祇園祭 宵山・・・7月14日~17日
①祇園祭とノアの箱舟は関係ない?
岩戸山の前の古民家では岩戸山のタペストリーなどが展示されていました。
下の写真のタペストリーにはveniceと書いてあります。
祇園祭のタペストリーにはこういう日本的でないものがすごく多いです。
ギリシャ神話を題材にしたものもあり、山鉾巡行が行われる7月17日はノアの箱舟がアララト山に漂着した日なので
山鉾巡行はノアの箱舟をテーマにしたものではないかとする説もありますね。
山鉾の中には船鉾もありますし。
でも残念!山鉾巡行はかつては旧暦6月17日に行っていたのを、新暦を用いるようになってから7月17日に改めたのです。
ですから山鉾巡行はノアの箱舟とは関係ないかと思います。
ただし17日が共通するというのは少し気になります。
旧暦6月17日ごろは梅雨、もしくは梅雨明けにさしかかるころなので、ノアの箱舟の話にある大雨・洪水をイメージさせますしね。
京都駅ビル 祇園祭イルミネーション 『祇園祭とノアの方舟は関係ない?』
②岩戸山の天照大神は男神このブログで何度もしつこく「各地に天照大神は男神だと伝わっている。」「天照大神は男神だとする説がある。」
と書きました。
「天照大神は男神』その証拠がなんとっ!祇園祭岩戸山にあったのです。
ちょっとわかりにくいですが、ご神体が三体祀られていますよ。
↑ 向かって左は天手力男(アマノタジカラヲ)。
天岩戸に隠れた天照大神が岩戸を少しあけて外を覗きこんだところを引っ張り出したのが天手力男です。
↑ 向かって右はイザナギ。
イザナギは天照大神の父親ですね。
イザナギとイザナミは夫婦となって国産み、神産みをしましたが、イザナミは火の神・カグツチを産んだ際にホトに火傷をおって死に、黄泉の国へ行ってしまいました。
イザナギは黄泉の国へいきイザナミに「帰ってきておくれ」といいますが、イザナミの腐り蛆のわいた姿に愛情が覚め、この世に逃げ帰ってしまいます。
そして川で禊をし、右目を洗ったところ天照大神が、左目を洗ったところ月読命が、鼻を洗ったところスサノオが生まれました。
↑ そして中央は天照大神ですが、男神です!
陰陽の考え方では「万物には陰陽両面がある。」と考えます。
天体は太陽が陽で月は陰。性別では男が陽で女が陰です。
ですから太陽は男神のほうが陰陽道の考え方からしてもぴったりくるのです。
| 天地 | 性別 | 天体 | 光度 | 天気 | 生死 |
陰 | 地 | 女 | 月 | 暗 | 雨 | 死 |
陽 | 天 | 男 | 太陽 | 明 | 晴 | 生 |
③本当の天照大神は物部氏の祖神・ニギハヤヒ?天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしみかたま にぎはやひ の みこと)という神様が本当の天照大神ではないかとする説があります。
天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命というのは先代旧事本紀の記述で、記紀では単にニギハヤヒとなっています。
物部氏の祖神で、初代神武天皇より早く畿内に天下っていたとされる神様です。
ナガスネヒコはニギハヤヒを神として奉じていて、あとからやってきた神武と対決します。
しかしニギハヤヒは神武に服し、ナガスネヒコはニギハヤヒに殺されたと記紀には記されています。
この説話から、初代神武天皇以前、日本には物部王朝があったのではないかとも言われています。
③アメノウズメ=月読命?
↑ 展示物の中にこんなポスターがありました。
↑ お面も展示されていましたよ。
7月14日、岩戸山では「岩戸山天岩戸のカミあそび」と称して、アメノウズメノミコト(天宇受売命・天鈿女命)が舞う神楽「天岩戸開き」を奉納しているそうです。
ポスターはこれを撮影したもので、展示されていた小面の面はアメノウズメだったのですね。
アメノウズメはおたふくのお面が用いられることもありますが、御香宮の祭礼でもアメノウズメの面として小面が用いられていました。
御香宮に飾られていたサルタヒコとアメノウズメサルタヒコは天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命と同一神だと思います。
というのは、サルタヒコは「高天原から葦原中国までを照らす神」と記紀に記されているのです。
高天原は天、芦原中国は国で「高天原から葦原中国までを照らす神」は「天照国照彦」ということになるからです。
御香宮のサルタヒコ&アメノウズメは、天照大神(天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命)&アメノウズメでもあるということになります。
日本の同祖神は猿田彦とアメノウズメの男女双体の神とされます。
多気山不動尊 道祖神天照大神はアメノウズメのストリップダンスに興味をもって岩戸からでてきた。よって天照大神とは男である。
とする説があります。
どうも(天照大神=照国照彦火明櫛甕玉饒速日命=サルタヒコ)とアメノウズメは夫婦のようです。
すると、天照大神は太陽神なので、アメノウズメは月の神ではないかと思えます。
もう一度②であげた陰陽表をはっておきますね。
| 天地 | 性別 | 天体 | 光度 | 天気 | 生死 |
陰 | 地 | 女 | 月 | 暗 | 雨 | 死 |
陽 | 天 | 男 | 太陽 | 明 | 晴 | 生 |
記紀神話には月の神として月読命が登場します。
アメノウズメと月読命は同一神ではないでしょうか?
