大阪市天王寺区 一心寺
2019年6月9日 撮影(一心寺・四天王寺 牛王尊のみ)
今年も一心寺にやってきました。
友人にジャカランダの花を見せてあげたかったかったのです。
すごく喜んでくれたのでよかったです♪
①しゃもじを奉納するのはミシャグジ神に対する信仰ジャカランダの花の下に本多忠朝の墓が。
本多忠朝はお酒が大好きで、そのため冬の陣では負けてしまい、家康にこっぴどく叱られたそうです。
それで名誉挽回とばかりに夏の陣では頑張ったのですが、討ち死にし 死ぬ間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれています。
史実ではなく、伝説じゃないかと思いますが。
そんなわけで本多忠朝の墓は「酒封じの神」として信仰され、禁酒祈願に訪れる人が大勢いるとのことです。
墓にはたくさんのしゃもじが奉納されています。
しゃもじを奉納するのは「ミシャグジ神」に対する信仰ですね。
ミシャグジはオシャモジとも呼ばれて信仰されている神で、諏訪地方では白蛇の姿をしているとか、タケミナカタや洩矢神と同一神ともされています。
②四天王寺にミシャグジ神の信仰があった?一心寺はの四天王寺と関係が深いお寺です。
四天王寺は聖徳太子が建てたとされる飛鳥時代創建の古いお寺ですね。
1185年、四天王寺別当慈円の要請をうけて、法然が四天王寺の西門の近くに、「荒陵の新別所」(のちの源空庵)を結んだのが一心寺の始まりとされます。
ということは、ミシャグジ神の信仰が四天王寺にあり、その影響をうけて本多忠朝の墓にしゃもじが奉納されているのかもしれません。
③ミシャグジ神=洩矢神=守屋神さきほどミシャグジは諏訪地方ではタケミナカタや洩矢神と同一神ともされていると書きましたが、
洩矢神は守屋神とも書きます。
そして、四天王寺は蘇我氏との闘いに敗れた物部守屋の土地と奴婢を用いて作られたお寺なのです。
四天王寺境内には守屋祠もあります。
④ミシャグジ神=石神=咳の神
上の写真は四天王寺にある「咳の地蔵尊」ですが、「石の地蔵尊」から語呂合わせで「咳の地蔵尊」となったのではないかと思います。
シャモジを奉納する習慣がある神社はたくさんあり、中には咳にご利益があるとされているところもあります。
それはミシャグジ→御石神→石→セキ→咳という語呂合わせではないかと思います。
⑤橘寺の二面石は石神?
聖徳太子生誕の地と伝わる橘寺にもたくさんの杓子が奉納されていましたが、ミシャグジ=石神とすると思い出すものがあります。
橘寺には二面石と呼ばれる石があるのです。
片面は善を、もう片面は悪をあらわすといわれます。
これは石神だといえるかもしれませんね。
⑥牛王尊と牛玉宝印四天王寺の境内をうろうろしていたら、石神堂がありました。
「牛王尊」と書いてあります。
場所は、四天王寺の鬼門、東北あたりですね。
東北を干支でいうと、、丑寅(うしとら)になります。
それで牛王尊は鬼門(丑寅)守護の神としてここに置かれているのでしょう。
聖徳太子が四天王寺を創建した際、材木を曳いた牛が石に変じて神となり、腫物にご利益があると信仰されているそうです。
牛王尊という名前から牛玉宝印(ごおうほういん)を思い出します。
四天王寺では毎年1月14日に、天井から投下した牛玉宝印(護符の一種)を奪い合う「どやどや」という行事が行われていますが
この「どやどや」は石神堂の牛王尊にちなむ行事なのかも?
⑦牛王尊=牛頭天皇?
また牛王尊という名前は牛頭天王を思い出します。
八坂神社などに祀られている神で、スサノオと習合されていますね。
八坂神社牛頭天皇はもともとは疫神で、天然痘をはやらせる神でした。
現在は、疫病から守ってくださる神として信仰されています。
真逆やん、と思うかもしれませんが、疫神の機嫌をとっておけば疫病にかからないように計らってくださるというわけです。
四天王寺の牛王尊は腫物にご利益があるとのことですが、腫物は皮膚の病であり、もともとは天然痘の神として信仰されていたのかもしれませんね。
天然痘の被害を伝えるアステカの絵(1585年)。パイプによる治療を試みている。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:FlorentineCodex_BK12_F54_smallpox.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7d/FlorentineCodex_BK12_F54_smallpox.jpg よりお借りしました。
n:Bernardino de Sahagún (1499-1590), compiler. Original illustration by unknown 16th-century artist; this version of the drawing by unknown 16th-century copyist. [Public domain]⑧くさの地蔵は瘡地蔵?
