fc2ブログ














祇園祭 宵山 月鉾 『月鉾を調べたら伯牙山の謎がとけた?』 

祇園祭 宵山 7月14日~7月16日
山鉾巡行 7月17日

祇園祭 宵山 月鉾3

①かつら男ほく

鉾頭に月がかかっている?
よく見ると月は飾りでした。梅雨空の隙間から差し込んだ夕日が鉾の飾りの月を本物の月のように輝かせていたのでした。

月を鉾頭にいただくその鉾は月鉾と呼ばれています。
天王坐には月読尊をお祭りしていますよ。

古には月鉾は「かつら男ほく(ほこ)」と呼ばれていたそうです。
「かつら男ほく」は漢字では「桂男鉾」と書くのだと思います。

祇園祭 宵山 月鉾2

②中国人は月のクレーターの影を『桂を刈る男』に喩えた。


中国・唐代の書『西陽雑俎』によれば、「桂男」は月に住んでいる人間(桂男という名前から察するに男性なのでしょう。)で、名前は呉剛。
仙法を学んだ罪で月にある月宮殿で500丈(約1500メートル)もの高さの桂(モクセイ)を刈っているとあります。

モクセイの樹高は3-6m、雌雄異株で、約4㎜ほどの花には香気があるということです。

日本では月には兎が住んで餅つきをしているといわれています。
月のクレーターが作りだす影を兎が餅つきをする姿に喩えたのです。

中国では薬草をつく兎、ヒキガエル、蟹などに見立てるそうですが、
桂を伐る男も、月のクレーターの形を見立てたものだったりして?

月と兎

③伯牙と木こりの鍾子期


桂男の話を聞いて、私は昨日の記事  祇園祭 宵山 伯牙山 『琴の名人・伯牙は鳴沙山を擬人化したものだった?』 に書いたことを思い出しました。

春秋時代、伯牙は古琴を弾く名手であった。船で遠出した彼は中秋の夜、偶然きこりの鍾子期に出会う。伯牙が弾く一曲ごとに、鍾子期はその曲の内容と、そこに込めた伯牙の気持ちを言い当てた。2人は船上で、お互い胸の内を打ち明け、兄弟の契りを結び、1年後、再びこの場所で出会うことを約束した。

翌年の中秋、伯牙は約束の場所で演奏していたが、鍾子期の姿は見えなかった。鍾子期はすでにこの世を去っていたのだ。鍾子期は亡くなる前、自分の魂が伯牙と約束した場所で会えるように、岸辺に埋葬させたことを、伯牙は後に知った。

伯牙は鍾子期の墓前に来て、泣きながら琴を弾いた。周りを取り囲んだ観衆は、手をたたき笑いさざめいた。伯牙は天を仰ぎ、大きくため息をついて、「鍾子期がいなくなった今、誰が私の琴の音を理解してくれるだろうか」と、古琴の弦を切り、たたき壊してしまった。(2005年12月号より)(写真・文=魯忠民)

http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2008-09/02/content_148510.htm より引用

伯牙山 ご神体2 

伯牙山ご神体 拍牙 手には琴を壊す斧を持っています。

③伯牙は鳴沙山を擬人化したもの?

鳴沙山は風が吹くと砂が鳴る山だそうで、日本の鳴き砂と同様のメカニズムで音をたてると考えられています。
ただし日本の鳴き砂は海岸にあるのに対し、鳴沙山は砂漠にある山です。

日本の鳴き砂で有名な琴引浜には、鳴き砂文化館があり、そこにブーミングサンドの装置があるそうです。
鳴き砂のことを英語でブーミングサンドというのでしょう。



何やら恐ろし気な音ですが、日本の有名な鳴き砂の浜を琴引浜というところから、私は琴の名手・伯牙敦煌にある鳴沙山(めいさざん)を擬人化したものではないかと考えました。

④何やら関係がありそう?伯牙と月牙泉。


敦煌の鳴沙山の前には月牙泉があるそうです。




「月牙」は中国語で三日月を意味します。 月牙泉は砂漠の中のオアシスで、三日月に加工された池があります。

伯牙と月牙泉は伯が共通します。
また、伯牙は中秋の夜(陰暦8月15日、満の夜)きこりの鍾子期に出会ったとあり、牙泉をイメージさせます。

祇園祭 月鉾

⑤鍾子期は月で木を伐る桂男?

昨日の記事 祇園祭 宵山 伯牙山 『琴の名人・伯牙は鳴沙山を擬人化したものだった?』 を書いた時点では、
鍾子期が木こりであるということにどういう意味があるのか、わかりませんでした。

また伯牙=鳴沙山とすると、伯牙が琴をひかなくなったというのは「鳴沙山が鳴らなくなった」という意味になります。
しかし、鳴沙山は現在でも鳴っているようなので、伯牙=鳴沙山とするのは間違いなのか、とも考えました。

ですが桂男の話を聞いてピンときました!
木こりの鍾子期とは月に住んで桂を伐っている桂男ではないでしょうか。

祇園祭 宵山

⑥桂男は満月に近い日に現れる。

伯牙と鍾子期が出会ったのは中秋(陰暦8月15日)とあります。
陰暦は月齢をベースとした暦で、
新月の日は1日、三日月の日は3日、満月(十五夜)の日が15日のように、月齢(月相)によって日にちがきまっています。

桂男は満月に近いときにはその形が見えますが、三日月など月が部分的にしか見えないときには形がわかりませんね。
だから、伯牙と鍾子期が出会ったのは中秋(陰暦8月15日)だったと考えることができます。

伯牙と鍾子期は1年後に再開を約束しました。
ということは来年の旧暦8月15日に会おう、と約束したということですね。

⑦雨が降ると鳴沙山の砂は鳴らないのでは?


この日は満月なので伯牙と鍾子期は再開をはたすことができたはずですが、月=桂男=鍾子期が死んでしまって会うことができなかったとあります。

鳴沙山があるあたりは砂漠なので乾いた気候なのでしょうが、再開を約束した日はたまたま雲がでて月=桂男=鍾子期を隠していたのではないでしょうか。
また雲は雨を降らせ、湿度があがったため、風が吹いても鳴沙山の砂は鳴らなかったのではないでしょうか。

祇園祭 山鉾巡行 月鉾 

祇園祭 山鉾巡行 月鉾




歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!





にほんブログ村    

関連記事

[2019/07/22 16:35] 京都の祭 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://kntryk.blog.fc2.com/tb.php/1525-a873b007