④太陽と月が結婚すると星の神になる。中国に伏義と女媧という神様がいます。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AAnonymous-Fuxi_and_N%C3%BCwa3.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a9/Anonymous-Fuxi_and_N%C3%BCwa3.jpg よりお借りしました。
作者 匿名 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で↑ この図をみると二神の周囲に星宿図のようなものが描かれ、上中央には菊の紋のようなものが、下中央にはクロワッサンのようなものが描かれています。
菊の紋のように見えるのは太陽、クロワッサンのように見えるものは月ではないでしょうか。
五盔墓4号墳の壁画に描かれた絵では、伏義が持ち上げている円の中には八咫烏が、女媧が持ち上げている円の中にはヒキガエルが描かれています。
八咫烏は太陽の中に、ヒキガエルまたはウサギは月に住むと考えられていました。
伏義と女媧には次のような伝説があります。
伏羲が妹の女媧にプロポーズしたところ、女媧は「私を捕まえることができたら結婚しましょう」といいました。
女媧は木の周囲を回って逃げ、伏羲はあとをおいました。
けれど、なかなか女媧を捕まえることができません。
そこで伏義はいったん止まり、逆に廻って妹を捕まえました。
こうして伏義と女媧は結婚しました。
やがて女媧は出産しましたが、それは肉塊でした。
その肉塊を切り刻んだところ風が吹いて肉が飛び散り、人間となりました。 伏義は陽、女媧は陰の神だと考えられますが、伏義は太陽神、女媧は月神であるとも考えられます。
太陽(伏義)が月(女媧)をなかなか捕まえられないのは当然ですね。
太陽が月を捕まえるとは、太陽と月が重なること、日食のことでしょう。
古代中国では紀元前4世紀の天文学者・石申が月と太陽の相対位置から日食を予測する方法を説いています。
日食とは太陽と月が重なっておきる現象であるということは古くから知られていたのだです。
伏義はいったん止まり、逆に廻って妹を捕まえたとありますが、太陽は止まることはないし、逆に廻ることはありません。
これは目の錯覚を表現したものではないでしょうか。
太陽や月は東から西に進みますが、日食の影は西から東に進むので、太陽が逆に廻ったように錯覚したのではないかと思います。
↓ こちらの動画を見ると日食の影が西から東へ(右上から左下へ)進んでいくのがわかります。
※『太陽や月は東から西に進みますが、日食の影は西から東に進むので、太陽が逆に廻ったように錯覚したのではないかと思います。』と書きましたが、
上の動画を見ると西から東へ進んでいるのは太陽というよりは月のほうのように見えますね・・・。
伏義=陰/月・大地なんでしょうか?2012年の金環日食では、かなり暗くはなりましたが、夜のように真っ暗にはなりませんでした。
しかし皆既日食では日没後20分から30分くらいたった程度に暗くなり、明るい星であれば観測されるそうです。
「やがて女媧は出産しました」とありますが、女媧が生んだものとは、日食がもたらすものことでしょう。
日食の結果、闇が生じて星が見えます。
「その肉塊を切り刻んだところ風が吹いて肉が飛び散って人間となりました。」
とありますが、夜空にきらめく無数の星は、切り刻んだものが飛び散ったかのように見えます。
死んだ人の霊は星になると考えられていたのではないでしょうか。
お盆の習慣が生じたのは、ベルセウス座流星群が流れる様子を見て、先祖の霊が帰ってくると、古の人々が考えたためだと思います。
「肉塊を切り刻んだところ風が吹いて肉が飛び散って人間となりました。」というのは、人間は人間でも死んだ人間の霊=星のことを言っているのだと思います。
もう一度伏義と女媧の絵を見てみましょう。
伏義(太陽)と女媧(月)が蛇身の下半身をからませあい、その周囲にはたくさんの星が描かれています。
これは日食のようすを描いたものではないでしょうか。
道祖神はもともとは中国の神なので、伏義(太陽)と女媧(月)が和合した姿をした神なのだと思います。
そしてそれが日本に伝わって、サルタヒコ’(太陽)とアメノウズメ(月)が和合した神として信仰されたのでしょう。
太陽と月が結婚するというのは日食のことで、日食になると暗くなって星が見えますから、道祖神は星の神です。
