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一ノ宮神社 キリシマツツジ『陰陽になってる?ふたつの多賀』 

兵庫県丹波市氷上町上成松 一ノ宮神社
2018年 4月29日 撮影

一ノ宮神社 

こちらのサイトに御祭神はイザナギ、配祀神は誉田別命・菅原道真、創建年不詳とあります。
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6308035.html

そういうわけで、今回はイザナギの話です。

一ノ宮神社2

①イザナギが籠った淡路の幽宮

イザナギは妹のイザナミと結婚し、二柱で国産み・神産みを行うのですが、
イザナミはカグツチを出産した際、ほとに火傷をおって死んでしまいます。

イザナギはイザナミを迎えに黄泉の国へ行きますが、腐り、ウジ虫がたかるイザナミの姿を見て怖くなり、元の世界に逃げ帰ります。

イザナギは穢れを浄めるため、筑紫・日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原)で禊をしました。
その際、左目から天照大神が、右目から月読命が、鼻からスサノオが生まれました。

イザナギは天照大には高天原を、月読命には夜の食国を、スサノオには大海原を治めよ、と命じました。
しかしスサノオは母のいる「根の堅洲国」へ行きたいといって泣き止みませんでした。

そこでイザナギはスサノオを追放し、自分は淡路の多賀の幽宮に籠りました。

明石海峡大橋

大阪咲州庁舎展望台より明石海峡大橋を望む。向かって右が明石、向かって左が淡路島。手前は神戸空港


 堺市庁舎展望ロビーより明石海峡を望む

堺市庁舎展望ロビーより明石海峡大橋を望む。あんまりいい写真じゃないけど、こっちのほうが淡路島が大きく映ってるのでw

②古事記真福寺本の「淡海」は「淡路」の誤写?

ウィキペディアに次のように記されています。

和銅5年(西暦712年)編纂の『古事記』の写本のうち真福寺本には「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也」「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」との記述があり、
これが多賀大社の記録だとする説があるが、『日本書紀』には「構幽宮於淡路之洲」「幽宮を淡路の洲に構りて」とある。
つまり国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島の地に幽宮を構えたとある。
そもそも後の近江は淡海ではなく近淡海と書くこともあり、真福寺本の「淡海」は「淡路」の誤写であった可能性が高いと考えられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%8A%E3%82%AE より引用

多賀大社 枝垂れ桜

多賀大社

イザナギの幽宮跡は淡路島の伊弉諾神宮

淡路島に多賀という地名があり、そこに伊弉諾神宮があります。

伊弉諾神宮のhpには次のように記されています。

神代の昔に伊弉諾大神 が、御子神の天照皇大御神に統合の権限を委ね、淡路の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過された神宅の旧跡と伝えられてゐます。
<ここで終焉を迎へた伊弉諾大神は、その宮居の敷地に神陵を築いて祭られました。

https://izanagi-jingu.jp/?page_id=2より引用

淡路島の伊弉諾神宮はイザナギの幽宮跡だったのですね。

伊弉諾神宮はイザナギ・イザナミを祀っていますが、『幽宮御記』によれば祭神は「伊弉諾尊一柱也」とあり、本来はイザナギだけを祀る神社であったようです。

927年の延喜式神名帳では「淡路伊佐奈伎神社 」となっており、日之少宮・淡路島神・多賀明神・津名明神とも呼ばれているそうです。

一ノ宮神社3

④古事記最古の写本・真福寺本

古事記の原本は現存せず、真福寺系・卜部系の二つの写本が伝えられています。
真福寺本は真福寺(岐阜県羽島市)の僧・賢瑜が応安4年(1371年)に上・中巻を、翌5年に下巻を書写し終え、信瑜がそれの不足を補足して出来上がったとされます。
これがもっとも古い古事記の写本です。

1612年に真福寺の一院・宝生院が名古屋城城下に移転しました。(大須観音/名古屋市中区大須)
その際、移転先の地名は、真福寺があった場所の地名・大須に変えられ、絵画・古典籍のほとんどが名古屋城下の大須へうつされました。
その中に古事記もありました。
これがきっかけで真福寺は衰退してしまい、さらに度重なる洪水などもあったのですが、廃寺にはならずに現存しています。
ただし、現在地(岐阜県羽島市桑原町大須)には昭和39年に移転したということです。
それ以前にはどこにあったんでしょうか?調べたりないせいだと思いますがちょっとわかりません。

