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世尊寺 彼岸花 『聖徳太子は猿の神?』 


奈良県吉野郡大淀町 世尊寺
2019年9月29日 撮影


世尊寺 彼岸花2 
世尊寺 鎮守の社2


①厩猿信仰


函館山 猿回し 『猿はなぜ馬の守護神とされたのか』 
↑ こちらの記事で次のようなことを書きました。

①古くから猿は馬の守護神と考えられていた。(厩猿信仰)
②正中年間(1324~1326)成立の石山寺縁起絵巻には、厩につながれた猿が描かれている。
③十一面観音の長い腕は猿をおもわせる。
④猿は十一面観音、馬は馬頭観音をあらわしているのではないか。
⑤十一面観音は花瓶を持っているが花瓶には水が入っているだろう。十一面観音は水の神ではないか。
⑥馬頭観音は憤怒の表情で、光背は炎で表現されることが多い。馬頭観音は火の神ではないか。
⑦陰陽五行説の『相克説』では『水剋火(水は火を消す。)』と考える。
水=十一面観音=猿、火=馬頭観音=馬 となるところから、猿は馬の守護神と考えられたのではないか。

Hokkeiji Nunnery Eleven-Headed Kwannon I (303)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hokkeiji_Nunnery_Eleven-Headed_Kwannon_I_(303).jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Hokkeiji_Nunnery_Eleven-Headed_Kwannon_I_%28303%29.jpg
Imperial Japanese Commission to the Panama-Pacific International Exposition [Public domain]

大阪天満宮 猿回し

↑ この写真がわかりやすいかな? 
猿は膝を曲げて立つので、腕が長く見えますね。

②馬は北斗七星、猿はこぐま座?

大阪天満宮 猿回し 『こぐま座は猿座?』 

↑ こちらの記事にはこう書きました。

①北斗七星は天帝の乗り物とされる。
天が将門に黒馬を与えたという伝説があるが、黒馬とは北斗七星のことではないか。
馬の頭から首が北斗七星の柄杓部分、胴体は持ち手。


CrestOfSoumaClan

将門の子孫・相馬氏の家紋・繋ぎ馬。
現在の天の北極はポラリスのあたりにあってポラリスが北極星と呼ばれている。
しかし1000年前は天の北極付近にめだつ星はなかった。
2本の杭は1000年前ごろ天の北極に近い位置にあったポラリスとイルドゥンの二つの星を表しているのではないだろうか。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ACrestOfSoumaClan.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8b/CrestOfSoumaClan.jpg 
作者 正親町三条 (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 4.0 (
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], ウィキメディア・コモンズ経由で

神馬をひく猿の像がある。
http://shinshizo.com/2012/10/%E9%A6%AC%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%8A%E4%B8%96%E8%A9%B1%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B%E7%8C%BF-%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB-%E7%8C%BF%E3%81%A8%E9%A6%AC/

神馬が北斗七星をあらわしているならば、猿はこぐま座をあらわしているのではないか?

北斗七星・こぐま座・カシオペア座   

結構いい加減な図です。(すいません)


④こぐま座には長い尻尾がある。
日本猿は尻尾が短いが、中国に住んでいるキンシコウや、インドの猿の姿をした神・ハマヌーン、ハマヌーンのモデルとされるハマヌンラングールは尻尾が長い。
そして厩猿信仰はインドから中国を経て日本に伝わったとされる。

Hanuman showing Rama in His heart

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hanuman_showing_Rama_in_His_heart.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/38/Hanuman_showing_Rama_in_His_heart.jpg
Anant Shivaji Desai [Public domain] 


②聖徳太子は猿神だった?

とこのように考えていて、思い出したものがあります。

大阪四天王寺の聖霊院内、奥殿の東に守屋祠があります。

守屋祠

聖徳太子は崇仏派蘇我氏vs廃仏派物部氏の戦いで蘇我氏側で参戦しました。
戦いは蘇我氏側が勝利し、聖徳太子が物部守屋の土地と奴婢を用いてたてたのが四天王寺なのです。

厩と聖徳太子 
上の写真の柳の下に見えている赤い瑞垣が守屋祠だと思います。
そして向かって左手に厩がありますね。

厩と聖徳太子2

厩の中には馬をひく聖徳太子像が置かれています。
馬をひく猿の像のイメージが重なります。

馬をひいている聖徳太子は猿の神であり、こぐま座の神だったりして?

世尊寺 本堂 

③聖徳太子はこぐま座(猿)の神?

お寺の方に伺ったところ、世尊寺を創建したのは聖徳太子だということです。
聖徳太子像は拝むことができなかったのですが、パンフレットを見ると手に香炉をもっています。
この香炉は柄が長く、こぐま座のようにも見えました。

そして本堂には本尊の阿弥陀如来のほか、奈良時代の作と伝わる腕の長い十一面観音もおられました。

世尊寺 門の上の天邪鬼 

おや、世尊寺の門に何かいますよ?
お寺の方に聞くとなんと、「猿」だというのです。
聖徳太子が猿の神だから猿の像を置いてあるんでしょうか?

世尊寺 門の上の天邪鬼2 

ううーん、これは猿ではなく天邪鬼のように見えますが、どうなんでしょうw

世尊寺 鎮守の社 
世尊寺 彼岸花 



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[2019/10/01 22:29] 奈良県 | TB(0) | CM(0)

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