北にあって動かない北極星や真東からのぼって真西に沈むオリオン座の三ツ星は航海の指標とされていました。
太陽や月は日によって位地が変わるので航海の指標にはふさわしくなかったのです。
航海の指標とされた星の神を道祖神と呼ぶのはなるほどと思えます。
岩戸山 山鉾巡行 山の屋根にはイザナギが祀られています。
⑤イザナギ、陽の神→天の神→太陽神→生の神と変化する。と、このように考えてみたところ、岩戸山のご神体としてイザナギが祀られている理由がわかったような気がしました。
岩戸山で天照大神として祀られている男神はニギハヤヒ=猿田彦だと考えられます。
そして7月14日の神楽では山の前でアメノウズメの神楽が奉納されます。
これは太陽神(天照大神=ニギハヤヒ=サルタヒコ)を月神(アメノウズメ)と和合させて星の神とする儀式なのではないでしょうか。
そして天照大神の父・イザナギもイザナミと和合しています。
イザナギとイザナミは天の浮桟橋(うきさんばし)でアメノヌボコを降ろして、海をかき回すと、海水がしたたってオノゴロ島ができました。
私はイザナギは天の神、イザナミは地の神だと思います。
イザナギは天の神なので北極星を中心として天を動かす力を持っていたのではないでしょうか。
そしてその天を動かす力が地上にも影響した結果、鳴門の渦潮が生じたと昔の人は考えたのではないかと思います。
星は左回り、鳴門の渦潮は右回りが多い(左回りもある)と言われるかもしれませんが、それは地上にいる私たちが向きを変えて見ているからです。
つまり私たちは星を見るときには上向きに、鳴門の渦潮を見るときには下向きに見ていますね。
でも天球に星が張り付いているものと仮定し、その天球の上から見ると星の回転も、鳴門の渦潮の回転も右回りに見えるはずです。
イザナミが国(本州・四国・九州など)を産むことができたのは、イザナミが大地(地球)の神だからでしょう。
そして鳴門の渦潮は地の神・イザナミの巨大な女陰だと考えられたのではないでしょうか。
赤ちゃんは生まれてくるとき右回りに回転しながらお母さんの膣の中から出てきます。
鳴門の渦潮は左回転もあるそうですが、多くは右回転なのだそうです。
鳴門の渦潮おのごろ島とは鳴門の渦潮の近くにある島のことだと思います。
イザナギとイザナミはおのごろ島に成り立ち、大きな柱をたてました。
そしてイザナギは右回りに、イザナミは左回りに回って出会い、エッチしようということになりました。
このくだり、④に書いた伏義&女媧の物語に似ていますね。
女媧は木の周囲を回って逃げ、伏羲はあとをおいました。
けれど、なかなか女媧を捕まえることができません。
そこで伏義はいったん止まり、逆に廻って妹を捕まえました。
こうして伏義と女媧は結婚しました。おのごろ島に立てた柱とは地球そのもの、その周囲をまわるイザナギや伏羲は太陽、イザナミや女媧は月ということでしょう。
これを思いついたのは飛鳥昭雄さんが、記紀神話と聖書の記述がそっくりであるとして、次のように指摘されていたからです。
聖書2日目/神は大空を作り大空の下と大空の上に水を分けました。
古事記神世第2代/豊雲野神 ※豊かな雲は大空の上を、野は大空の下に対応。
聖書3日目/神は地と海を作りました。
古事記神世第3代/宇比地邇神・妹須比智邇神
※宇比地は泥土で海、須比智は砂土で地に対応。
聖書4日目/神は太陽に昼を治めさせ月に夜を治めさせました。
古事記神世第4代/角杙神・妹活杙神
※ヘブライ語で角・光るは同様に『krn』と記します。このため古代よりしばしば混同され、ミケランジェロがモーゼの像に角をつけてしまったという例もあります。
杙は牛や馬を繋ぎとめておくためのもの。
つまり角杙神は光りながら地球のまわりを回る神(太陽)。
妹活杙神は満ち欠けしながら(活)地球の周りをまわる女(妹)神。 聖書5日目/神は水中生物・鳥を造り、祝福して言いました。生めよ、増えよ。
古事記/神世第5代/意富斗能地神・妹大斗乃弁神
※意富斗・大斗は世界。地は男性・弁は女性の意。つまり「男の世界」「女の世界」。
聖書/6日目/神は獣と人間を造り、造ったものを見て満足しました。
古事記/神世第6代/於母陀流神・妹阿夜訶志古泥神
※日本書紀では面足尊。地の面が完成したこと。あやに畏し(阿夜訶志古)は賞賛を意味します。つまりすべて完成し、あやに畏しと神が満足したということ。
杙は牛や馬を繋ぎとめておくためのもの。
つまり角杙神は光りながら地球のまわりを回る神(太陽)。
