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淀川花火大会 『枚方の鍵屋は紀氏?』 

 
 
淀川花火大会 

花火大会の「鍵屋」「玉屋」という掛け声の由来

東京の花火大会では「鍵屋~」「玉屋~」と掛け声をかける習慣があるそうですね。
そういえば江戸川花火大会に行ったときに、そういう掛け声を聞いたような気がします。
(関西ではそういう習慣はあまりないです。)

「鍵屋」「玉屋」とは、江戸時代の両国川開きの大花火で花火をあげた2件の花火屋の屋号です。

「鍵屋」は六代目弥兵衛の代から両国川開きの大花火をはじめ、八代目鍵屋の時、番頭の清七がのれん分けしてもらって「玉屋」を開きました。

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②鍵屋の創業者

「鍵屋」の創業者・鍵屋弥兵衛は奈良県大塔町篠原の木地師集落に生まれ、三男坊であったため五條の火薬工場に奉公に出ました。

幕府は厳しく火薬を取り締まっており、製造場所も五條・三河など特定地域に制限していたようです。
五條で火薬が製造されていたのは、ここを治めていた松倉重政が1616年に島原城主となって以降、五條新町が天領(江戸幕府の直轄地)となったためではないかと思います。

鍵屋弥兵衛は五條新町の火薬工場で火薬の知識を得たのち、1659年に江戸に向かい、花火師となりました。

家康は鍵屋弥兵衛など一部の花火師を保護していたともいわれていますし、上京間もなく幕府御用達の花火師になっていますので、もしかしたら家康に呼ばれて江戸に向かったのかもしれませんね。

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鍵屋・玉屋と稲荷信仰

「鍵屋」の鍵と「玉屋」の玉。
ここから伏見稲荷大社の狐の像を思い出します。

伏見稲荷大社 狐 雪2

伏見稲荷大社 狐の像
 
狐の像が鍵と玉をくわえています。

実は、鍵屋・玉屋という屋号は、稲荷信仰からくるといわれています。
なんでも鍵屋は稲荷神を厚く信仰していたのだとか。

現在も伏見稲荷の門前には「玉屋」さんと言う茶店が残っており、昔は「鍵玉屋」と言う茶屋もあったということです。
https://itp.ne.jp/info/264203586300000899/

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⑤稲荷神は紀氏の神だった?

伏見稲荷大社は秦伊侶具なる人物が創建したと伝わりますが、これはどうやら嘘っぽいです。
もともと伏見稲荷大社がある場所には藤森神社があったのを、空海がここに伏見稲荷大社を建てたため、藤森神社は移転したというのが本当のようです。
藤森大社の祭では、氏子さんたちが神輿を担いで伏見稲荷大社に乗り込んで今でも「土地返せ、土地返せ」というのだとか。
いや、すごいお祭りですね。

また、最古の稲荷社は和歌山県糸我稲荷神社であるとも伝わります。
藤森神社は紀州(和歌山県)を本拠地としていた紀氏の神を祀るともいい、空海は紀氏の土地だけではなく神までも奪ったっぽい?

稲荷神とは紀氏の神なのではないでしょうか?

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⑥木地師の祖・惟喬親王の母親は紀氏だった。

鍵屋弥兵衛が大塔町篠原の木地師集落の生まれだったということを思い出してください。

木地師の祖は平安時代の惟喬親王だといわれています。
惟喬親王は巻物が転がるのを見て、木地師が用いるろくろを発明したという伝説があります。
(実は奈良時代に木製百万塔がろくろを用いて作られているので、事実ではない。)
この方の父親は文徳天皇で、母親が紀静子(紀名虎の娘)なのです。
当時、天皇に入内するのは藤原氏の女性が多かったですから、紀氏の母親を持つ親王は珍しかったのです。

文徳天皇には藤原明子(藤原良房の娘)との間には惟仁親王もありました。
文徳天皇は惟喬親王を皇太子にしたいと考えており、これを源信に相談しています。
源信は藤原良房を憚って文徳天皇をいさめ、その結果、惟仁親王が皇太子となっています。(のちの清和天皇)

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⑦木地師は紀氏の神・稲荷神を信仰していた?

木地師の祖・・・惟喬親王・・・母親が紀静子・・・稲荷神は紀氏の神?

そういうわけで木地師は稲荷神を信仰していた、なんてことはないかな?

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⑧枚方宿の鍵屋は伏見稲荷を信仰していた?

淀川花火大会は大阪市淀川区十三の淀川で行われていますが、淀川を京都方面へ、東にさかのぼっていくと枚方宿に鍵屋があります。

江戸時代、淀川は京都伏見と大坂を結ぶ水上交通が栄え、三十石舟が往来していました。
また枚方は宿場町でもあり、当時より枚方には多くの旅人が訪れていました。
鍵屋はそういった旅人が利用する料理旅館で平成9年まで営業していました。
現在は資料館となっています。

「鍵屋」は、その創業を天正年間と伝えられ(事実かどうかは不明)、1773年の「御済配書写」の中に、鍵屋当主とみられる「鍵屋太兵衛」の名前が登場します。

江戸時代、苗字を名乗っていいのは公家・武士で、一般的に庶民は苗字を名乗ることができなかったそうです。
ですが、苗字がなかったわけではなく、主人から苗字を賜ったり、地名を苗字として名乗ったりしていたようです。
商人は屋号を苗字のように用いたりしたということなので花火師の鍵屋弥兵衛も宿屋の鍵屋太兵衛も屋号を名乗っていたのではないかと思います。

そして鍵屋と名乗ったのは江戸の花火師の『鍵屋」「玉屋」、伏見の茶店「玉屋」「鍵玉屋」と同様、鍵屋太兵衛が稲荷神を深く信仰していたからかもしれませんね。

枚方には紀氏の荘園もたくさんあったようです。
http://zan35441.on.coocan.jp/sub10-2222.html

鍵屋太兵衛は紀氏であった可能性もありそう?

枚方宿 鍵屋 菊2 

鍵屋(枚方宿)



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