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大阪国際空港よりいたみ花火大会を望む 『飛行機の窓から見える小さな日本列島』 

いたみ花火 

伊丹空港から花火をとりたいと思ってでかけたのですが・・・・

大阪国際空港 展望デッキ 

午後4時の時点で展望デッキは ↑ こういう状態。
一番前のみ三脚置くことができますが、すでに埋まっていました。
ほかは三脚禁止だったようで、直前に注意されて場所を変えた人も。

聞いたところによると最近リニュアル工事があって写真のような柵が設置されたんだとか。
望遠レンズ使えば柵はぼかせる?

伊丹空港よりいたみ花火大会を望む3 

三脚置けないので柵のない別の場所から撮影。でもここからだと飛行場や飛行機が映らないwwwww
床がウッドデッキになっているので、揺れるしw

①日本列島の形をした島が浮かぶため池

大阪国際空港から飛行機に乗って2分ほどすると、飛行機の窓から日本列島が見えてきます。
昆陽池の中に人口の島として日本列島の形がつくられているのですね!

昆陽池

あ、でもちょっち方角が変!
なんで方角もきっちりあわせなかったのかなあ?




②行基は建築・土木の神として信仰された?

昆陽池は、奈良時代に僧・行基(668-749)が作ったと伝わるため池です。
ですが私は本当に行基が作ったのかどうかは怪しいと思います。

西遊寺 久修園院 雪 『行基四十九院と家型の四十九院』 
↑ 此方の記事にも書いたのですが
行基は畿内に多くの寺を建てており、それらの寺を総称して行基四十九院と言います。
行基は寺のほかに15のため池、溝と堀を9筋、橋を6橋作ったといわれ、行基が開いたとされる温泉もあります。
また、摂播五泊といって、摂津から播磨にかけて5つの港を整備したともいいます。

いくらなんでも数が多すぎるような気がします・・・・。

行基は建築・土木の神として信仰されていて、その結果、多くの寺院・橋・ため池・港などが行基が作ったといわれるようになったのではないかと思ったりします。

いたみ花火2 
あいかわらずピントずらしはうまくできないしw

③平安末期~鎌倉期にすでに昆陽池は存在していた。

行基没後400年ほどたったころに編纂された「行基年譜/天平13年記」には昆陽上池と下池があったと記されています。
ということは少なくとも平安末期~鎌倉期にはこのため池はあったということになると思います。

江戸時代初め、下池が埋め立てられ、1970年代に上池の3分の1が埋め立てられました。

江戸時代の史料によれば、池の広さは50ヘクタールもあったようです。
現在の池の広さは12.5ヘクタール、その南の貯水池が4.5ヘクタールということです。

いたみ花火3 

飛行機の光の軌跡だけとれたw

④洪水対策にも役立った昆陽池

伊丹の東には猪名川、西には武庫川が流れ、猪名川と武庫川に挟まれたところに伊丹台地があります。
伊丹台地は北の北摂山系から南の大阪湾まで緩やかな傾斜となっています。


伊丹台地の中央部を東西に伊丹断層があり、その伊丹断層の北、昆陽野、猪名野あたりは窪んで低い土地となっています。
これを昆陽池陥没帯または昆陽池地溝帯といいます。
昆陽池はこの昆陽池陥没帯を利用してつくられたため池のようですね。

昆陽池は灌漑用水をためておくほか、洪水の際にはここに水が流れ込み、被害を食い止める役割をも担ったということです。

伊丹空港よりいたみ花火大会を望む2 

りたかった写真のイメージを合成でつくってみたw


⑤昆陽池の島は鳥目線を意識して作られた?

随分以前に昆陽池に行ったことがありますが、地上から見たのでは島が日本列島の形をしていることはわかりません。
ナスカの地上絵や仁徳天皇陵が地上から見てもその形がわからないのと同じです。

私はナスカの地上絵や仁徳天皇陵は鳥の目線を意識して作られたものではないかと考えました。
空高く飛ぶ鳥の目線からなら、その形は容易に認識できるでしょうから。
そして、「死んだヤマトタケルが白鳥になって飛び立った」とか、「鳥たちがアメノワカヒコの葬儀をおこなった」という話が記紀にはあります。
ここから古の人々は死んだ人の魂は鳥になって天高く昇っていくと考えたのではないかと考えました。

それでは昆陽池の日本列島も、古の人々が死んだ人の霊のためにつくったのか?

というのはトンデモですw。

昆陽池周辺は1972年に公園として整備され、その際に日本列島もつくられたそうです。
昆陽池昆陽池の日本列島の形をした島は昭和になってから作られたもので、古からあったものではないのですw。

①で大阪国際空港(伊丹空港)から2分ほどで窓から昆陽池の島が見えると書きました。

昆陽池の日本列島の形をした島は飛行機の窓から見下ろす視線を意識して作られたのではないでしょうか。

伊丹空港よりいたみ花火大会を望む

⑥日本列島の形をした島は外国人旅行客に日本をアピールするため?

大阪国際空港は1939年(昭和14年)に大阪第二飛行場として開設され、太平洋戦争中は陸軍に使用されました。
敗戦したのち、占領軍が接収して伊丹エアベースと呼ばれました。
やがて接収が解除され、1959年に大阪国際空港と改称されました。

ですがこの大阪国際空港は近隣が住宅街なんですね。
豊中の友人の家の窓から遠くに大阪国際空港に離陸する飛行機が見えていましたが
飛行機がマンションの群れの中に突入していくかのように見えるんですよ。

大阪国際空港近くを歩いても、マンションに重なるように巨大な飛行機が見えます。
そしてゴオオオオーーーという轟音。
飛行機好きにはたまらない快音なんですが、騒音・排気ガスなどの公害問題が生じまして、
1994年に関西国際空港が開港されると国際便は関西国際空港に移されました。
(現在も大阪国際空港に国際便はあるとも聞きましたが)

ですが、かつて大阪国際空港は国際便が頻繁に離発着していたのです。
1970年の大阪万博の際には、大勢の外国の方が飛行機の窓から昆陽池の日本列島の形をした島を見たのではないでしょうか。

昆陽池に日本列島の形をした島をつくったのは外国人旅行客に日本をアピールするためではないでしょうか。

いたみ花火

⑦日本列島の形をした島は行基図にちなむ?


昆陽池に日本列島の形をした島をつくった理由としてもうひとつ考えられるのは行基が行基図をつくったといわれていることにちなむのではないかということです。


ただし行基図に北海道は含まれていませんが。

Gyokizu

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gyokizu.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/47/Gyokizu.jpg よりお借りしました。
村上勘兵衛(Murakami Kanbei) [Public domain]



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[2019/08/28 12:22] 兵庫県 | TB(0) | CM(2)

さゆうさんへ

さゆうさん、コメントありがとうございます。
友人には不自然に花火がでかい、と指摘されましたが
温かい言葉をありがとうございます。
とにかくあの柵はなんとかならないものかとおもいましたw
[2019/08/28 18:21] 佳音 [ 編集 ]

こんにちは。
飛行場での花火の撮影、初めて見ましたが、いいですねー。
飛行機と花火の組み合わせが不思議な感じでしたが、これもいいなーと思いました。
いいアイデアと思追いました。
[2019/08/28 15:32] さゆうさん [ 編集 ]

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