妹活杙神は満ち欠けしながら(活)地球の周りをまわる女(妹)神。 とあるところに注意してくだい。
| 天地 | 性別 | 天体 | 光度 | 天気 | 生死 |
陰 | 地 | 女 | 月 | 暗 | 雨 | 死 |
陽 | 天 | 男 | 太陽 | 明 | 晴 | 生 |
おそらくイザナギは陽の神、イザナミは陰の神なのでしょう。
アメノヌボコを海に差し入れてかき回したとき、イザナギは天、イザナミは地の神に転じました。
そして国産みをする際には、イザナギは太陽、イザナミは月の神に転じています。(二神が柱をたててまわっているため)
つまり、イザナギは天照大神に、イザナミは月読命に転じたということです。
それで、岩戸山では天照大神とともにイザナギも祀っているのではないでしょうか。
ついでに書いておくと、そのごイザナギは生の神、イザナミは死の神へと転じています。
イザナギとイザナミは夫婦となって国産み、神産みをしましたが、イザナミは火の神・カグツチを産んだ際にホトに火傷をおって死に、黄泉の国へ行ってしまったのです。
イザナギは黄泉の国へいきイザナミに「帰ってきておくれ」といいますが、イザナミの腐り蛆のわいた姿に愛情が覚め、この世に逃げ帰ってしまったのです。
イザナギは黄泉平坂に大きな石を置いてあの世とこの世を隔てました。
イザナミは石の向こう側から「あなたの国の人を一日1000人殺してやる」と言うと、伊邪那岐命は「 それならば私は産屋を建て、1日1500の子を産ませよう」と言いました。一日1000人殺してやる・・・死の神
1日1500の子を産ませよう・・・生の神
↑ 岩戸山山鉾巡行でイザナギが屋根に祀られるのは、イザナギが天の神だからではないでしょうか。⑥アメノタジカラヲは太陽・月の日周運動をおこす神太陽と月が重なって起きる日食は、ほおっておくと終わり、太陽は再び明るく照らすようになります。
なぜほおっておくと日食は終わるのかというと、太陽や月が日周運動をしているからです。
ということは天照大神を引っ張り出したアメノタジカラヲは太陽や月の日周運動をおこす神なのでしょう。
⑤で北極星には夜空を回転させる力があると書きましたが、太陽や月はこれとは異なる動きをするので、別の神としてアメノタジカラヲという神を創作したのではないでしょうか。
ただ、イザナギは天の神なので、北極星の神・太陽の神・月の神・太陽と月の日周運動をひきおこす神はイザナギの分身だと考えられると思います。
⑦天照大神・月読命・スサノオはなぜイザナギ一柱から生まれたのか?
イザナギとイザナミは夫婦となって国産み、神産みをしましたが、イザナミは火の神・カグツチを産んだ際にホトに火傷をおって死に、黄泉の国へ行ってしまいました。
イザナギは黄泉の国へいきイザナミに「帰ってきておくれ」といいますが、イザナミの腐り蛆のわいた姿に愛情が覚め、この世に逃げ帰ってしまいます。
そして川で禊をし、右目を洗ったところ天照大神が、左目を洗ったところ月読命が、鼻を洗ったところスサノオが生まれました。天照大神・月読命・スサノオはイザナギ一柱から生まれています。
⑥のように考えたとき、なぜイザナギ一柱から天照大神・月読命・スサノオが生まれたのかという謎もとけます。
スサノオは「イザナギに大海原を治めよ」と命じられていたり、「母(イザナミ)のいる根の国にいった」と記されていたり、神格がはっきりしません。
おそらく記紀は改竄されています。
スサノオの本当の神格は星の神だと思います。
というのは陰陽道の宇宙観では、東を太陽の定位地、西を月の定位地、中央を星としているそうなんです。
そして地図では東が左で、西が右です。
「東が右で西が左じゃないの」といわれるかもしれませんが、それは正しくは「東は向かって右、西は向かって左」です。
地図の側にたてば東が左で西が右になります。
記紀の記述は陰陽道の宇宙観をあらわしているのだと思います。
そして、太陽・月・星があるのは天であって、地にはありません。
それでイザナギが単独で天照大神・月読命・スサノオを産んだという話になっているのではないでしょうか。
長刀鉾
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毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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