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成田山不動尊 夕景『将門関連七神社は北斗七星をあらわしていない?』 


大阪府寝屋川市 成田不動尊



成田不動尊2

①平将門の乱平定に功績があった不動明王を祀る寺 

939年、関東で平将門の乱がおこりました。
寛朝(かんちょう)大僧正はこれを平定するため、空海によって開眼された不動明王を持って海路で大阪から関東へ向かいました。
関東に到着した寛朝大僧正は、不動明王に祈願して護摩法を行いました。
この霊験によって平将門の乱は平定されたというのです。

実際には、朝廷は将門の乱平定のため、藤原秀郷と平貞盛らを関東に派遣し、戦闘の中、将門は流れ矢にあたって死亡しています。
その一方で僧侶による戦勝祈願が功を奏した側面もあると考えられていたのでしょう。

その後、この不動明王は平将門の乱平定に功績があったとして、成田山新勝寺が創建され、寛朝大僧正が開山となりました。
昭和9年(1934年)千葉県にある成田山新勝寺の別院として大阪府寝屋川市に成田山不動尊が創建されました。

成田不動尊3 

②将門関連七神社を結ぶと北斗七星の形になる?


東京には平将門に関連する神社がたくさんあり、それをつなぐと北斗七星の形になると、加門七海さんが指摘しておられるそうです。本は読んでいないのですが~。

だけど私にはいまひとつしっくりこないです。
その理由をお話しします。

将門関連 七神社  
結構いい加減な地図ですw

③龍安寺石庭はカシオペア座を表している?


明石散人さんが京都・龍安寺の石庭とはカシオペア座を表したものではないか、とおっしゃっているそうです。(龍安寺石庭の謎/講談社文庫)
この本も読んでいないのですが(汗)、龍安寺石庭がカシオペア座を表したものだというのは、なるほど、と思います。           

カシオペア  
                       
龍安寺 石庭 レイアウト

石庭もカシオペア座もアルファベットのМの形をしていますが、石庭は向かって左側が広いのに対し、カシオペア座は向かって右側が広くなっていますね。
でも、天球(地球を中心としその上に広がる空を球と見立てたもの。惑星や恒星は天球上にはりついていると考える。)の上に神様がいるとして、神様が天球の上からカシオペアを見たとすると、私たちが地球上から眺めるのとは左右逆転したカシオペア座(向かって左側が広い)が見えるはずです。



拝観者が石庭を眺める広縁はカシオペア座や天の川よりも高い位置にある天上をあらわしているのでしょうか。
つまり広縁空石庭を望む人は、天上人というわけです。

④江戸の町は天の北極をあらわす?

すべての星は天の北極を中心にして左回りに回ります。
まるで天の北極星には夜空を回転させるパワーがあるかのようですね。
星が天球に張り付いているものとし、神様が天球の上から眺めたと想定した場合、すべての星は天の北極を中心に右回りに回るように見えるはずです。
江戸の町は江戸城を中心に「の」の字を描くように堀が掘られていますが、これは江戸の町が天の北極になぞらえられているのではないでしょうか。

ファイル:Edo hori.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Edo_hori.png
よりお借りしました。
江戸中心部の堀、門等配置略図。著作権切れ(パブリックドメイン)の絵図の画像を
Safkanさんが加工されたものです。

⑤筑波山=カシオペア座

筑波山はⅯ字形をした山でカシオペア座に似ています。

Mt.Tsukuba

西側から望んだ筑波山
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AMt.Tsukuba.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Mt.Tsukuba.jpgよりお借りしました。
作者 RESPITE (photo by RESPITE) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で



カシオペア 

上図は地球上からカシオペア座を見上げた図です。
⑦で説明したように、天球の上からカシオペア座を見下ろしたと想定すると、上の図を左右反転させないといけませんね。
するとカシオペア座は、下の図のように向かって右の山が高く、向かって左の山が低くなります。

カシオペア座

筑波山の南南西にある江戸から筑波山を望んでも、向かって右の山が高く、向かって左の山が低く見えるはずです。
筑波山はカシオペア座になぞらえられているのではないでしょうか。

⑥富士山=北斗七星?

江戸が北極星、筑波山がカシオペア座ならば北斗七星も何かに喩えられていそうですが
将門関連の七神社は北極星に近すぎるので、別のところにあると思います。

北斗七星は変形された形で祀られることが多いようです。
星田妙見宮では境内に北斗七星の神を祀っていますが、北斗七星の形になっていません。


星田妙見宮 境内図

星田妙見宮 境内図 (文・禄・巨・貧・破・武・廉とあるのが北斗七星の神だが北斗七星の形に配置されていない。)

日本には筑波山・江戸・富士山のほかにも、カシオペア・天の北極・北斗七星になぞらえた場所が複数あるように思われます。
これについては長くなるので、下記記事をお読みいただきたいのですが、
三上山・男体山・赤城山など、どうやら、湖のそばにある台形の山を北斗七星になぞらえることが多かったようです。

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑮ 日光にもあったカシオペアと北斗七星、北極星 
カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑮日振島・鳴門の渦潮・三上山に仕掛けられた壮大な呪術 

富士山の北には富士五胡があります。




また、その位置関係からみても、江戸を天の北極、筑波山をカシオペアとすると、富士山は北斗七星を表しているように思えます。

北斗七星 カシオペア座 こぐま座 




上の地図の赤印のところが筑波山です。 

北斗七星  

北斗七星は右側部分が霞んだ富士山の形のようにも見えますね。

⑦北極星を含む星座・こぐま座
 
北斗七星・こぐま座・カシオペア座2 
    

 現在、天の北極に近い場所にポラリスという星があり、北極星と呼ばれています。
そして、上の図のように、北極星ポラリスは周辺の星と組み合わさってこぐま座を形成しています。
こぐま座は北斗七星に似た形をしています。

そして将門関連七神社の近くには江戸城(現在の皇居)があります。

 将門関連 七神社

江戸城が天の北極を表すと考えると、将門関連七神社はこぐま座をあらわしている?
でも形はこぐま座よりも北斗七星に似ていますね。
それにこぐま座だとすると柄杓のコップ部分が上向(南向き)になるはずですが、将門関連七神社は下向き(北向き)になっています。


また将門関連七神社といいますが、
将門関連神社はほかにもあり、下の図には将門に関係する神社として11か所マーカーがたてられています。



 
11か所ある神社から7つのみを選び出して北斗七星またはこぐま座の形になっていると主張してもこじつけっぽく思えます。

将門に関連する神社が7つしかなく、それらが北斗七星やこぐま座の形をつくっているのであれば、こじつけだとは思わないのですが。
将門関連七神社が北斗七星またはこぐま座の形になっているというのは、偶然そうなったにすぎないのではないかと思えなくもないです。

これ以上の考察は11神社について詳しく調べ、加門七海さんの本も読んでみないと前にすすめそうにありません。
ということで、今回はここで筆をおきますw。


成田不動尊


東大寺 三月堂 百日紅 『将門魔法陣は存在したか?』  へつづく~



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[2019/09/28 00:09] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

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