滋賀県大津市 天孫神社
大津祭 → 大津祭の歴史と日程
●大津祭の粽は食べられます。曳山から粽やてぬぐいなどが蒔かれます。
祇園祭の粽も昔はこんなふうに山鉾の上から撒いていたそうですね。
節分の豆なんかもそうですが、私はとろいのでようとらないんです。
でも友人がとった粽をくれました。(ありがとうー)
祇園祭の粽とちがって中にはおもちが入っていて食べられるんですよ~。
●分断されたタペストリー1613年、伊達政宗の命をうけて支倉常長がヨーロッパを訪問した際、5点シリーズのベルギーブリュッセル製タペストリーを貰い受けました。
この5点シリーズのうち2枚は分断され、それぞれ所有者が別になっています。
①加賀前田育徳会(東京)
②増上寺(東京)
③祇園祭(京都)鯉山
④分割されて祇園祭(京都)白楽天山・大津祭(滋賀)月宮殿山・龍門滝山へ。
⑤分割されて祇園祭鶏鉾・霰天神山(京都)・長浜曳山祭(滋賀)鳳凰山へ。
タペストリーを切ってしまうなんてケシカランと思いますが
他にも1919年に佐竹本三十六歌仙絵巻が歌人ごとに切り離されたりしていますね。
佐竹本三十六歌仙絵巻(鎌倉時代)が切り離されたのは、高価すぎて切り離さないと売れなかったためだそうです。
タペストリーが分断されたのもこのような経済的事情があったのかもしれません。
今は文化財保護法でそういうことは禁止されています。
●祇園祭鯉山
それではタペストリーを見てみましょう。たぶんオリジナルではなく、復元されたものだと思いますが。
まずは③の祇園祭鯉山から。

祇園祭は日本の伝統的な祭ですが、このタペストリーは全く日本的ではありません。
そのミスマッチ感がオモシロイ。
●祇園祭白楽天山・大津祭月宮殿山・龍門滝山次に④の分断されたタペストリーの写真を見てみましょう。
↑ 祇園祭 白楽天山 ↓
↑ 大津祭 月宮殿山
↑ 大津祭 龍門滝山タペストリーを分断するのはケシカランかもしれませんが、こうして遠く離れた別の場所にそれぞれが現存しているというのは感動的ですね。
●祇園祭鶏鉾・祇園祭霰天神山・長浜曳山祭鳳凰山⑤の祇園祭鶏鉾・園祭霰天神山・長浜曳山祭鳳凰山の写真にいってみよー。
※長浜曳山祭は行ったことがないので、長浜曳山祭の鳳凰山はこちらをご覧ください。↓
http://www.nagahama-hikiyama.or.jp/introduction/houou.php
↑ 祇園祭 鶏鉾
↑ 祇園祭 霰天神山●ギリシャの神々と日本の神々を習合しちゃった?祇園祭は八坂神社のお祭で、八坂神社の御祭神はスサノオ。
大津祭は天孫神社のお祭で、御祭神は彦火火出見尊です。
そのお祭にこの西洋的なタペストリーを用いるというのはある意味すごいです。
タペストリーはギリシャの詩人・ホメロが著した『イーリアス』『オデュッセイア』をテーマにしたもだそうです。
もしかして、昔の日本人はギリシャの神と日本の神を習合していたのかも?
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ギリシャの神々と仏様も習合しちゃった?加賀前田育徳会と芝増上寺の2枚のタペストリーは伊達家から徳川家に献上されたものです。
その後、1枚は徳川家によって菩提寺だった増上寺に献上され、もう一枚は前田利常に徳川秀忠の次女が嫁いだ縁で徳川家から前田家に贈られたのではないか、と考えられています。
残念ながら芝増上寺のものは明治の火災で焼失してしまいました。
消失前は増上寺の本尊後ろにかけられていたそうです。
タペストリーがお寺の本尊の後ろにかけてあったというのはびっくりです。
日本人はインドの神様(仏教)も中国の神様(道鏡)も日本の神様もいっしょくたで、何でもかんでも習合して信仰してましたが
ギリシャの神様と仏さまも習合しちゃった、ということなんでしょうか?
