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九品寺付近より大和三山を望む 彼岸花 『飛鳥の地上絵はなかった?』 


奈良県御所市 九品寺
2019年9月28日撮影


九品寺より大和三山を望む 

九品寺付近を散策していると大和三山が見えます。
大和三山とは耳成山(たぶん向かって左)・畝傍山(ゴルフ練習場の上に見える山)・天の香具山(たぶん畝傍山の向かって右)の3つの山をいいます。
大和三山に囲まれたあたりに40代天武天皇・41代持統天皇の藤原宮がありました。

写真には写っていませんが、藤原京の北は飛鳥です。
33代推古天皇、34代舒明天皇、35代皇極天皇(37代斉明天皇と同一人物)、38代天智天皇が都をおいた地が飛鳥でした。

九品寺付近2 

①藤原京・飛鳥地方に巨大なオリオンが描かれている?

山上智さんが著書『飛鳥の地上絵 呪いの巨人像』において、次のように主張されています。
大和三山のひとつである耳成山を頭として、この地方に多数点在する春日神社を線でつないでいくと、巨人の姿になる。
藤原京・飛鳥付近に巨人の姿が描かれていると。

本をパラパラとめくっていくと、藤原京・飛鳥地方の地図の上に、巨人の姿が描かれています。
これを著者は「飛鳥の地上絵」と読んでおられます。

巨人の姿はこちらをご覧ください。↓

https://www.amazon.co.jp/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E3%81%AE%E5%9C%B0%E4%B8%8A%E7%B5%B5%E5%91%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E5%B7%A8%E4%BA%BA%E5%83%8F%E2%80%95%E6%98%A5%E6%97%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E7%BE%A4%E3%81%A8%E5%A5%88%E8%89%AF%E3%81%AE%E5%A4%A7%E4%BB%8F%E3%81%AB%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%80%8C%E7%89%A9%E9%83%A8%E6%B0%8F%E3%80%8D%E5%AF%BE%E3%80%8C%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B0%8F%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%91%AA%E8%A1%93%E6%88%A6%E4%BA%89-MU-SUPER-MYSTERY-BOOKS/dp/4054031382

手にはこん棒と楯を持っているように見えます。
山上智さんは、この巨人を南の空に浮かぶオリオンの姿だとされています。

オリオン座 

オリオン座

といっても、飛鳥の地上絵は、「オリオン座を描いたもの」ではなく、「オリオン座の上に重ねて描かれるオリオンの絵に似ている」ということです。

Uranometria orion

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Uranometria_orion.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/Uranometria_orion.jpg
From WP en, uploaded by en:User:Mouser [Public domain] より引用

日本の神話とギリシャ神話には似ている話がたくさんあるので、飛鳥にオリオンが描かれていてもおかしくはないです。

詳しくは下記記事を参照してください。

不動窟鍾乳洞 『似ている?ギリシャ神話と日本神話。』 
メナード青山リゾート ハーブガーデン 『似ている。ヘカテ―とみほとけと日本の神』 
千早赤阪村 水仙の丘『ナルキッソスはエーコーに殺された?』 
黒岩水仙郷 水仙 『木霊の神と、虚像に殺された男』 

九品寺付近


②実際にオリオン座を描いてみる。

こういう本を読んだら、実際に自分で飛鳥の巨人・オリオンを描いてみることが大事!

本には点在する春日神社の住所が示されていません。
でも、グーグルマップで「春日神社」と打って検索すると、表示している地図上の春日神社のある場所にマーカーがつきます。

山上智さんは藤原京跡で地図を広げて春日神社をチェックしたと書いておられます。
すごく時間がかかったでしょうね。
でもグーグルマップだと早い!
畝傍山を頭部として、巨人の姿があらわれていきます!

だけどあまりに広範囲の地図だと省略されてマーカーがつかないケースが発生。
仕方ないので地図を大きく表示して5回にわけて春日神社を検索。
それを紙にうつしとって5枚の紙をつなげ合わせることにしました。

また、あるはずの春日神社が地図上に見つからなかったりもしました。
もっと丁寧に探せば見つかるかもしれませんが
数個の春日神社がみつからなくとも、十分私の言いたいことは主張できるので、このあたりでよしとしました。

飛鳥の地上絵  

赤の丸(大)・・・耳成山
赤丸・・・・・・・グーグルマップで実際に見つかった春日神社のうち、山上智さんの巨人像に用いられたもの
青丸・・・・・・・グーグルマップで実際に見つかった春日神社のうち、山上智さんの巨人像に用いられていないもの
水色の丸・・・・・あるはずだが、見つけることができなかった春日神社
ピンク色の丸・・・小墾田宮跡
黄緑色の線・・・・もしかしたら、違う春日神社があるかもしれず、間違っている可能性のある線。

