誰がデザインされたんでしょう?超カワイイんですけど!①雨粒は豚まんの形をしている。ぴちょんくんは湿気なんだそうですが、ティア―ドロップ(擬宝珠を長くしたみたいな形)の形をしていますね。(下の写真を参照してください。)
これから梅雨で雨が多くなってきますが、雨粒もティア―ドロップの形をしていると思っていました。
ところが、そうではなく、雨粒って豚まんの形をしているそうです。
空気の抵抗でドロップの下側がつぶれたような形になるんだとか。
友人に教えてもらいました。
運転してみたい?②梅雨(つゆ)という言葉が使われるようになったのは、江戸時代以降。ところで梅雨という言葉は、中国由来の表記のようですね。
「なんでも梅学」というサイトに次のように記されていました。
「梅雨」とは、6月~7月中旬、中国の長江下流域から朝鮮半島、
日本列島(北海道を除く)に見られる雨期のこと。
それほど雨足の強くない雨が、長期に亘って続くのが特徴。 現在、中国では「梅雨(メイユー)」、韓国では「長霖(チャンマ)」と呼ぶ。
~略~
「梅雨」という言葉は、江戸時代に日本へ伝わり、
その頃から、日本でも「梅雨(つゆ)」と呼ばれるようになった。
~略~
「梅雨」という言葉が伝わる以前は「五月雨(さみだれ)」といった。
「さ」は陰暦の5月(現在の6月)、「みだれ」は「水垂れ」を意味する。
https://minabe.net/gaku/kurashi/tsuyu.htmlより引用
梅雨(つゆ)という言葉が使われるようになったのは江戸時代だったんですね。
もっと昔からある言葉だと思っていました。(汗)
③「五月雨(さみだれ)」の「さ」は接頭語の「さ」?
上のサイトでは「さ」は「陰暦五月」をさすとしています。
しかし、ウィクショナリーで「さ」を調べると次のように記されています。
接頭辞
- 【小、狭】 語調を整える。実質的な意味はないが、時に美化して言う。
- さゆり(小百合)
- さぎり(狭霧)
- 狭衣(狭衣)
- 狭山(狭山)
- 田植えの時期に関係のあることを表す。
- さぬだれ(五月雨)
- さおとめ(五月女、早乙女)
- さなえ(早苗)
- 【早】早い時期のものを表す。
- 強調する
- 時間を表す語について、その先のものを表す
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%95 より引用
飛鳥 勧請綱と田植え
④陰暦5月は神聖な月だった?上のウィクショナリーの説明で、「2.田植えの時期に関係があることを表す」とありますね。
田植えは神聖なものなので「1.時に美化していう」を適用して、五月雨・早乙女・早苗などと言うのかもしれません。
しかし陰暦5月自体が神聖なものであった可能性もあるかも?
というのは、5月5日は磐船神社の祭礼日なのです。
磐船神社 十種祭 『端午の節句はニギハヤヒの節句?』 詳しいことは、上の記事に書いたのでお読みいただけると嬉しいです。
磐船神社の御祭神はニギハヤヒです。
記紀によれば、この神は、初代神武天皇よりも早く畿内に天下っていたとされる神で、物部氏の祖神とされます。
そういったことから、畿内には神武以前、物部王朝があったとする説もあります。
そこへ日向から神武が東征してやってきて、物部王朝→天皇家王朝と政権交代がおきたと。
記紀にはそう書いてあるように思えます。
政権を奪われたニギハヤヒは怨霊になったことでしょう。
怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことで、疫病や天災は怨霊の仕業でひきおこされると考えられていたのです。
磐船神社 十種祭そしてニギハヤヒの怨霊のせいで、陰暦5月は悪月になったと考えられたのではないでしょうか?
陰暦5月は梅雨の長雨で湿度が高く(ぴちょん君が活躍する時期ですね)、食べ物にカビが生えたり、伝染病が流行ったり、害虫の害があったりするので悪月と呼ばれていたのです。
日本では田植えをする前に早乙女が「五月忌」をする習慣がありました。
若い娘たちが田の神のために仮小屋や神社に籠って穢れを祓い浄めたのだといわれています。
田の神とは5月に祭礼を行う怨霊ニギハヤヒのことで娘たちはニギハヤヒの為に穢れを祓っていたのかも?
(かつて怨霊と神は同義語であったといわれます。怨霊が祟らないように神として祀ったなどといわれます。)
そういえば磐船神社では大きな岩石が積み重なった穴を潜り抜ける岩窟めぐりをすることができるんですが
神聖な場所であるとして、上の写真のような白衣着用が義務付けられています。(事務所で貸してくれます。)
下でバーチャル岩窟めぐり体験ができますよ。ぜひお試しを!
http://www.osk.3web.ne.jp/~iw082125/gankutu.htmlただし、陰暦を用いていた時代、磐船神社の祭礼日がいつだったのか、確認する必用がありますが。
現在磐船神社の祭礼日は太陽暦5月5日です。
陰暦を用いていた時代、陰暦5月5日画祭礼日だったので、太陽暦を用いるようになってからも5月5日を太陽暦としたのか。
あるいは、陰暦4月の祭礼であったのを、季節をあわせるために月遅れの5月に祭礼を行うようになったのかもしれません。
鏡作神社 おんだ祭 早乙女さんたち
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