京都の安楽寺↑に「くさの地蔵」があります。(写真撮り忘れました~。とほほ~)
「くさの地蔵」は皮膚病・腫瘍を治してくださるお地蔵さまとして厚い信仰を集めているそうです。
なぜ「くさの地蔵」は皮膚病・腫瘍にご利益があると考えられたのでしょうか?
大阪府枚方市の片埜神社に瘡(くさがみ)神社があります。↓
片埜神社の境外社・瘡(くさがみ)神社 神殿はなく拝殿よりご神体の沼を拝む。瘡は「くさ」とよみ、「皮膚のできもの」を意味します。
「くさの地蔵」の「くさの」がもともとどのような漢字表記だったのかわかりませんが、「瘡」であったかもしれません。
またこれとは異なる漢字、たとえば「早」「草」「総」などであったのかもわかりませんが、この場合は音が「瘡」に通じることから「瘡にご利益のあるお地蔵さま」として信仰されたのではないでしょうか。
⑨北斗七星=ひしゃく=杓子「くさの地蔵」には柄杓を奉納する習慣があったようです。
安楽寺のhpには次のように記されています。
安楽寺には「くさの地蔵」さまへの願掛けやお礼に奉納された古い柄杓(ひしゃく)がたくさん残されています。
「柄杓」には北斗七星にかたどられ、世界中の神話に神聖な道具として登場するものです。http://anrakuji-kyoto.com/anrakuji.html より引用
ご飯をよそったり、汁をすくう道具のことを杓子といいます。
柄杓も杓子の一種だと考えられます。
https://www.digistyle-kyoto.com/magazine/12483↑ こちらにくさの地蔵の写真があります。どうやら木製のようで、石神とはいいがたいです。
しかし、瘡=天然痘の神=牛王尊=牛頭天皇=石神ということで、くさの地蔵はミシャグジ神と同一視されたのではないでしょうか。
⑩多賀大社の寿命石多賀神社にもしゃもじを奉納する習慣があります。
多賀大社に奉納するしゃもじを象った看板 多賀大社には、寿命石と呼ばれる石があります。
東大寺再建を命じられた重源が多賀大社に東大寺再建を果たすまでの延命祈願をし、東大寺再建後に座り込んでなくなった石だと言われます。
寿命石は多賀大社の神の石だといえます。
つまり多賀大社は石神であり、石神→シャクジン→ミジャグジ→シャクシとなって、杓子の一種であるしゃもじが奉納されるようになったのではないでしょうか。
⑪
なぜ弓でひいて音を出す楽器を胡というの?青龍山山頂に胡宮の磐座(いわくら)があり、多賀大社の奥の院と呼ばれているそうです。
その青龍山のふもとにある胡宮神社は多賀大社の関係の深い神社だと思われます。
胡宮神社磐座とは信仰の対象とされた磐や石のことです。
青龍山山頂にある胡宮磐座はまさしく石の神ですね。
胡宮神社の胡という漢字を漢和辞典で調べてみると、次のように書いてありました。
①獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くび
③なんぞ。なに。いずくんぞ。
④いのちがながい。としより。おきな。
⑤とおい。はるか。
⑥えびす。北方の異民族の名。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。
⑧祭器。
⑨でたらめのこと。
⑩ほこの首。ほこの先に曲がってわきに出たもの。
角川漢和中辞典(昭和51年 161版)より。①獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くびというのが特に気になります。
胡弓という楽器があります。
三味線に似ていますが、三味線と違って弓で弾きます。
琉球には胡弓(クーチョー)、中国には二胡と読いう楽器がありますが、やはり弓で弾きます。
さらに、擦弦楽器を総称して胡弓と呼ぶこともあり、明治初期にはバイオリンのことも胡弓といっていたようです。
つまり弓でひくものが胡弓であり、指やバチではじく三味線やギターは胡弓ではないのです。
それは弓でひくことに、首を刀などで切断しているイメージがあるからではないでしょうか?
動画お借りしました。動画主さんありがとうございます!
そう考えると、胡宮神社とはドクロ(首)の神であり、胡宮の磐座を奥の院とする多賀大社もドクロの神ではないかと思われるのです。
そして、しゃもじは胴体から切り離した首=ドクロを思わせる形をしているではありませんか。
つまり、石神=シャクジン=ミシャグジ=杓子=胴体から切り離した首に似ている=ドクロ
という関係になっていると思われるのです。
そういえば牛頭天皇は牛の頭(ドクロ)の神だとも考えられますね。
また橘寺は山号を仏頭山といいます。
仏頭とは仏の頭部のことです。
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