③三ツ星の中央は馬立伊勢部田中神社


山上智さんは、オリオン座の中でもっとも目立つ三ツ星の中心の星に該当するのは馬立伊勢部田中神社としておられます。

また、著書に次のように書いておられます。

馬立伊勢部田中神社の由来書には「春日神社を奉仕せり」とあり、もともとは春日神社であった。

本には由来書の写真もあります。

でも、写真が小さくて文字が読めない!ハズキルーペもないし~

ネットをぐぐると由来書出てきました。https://genbu.net/data/yamato/tanaka_title.htm

馬立伊勢部田中神社
橿原市大字和田字大坪第四十番地
神格 村社
祭神 天児屋根命 豊受姫命 誉田別命

当社、創立の詳細は分からないが、三代実録に神位の奉授のこととある。
 「清和天皇貞観九年正月二十五日大和国正六位上、馬立 伊勢部田中神從五位下」とある。
されど延喜の領幣に漏れたるを見れば、当時社運暫く 不振の状況におちいったことが察せられる。
又、位置は現今大字和田にあれども社名は馬立伊勢部田中神社と称している。
 昔から和田方の所伝によれば、当社もと字古宮の地に鎮座していたが慶長 年間飛鳥川洪水の為に流されて現今の地に遷座したとのこと
然るに古宮の地は、古代豊浦小墾田宮の故地にして名称の起りも 故地の名に因んだのであろうから、元より当社とは関係はなかったであろう。
その地古宮付近に豊浦寺時代の礎石の存せるを当社華表の 址なりと言うのも是亦附会したものと言わざるを得ない。
社殿の構造は三間社流造りにて、中央は八幡宮、左豊受姫社、右は 春日社を奉祀せり。
後世時代の流れに従って春日社並びに八幡社と配祀し、後、八幡宮が 却って本社の地住を占め八幡宮と称するに至った。
徳川中世に至っても尚八幡宮と称し、(石灯籠)明治四十一年十月二日 にも村社八幡神社として指定された。
その後国史見在社の古名に復すべく出願し、大正八年十一月に前指 定を取り消して馬立伊勢部田中神社として指定された。

-境内案内より

なるほど、「春日社を奉祀せり」ということでしたが「右は春日社を奉祀せり」と書いてありますね。
なぜ「右は」の文言を削ったんでしょうね。
春日社だけでなく、八幡宮、豊受姫社も奉祀しているじゃないか、と突っ込まれるのが嫌だったんでしょうかw

由緒書にはこうも書いてあります。
「当社もと字古宮の地に鎮座していたが慶長 年間飛鳥川洪水の為に流されて現今の地に遷座したとのこと」

著者は飛鳥の地上絵は奈良時代(710年~794年)に作られたとしますが、馬立伊勢部田中神社は慶長(1596年~1615年)以前は別の場所にあったのです。

山上智さんが見られた由緒書は、上のピンク色の文字で示した由緒書と違うものだったのかもしれませんね。

字古宮は「豊浦小墾田宮の故地」とあります。
豊浦小墾田宮跡は巨人図のピンク色の丸で示したところです。
この位置では三ツ星の中央の星になぞらえるのは、ちょっと厳しいかも。

④飛鳥の巨人像はなかった?

私は山上智さんのいう飛鳥の巨人像は存在していなかったと思います。
というのは、青い丸が示す春日神社をなぜ無視したのか、と疑問に思うからです。

全ての春日神社をつなぐ線をひくのではなく、いくつかの春日神社は無視してもいいということになれば、いろんな図が書けてしまいますよねw

何か理由があってこれらの春日神社を無視したのであれば、その理由について述べられるはずです。
でも山上智さんは無視した理由を述べられていませんし、そもそも青丸で示した春日神社が存在することについても記されていません。

特に●a、●bは図の輪郭に近く、●cは図の輪郭の中にありながら無視されているので、気になります。
(左足が太すぎるので、●cの春日神社を採用してつないだほうがすっきりするかもしれませんが)

著者は「それぞれの春日神社の拝殿は対面する春日神社の方角を向いている」との旨を書かれています。
なので、春日神社の拝殿の向きがオリオンの中心を向いているかのように思ってしまいますが
すべての神社を回って拝殿の方角を確認したわけではないと思います。
なぜなら著者は藤原京跡で地図を広げて春日神社を探し線でつないだと書いておられ、
実際に全部の春日神社を回ったとは書かれていないからです。

残念ながら飛鳥の巨人像はなかったといえるのではないかと思います。
申し訳ないですが、巨人像のように見えたのは山上智さんの錯覚ではないでしょうか?








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[2019/10/03 22:22] 奈良県 | TB(0) | CM(0)

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