古事記が完成したとされるのは712年ですから、真福寺本が成立したのはそれから659年も後のことになります。

今ならコピペで簡単に写すことができ、書写ミスもほとんどありません。
しかし昔は人間の目で見て筆で写すわけですから、もちろん写し間違えもあったことでしょう。
また賢瑜が完璧に書写していたとしても、そもそも書写した原本が間違っていたということも考えられます。

一ノ宮神社4

⑤972年、多賀大社は多何神社だった。


伊弉諾神宮は多賀明神ともよばれているそうですが、淡海(近江/滋賀県)の多賀大社も多賀明神と呼ばれていますね
御祭神も伊弉諾神宮と同じイザナギとイザナミです。

なぜ多賀大社は多賀という名前がついたのでしょうか?
972年の延喜式神名帳には多賀大社は「近江国犬上郡 多何神社二座」と記されています。
「多賀」と「多何」で字は異なりますが、日本では同じ言葉に違う漢字をあてて表現することがあります。

例えば奈良の転害門前の地名は手貝町となっています。
ですから多何神社は多賀神社と同一で、単に表記が異なっていただけなのかもしれません。

⑥古事記は100年以上公にされていなかった。

古事記が成立したのはその序から712年とされますが、その存在が知られるようになったのは平安初期です。
弘仁三(812)年の『日本書紀私記』の序で古事記について触れられており、それで古事記の存在が明らかになったのです。
古事記より少し遅れて成立した日本書紀、続日本紀にも古事記の存在については何も記されていませんでした。

古事記は元明天皇に献上されたもので、日本という国のために書かれたというよりは、天皇家のために書かれたものじゃないかという気がします。
天皇家にとって都合のいいものにするため事実とは異なることも記されており、それゆえ公にされていなかったのかも?

⑦古事記は天皇家にとって都合のいいものにするため改竄されている?

とこのように考えてみると、古事記の原本に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」と記されていた可能性はあると思います。

淡海は近江とも記し、近江にはかつて天智天皇の大津近江宮がありました。

天智天皇をイザナギとみなし、それでイザナギが籠った幽宮を近江の多賀大社としたのだったりして?

近江神宮 
近江神宮 近江大津京近くにあり、天智天皇を御祭しています。

⑧神様が琵琶湖をくりぬいて淡路島にした?

子供のころ、淡路島と琵琶湖の形が似ていることがすごく不思議で、神様が琵琶湖を掘ってそのまま瀬戸内海に浮かべたのが淡路島なんじゃないかと考えたりしました。

ネットをぐぐるとこんな情報がでてきました。

太古にポルトガル沖に隕石が落下しその反対にある琵琶湖付近の地殻を押し上げた。
その衝撃で地塊が吹き飛ばされて淡路島になった。地塊が吹き飛んでできた穴に雨がたまって琵琶湖になった。


うーん、申し訳ないですが、これはないと思いますねw。

琵琶湖ほどもある地塊がほとんど砕けることなく吹き飛ぶなんてことあるんでしょうか。
もう少し細かい地塊となって飛び散りそうに思えますが。

また琵琶湖はもともとは400万年~600万年前に現在の三重県伊賀市平田に地殻の断層運動によって発生した湖(構造湖とされます。
この湖が少しづつ北に移動して、今から約100 - 40万年前に琵琶湖になったといわれています。

琵琶湖の位地にとどまっているのは、比良山系がとめているのだとか。

http://agua.jpn.org/pre/pre3.html


函館山 百合  

箱館山より琵琶湖を望む。









それはともかく、昔の人は子供のころの私のように、琵琶湖をくりぬいて淡路島にした、と考えたのではないでしょうか。

琵琶湖と淡路島は陰陽道の陰陽の関係に相当するように思えます。
それで、淡路島のイザナギの幽宮を琵琶湖のほとりにも作ったのではないかと思えます。



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[2019/05/27 19:04] 兵庫県 | TB(0) | CM(0)

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