奈良県橿原市 今井町
①「百日紅」とかいて「さるすべり」と読むのは、ほめているようでバカにしている?
百日紅という漢字は「百日間紅の花を咲かせる」という意味で、華やかさ、美しさを感じさせます。
百という漢字は長寿を連想させ、おめでたい印象もあります。
ところが、百日紅という漢字は当て字で、日本では「百日紅」と書いて「さるすべり(猿滑り)」と読みます。
「さるすべり」と入力して変換キーを押してみてください。
「百日紅」と変換されるはずです。
「百日紅」という美しい漢字のイメージなのに、「さるすべり(猿滑り)」と読むなんて意地悪だなあ~。
ほめているようで、バカにしてるやん?
②適わなかった100日目のランデブーサルスベリを百日紅と書くのは、花が咲く期間が長く、100日近くも紅色の花を咲かせるためです。
で、朝鮮半島に次のような伝説があるそうです。
ある漁村には、水難をさけるため娘を竜神の生贄にする習慣がありました。
漁村を通りかかった王子は竜神を退治して娘を救いました。
王子と娘は100日後に会おうと約束して別れました。
しかし、娘は100日前に亡くなってしまいました。
娘との再会が叶わなかった王子は娘の墓の前で泣きました。
すると墓の前に2本の木が生えてきて、それぞれ赤と白の花が咲き、100日間も咲き続けました。
③恋する女は紫色に染まる?朝鮮半島に伝わる伝説では墓の前に赤の百日紅と、白の百日紅が咲いたとあります。
垢の百日紅というのは見たことがありません。
ここでいう赤とは、鮮やかなピンク色のことでしょう。
白い百日紅もきれいですね。
百日紅のピンク色は紫色といえなくもないように思えます。
万葉集に次のような歌があります。
紫は ほのさすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに 逢へる子や誰
(海石榴市の辻で逢った貴女は、何というお名前ですか。) 紫色に布を染めるためには、椿の灰を媒染剤としました。
紫とは道で出会った女、灰汁は男のことで、男と目があったとたん、女がぱっと美しく瞳を輝かせた、というような意味でしょうか。
こんな歌もあります。
紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも.
( 紫草の紫色のように美しいあなたのことを憎いと思っているとしたら、どうして私はあなたのことがこんなに恋しいのでしょうか。あなたは人妻だというのに)大海人皇子(のちの天武天皇)が額田王に贈った有名な歌ですね。
この2首を鑑賞すると、恋する女が美しく瞳を輝かせるようすを『紫』といっているように思えませんか?
国営ひたち海浜公園 ネモフィラ 『吸血鬼 紫女』 上賀茂神社 燃灯祭 『小松と玉箒草は夫婦和合を意味している?』
④萩の白花は雄鹿、紫花は雌鹿をあらわす?日本書紀に『トガノの鹿』という物語があり、鹿とは謀反人を比喩したものであるとする説があります。
雄鹿が『全身に霜がおりる夢を見た。』と言うと雌鹿が『霜だと思ったのは塩であなたは殺されて塩が振られているのです。』と答えました。
翌朝猟師が雄鹿を射て殺しました。
時の人々は『夢占いのとおりになってしまった』と噂しました。 (トガノの鹿)
大仏殿 鹿謀反の罪で殺された人は塩を振られることがあり、 鹿とは謀反人の象徴なのではないかというのです。
萩の別名は『鹿鳴草』といいます。なぜ萩のことを『鹿鳴草』というのでしょうか。
萩には白色の花と紫色の花がありますが、白い萩の花は塩を振ったように見えます。
また鹿の夏毛には白い斑点があり、その白い斑点もまた塩に喩えられたのではないでしょうか。
つまり、白い萩の花は謀反人=雄鹿をあらわすものだと思います。
そして紫色の花のほうは雌鹿をあらわしているのでしょう。
元興寺 彼岸花 萩 『なぜ萩の別名は鹿鳴草?』 ②の伝説に登場する白いサルスベリは王子の象徴、赤い(紫)のサルスベリは娘の象徴ではないでしょうか。
百毫寺 萩⑤深草少将百代通い伝説②の伝説によく似た伝説が日本にあります。
小町を慕う深草少将に小町は「百日間私のもとに通いとおしたならば、あなたのものになりましょう」と約束をしました。する。
深草少将は毎夜小町のもとに通い続けましたが、今日で100日目という雪の夜に凍えて死んでしまいました。
100日という約束が果たせずに死んでしまったという点が⓶の伝説と同じですね。
欣浄寺 小野小町・深草少将供養塔⑥猿は百日紅の木を登りきると神になる?』
お百度まいりという習慣がありますね。
現在では1日に100度参拝したり、100度でなくても自分で定めた回数参拝すればよいとされることが多いですが、もともとはひとつの神社に毎日参拝することをいいました。
100回参拝すると祈願成就するというような民間信仰があったのでしょう。
さるすべりという植物の名前は古い樹皮のコルク層がはがれおちやすく、つるつるしていることに由来するといわれます。
実際には猿はたやすく登ってしまうそうですが。
示す編に申(さる)と書くと、神となります。
鯉の滝登りといって、鯉は滝を登り切ることができると龍になるなどといわれます。
猿は百日紅の木を登り切ることで、神になることができると考えられていたのではないでしょうか。
そして99日目に死んでしまった朝鮮半島の王子や百夜通いが達成できなかった深草少将は申=猿であり、百日紅の木から落ちて神になれなかったと考えられたのではないでしょうか。
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