇多上皇崩御
  
表にしてみるとわかりやすいです。

つまり、京で道真の怨霊が猛威を振るっている最中、京都の円成寺を創建した僧・益信によって奈良の円成寺は創建されたわけです。
奈良の円成寺は道真の怨霊鎮めが目的で創建されたのではないでしょうか?

しかも、京都の円成寺の鎮守・大豊神社は「宇多天皇御悩平癒」を目的として、宇多天皇の勅命を受けて創建されていますので、京都の円成寺も勅願寺(天皇・上皇の発願によって創建された寺)であった可能性が高いです。
すると、奈良の円成寺も宇多上皇または醍醐天皇の勅願寺として創建されたのではないでしょうか。

円成寺 多宝塔

④宇多上皇は聖武天皇の霊にも悩まされていた?

宇多上皇は道真だけでなく、聖武天皇や孝謙天皇の霊も恐れていたのかもしれません。

672年、天智天皇の皇子・大友皇子vs天智天皇の弟・大海人皇子の争いがありました。(壬申の乱)
大海人皇子が勝利して即位し天武天皇となりました。大友皇子は自害して果てました。

その後、奈良時代は、天武系の天皇が続きます。

天武―持統(天武の皇后・天智の娘)-文武ー元明元正ー聖武ー孝謙―淳仁ー称徳(孝謙と同一人物)
※赤文字は女帝

称徳天皇は女帝で結婚が許されず子供がありませんでした。
そしてここで天武系の血筋は途切れてしまい、天智天皇の孫にあたる光仁天皇が即位しました。

血筋のたえてしまった天武系天皇は、天智系天皇にとっては怨霊のような存在であったことでしょう。

そこで、宇多上皇は京都・円成寺の僧・益信に命じ、天武系最後の男性天皇・聖武天皇の霊を弔うために
奈良の円成寺を創建させたのではないでしょうか。

そして聖武天皇の霊を慰霊すると同時に、都で大暴れする菅原道真の怨霊を鎮めてくださるようにと、聖武天皇の霊に祈願したのかも?

和州忍辱山円成寺縁起に「756年、聖武天皇の勅願を受け、鑑真とともに来日した唐僧・虚滝(ころう)が創建した。」とありますが、756年は聖武天皇が崩御された年です。

実際に円成寺が創建されたのは延喜年間ではないかと思います。
聖武天皇が創建したとする縁起は、「聖武天皇の霊を慰霊するために創建した寺」であるところから、創作されたものではないでしょうか?


しかし宇多上皇は息子の醍醐天皇が崩御した翌年に崩御してしまわれました。


円成寺 鎮守 拝殿


 
円成寺 鎮守 拝殿2



円成寺 鐘楼 

円成寺 楼門 
 

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[2019/10/10 18:14] 奈良県 | TB(0) | CM(0)

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