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甚兵衛渡船場 「甚兵衛の小屋の名物・蛤、蜆とは?』※18禁(笑) 

  
甚兵衛渡船場


①『甚兵衛の小屋』

大阪市に8か所ある渡しのひとつ、甚兵衛渡船場。

よかったらこちらも見てね→天保山と天保山渡船場    
             大阪市の渡し(千本松・落合下・落合上) 夕景 『今も現役!大阪の渡し』 

なんで「甚兵衛渡船場」というんでしょう?
海遊館に近いから・・・

海遊館 ジンベエザメ2 
ジンベエザメ 海遊館

・・・・・・なんてことはないですね。

幕末ごろ、尻無川に『甚兵衛の小屋』と呼ばれる茶店があったそうなんです。
この『甚兵衛の小屋』にちなんで甚兵衛渡船場と名前をつけたのでしょう。
ちなみに海遊館が開館したのは1990年ですw。

大阪市のホームページに次のように記されています。

昔、尻無川の堤は紅葉の名所であった。「摂津名所図会大成」に
『大河の支流にして江之子じまの北より西南に流れて、寺島の西を入る後世この河の両堤に黄櫨の木を数千株うえ列ねて実をとりて蝋に製するの益とす されば紅葉の時節にいたりては河の両岸一圓の紅にして川の面に映じて風景斜ならず 騒人墨客うちむれて風流をたのしみ酒宴に興じて常にあらざる賑ひなり 河下に甚兵衛の小屋とて茶店あり年久しき茅屋にして世に名高し』とあり、甚兵衛によって設けられた渡しにある茶店は「蛤小屋」と呼ばれて名物の蜆、蛤を賞味する人が絶えなかったという。
 現在も甚兵衛渡船場は健在で、大正区泉尾七丁目と港区福崎一丁目を結び(岸壁間94メートル)、朝のラッシュ時は2隻の船が運航している。平成30年度現在1日平均約1,096人が利用している。


https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000011251.html より引用

大河(淀川)の支流で、江之子島(大阪市西区の地名)の北から西南に流れて、寺島(尻無川と木津川の間の中州)の西を入る。
※現在では中之島西公園の南、大阪市西区江之子島から木津川となってほぼ南に流れ、
東から流れてくる道頓堀川が大阪ドーム(大阪市西区千代崎)の南で合流して尻無川となり、西南に流れている。
摂津名所図会大成
後世、この河の両堤に黄櫨(きはぜ)の木を数千株植え、実をとって蝋(ろう)に製造するようになった。摂津名所図会大成
紅葉の時節には、河の両岸が紅に染まり、川面に映って半端ない美しさだった。
詩を書く人や、書画などを書く風流な人が群れて風流を楽しみ、酒宴を楽しんで、通常ではない賑わいとなった。
摂津名所図会大成
河下に「甚兵衛の小屋」という茶店があった。長年、茅屋で有名だった。摂津名所図会大成
甚兵衛によって設けられた茶店は「蛤小屋」と呼ばれて名物の蜆、蛤を賞味する人が絶えなかった。

幕末に刊行された「浪速百景」にも絵が掲載されています。

しりなし漆づつみ甚兵衛の小家 (浪花百景)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E3%81%97%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%97%E6%BC%86%E3%81%A5%E3%81%A4%E3%81%BF%E7%94%9A%E5%85%B5%E8%A1%9B%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%AE%B6_(%E6%B5%AA%E8%8A%B1%E7%99%BE%E6%99%AF).jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/58/%E3%81%97%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%97%E6%BC%86%E3%81%A5%E3%81%A4%E3%81%BF%E7%94%9A%E5%85%B5%E8%A1%9B%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%AE%B6_%28%E6%B5%AA%E8%8A%B1%E7%99%BE%E6%99%AF%29.jpg よりお借りしました。


↓ 現在の甚兵衛渡船場。 昔の面影はまったくないですw。

甚兵衛渡船場


②尻無川は下流に行くにしたがって川幅の狭くなる河川

尻無川と呼ばれる川は全国各地にあります。
一般的に、下流に行くに従って支流ができて川幅の小さくなる河川のことをいいます。
上流で大雨が降ったりした場合、氾濫をおこすことがあるということです。

人間のお尻のように膨らんだところがあれば、氾濫の危険性は小さくなりますね。
なるほど、それで尻無川というのかな?






③甚兵衛の小屋は色茶屋では?


「甚兵衛の小屋」は茶店ということですが、茶店は茶屋とも呼ばれ、休憩所のことを言いました。
紅葉を愛でたあと、茶店で団子を食べて一服したのでしょうか?

でもかつては茶屋といえば色茶屋(性風俗の店)のことをさしていたのです。
「甚兵衛の小屋」は色茶屋だったのでは?

尻無川水門

④蛤は女陰の隠語

蛤は淡水の影響のある内湾の砂泥底に生息するということです。
潮干狩りなどで、砂浜でとるというイメージがあります。
尻無川は川ですが、大阪湾に近いので蛤がとれたんでしょうか。

「甚兵衛の小屋」は「蛤小屋」と呼ばれていたとのことですが、蛤は女陰の隠語としても用いられます。

こんな風に記されたサイトがありました。

「水揚がすんで一本になつた芸妓のことをいふ。又は単に女の局部を蛤ともいふ。半玉を蜆といふが如し。」
https://www.weblio.jp/content/%E8%9B%A4 「隠語大辞典」より引用


一本とは一人前の芸妓のこと、半玉とはまだ一人前になっておらず、玉代(ぎょくだい/花代のこと)も半人分の芸者のことです。

「甚兵衛の小屋」「蛤小屋」と呼ばれていた茶店は色茶屋なのではないかと、ますます思えてきますw。

⑤松島遊郭があった寺島

ちなみに
河(淀川)の支流で、江之子島(大阪市西区の地名)の北から西南に流れて、寺島(尻無川と木津川の間の中州)の西を入る。
※現在では中之島西公園の南、大阪市西区江之子島から木津川となってほぼ南に流れ、
大阪ドーム(大阪市西区千代崎)の南で西に流れを変えて尻無川となっている。

と書きましたが、寺島(尻無川と木津川の間の中州)は、現在の大阪市西区千代崎あたりです。
ここにはかつて松島遊郭がありました。
えっ、松島遊郭って本田・九条あたりにあったんじゃないの、といわれるかもしれませんが、もともとは千代崎あたりにあったのです。
ところが大阪大空襲で焼けてしまい、本田・九条付近に場所を移したのです。

ウィキペディアに次のように記されています。


旧広島藩士の有田徳一、新町遊郭の大垣屋、船場淀屋小路の侠客堤仁三郎が、木津川と尻無川に挟まれた寺島の北部への遊廓の開設を願い出て、大阪府知事渡辺昇より1868年(明治元年)2月に振興策として設置が許可された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B3%B6%E9%81%8A%E5%BB%93より引用

現在、寺島と呼ばれる中州はありませんが、明治元年にはこのあたりに中州があり、尻無川はこのあたりから流れを西に変えて大阪湾にそそいでいたのですね。

渡船場案内マップ



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[2019/05/29 22:08] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

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