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東大寺 八重桜 赤い楓 しだれ桃 夕景 『大仏の脇侍を寄進した二人の尼僧の正体とは?』 


奈良市雑司町 東大寺
2019年4月21日撮影(仏像は過去撮影)


大仏殿2

①大仏は長屋王の怨霊封じ込めの像?


東大寺の大仏〈廬舎那仏)は長屋王の怨霊封じ込めの像だとする説があります。

720年、右大臣・藤原不比等が薨去したのち、721年に長屋王(祖父/天武天皇 父/高市皇子)が右大臣となって政権を握りました。
724年に聖武天皇が即位すると長屋王は左大臣となりました。

729年、漆部君足と中臣宮処東人が「長屋王はこっそりと左道を学んで国家を傾けようとしている!」と密告しました。
厳しい取り調べに耐え切れず、長屋王は自殺してしまいました。
これを長屋王の変といいます。

 長屋王が国家を傾けようとしている、というのは事実ではなく、長屋王を排斥するための藤原氏の陰謀だと考えられています。
のちの738年には長屋王に仕えていた大伴子虫が、「中臣宮処東人がありもしないことをでっちあげて長屋王を自殺に追い込んだ」と言う理由で
中臣宮処東人を殺す事件もおきています。

ところが政権を手中にした藤原四兄弟が737年に天然痘の流行で次々に死んでしまったので「長屋王の祟りじゃ~!」と騒がれました。

大仏は聖武天皇の発願によって大仏の制作が開始されたのは745年です。(完成は752年)
聖武天皇は長屋王の霊を鎮めるために大仏を作ったのではないかというのですね。
たしかにそれはありそうに思えます。


奈良の大仏 

大仏

②大仏殿独自の三尊配置

大仏は正確には廬舎那仏といい、その脇侍としては文殊菩薩と普賢菩薩が配置されるのが一般的です。
しかし、東大寺では大仏様の左手(向かって右)に如意輪観音、右手(向かって左)に虚空蔵菩薩を配置しています。
なにか理由があるんでしょうか?

東大寺 大仏殿 如意輪観音 

如意輪観音

東大寺 大仏殿 虚空蔵菩薩 

虚空蔵菩薩

③大仏の脇侍を寄進した大和国の二人の尼僧

大仏の脇侍の二体の像は、大和国にかつて存在した国分寺在籍の謎の尼僧2人が寄進したといわれているそうです。

国分寺とは、741年に聖武天皇が国家鎮護を目的として各国に建立を命じた寺院のことです。
国分僧寺(僧侶が男性の寺)と国分尼寺(僧侶が尼僧の寺)があります。
 
大和国とは現在の奈良県に相当する地域のことで、大和国には総国分寺として東大寺が、僧国分尼寺として法華寺が建立されました。

奈良県橿原市北八木にも国分寺があります。
阿弥陀如来像、十一面観音像などは平安時代のものとされますが、文献(寺田一生禄)では、この寺の歴史は天正年間(1573~1593年)までしか遡れません。
しかし、江戸時代に書かれた『大和志』には、『延喜式に記された大和国分寺は東大寺ではなく、この寺である』と記されています。

像を寄進したのは、橿原市国分寺の尼僧だったのか?
尼僧が属するのは国分尼寺ですが、こちら↓ のサイトでは、国分僧寺と国分尼寺が同じ住所になっているところもあります。
https://origamijapan.net/origami/2018/07/2 8/kokubunji-kokubun-niji/

 
法華寺 梅 
法華寺 梅(過去撮影)


ですが、二人の尼僧がいたのは大和国の総国分尼寺・法華寺のことだと思います。

法華寺の開基は光明皇后です。
二人の尼僧とはこの光明皇后と光明皇后の娘・孝謙天皇(重祚して称徳天皇)のことだと思います。

光明皇后が出家したという話は聞きませんが、尼僧というのは比喩的表現だと思います。
光明皇后は法華寺の開基なので、尼僧と言っているのではないでしょうか。
光明皇后の娘の孝謙天皇は阿倍内親王は762年、道鏡と男女関係を疑われた際、身の潔白を証明するために出家して、法華寺に住んでいます。

大仏殿  

④長屋王の怨霊を恐れた母娘

光明皇后と孝謙天皇には、大仏の脇持を寄進する動機があります。

①に次のようなことを書きました。

a.東大寺の大仏〈廬舎那仏)は長屋王の怨霊封じ込めの像だとする説がある。
b.729年、漆部君足と中臣宮処東人が「長屋王はこっそりと左道を学んで国家を傾けようとしている!」と密告した。
厳しい取り調べに耐え切れず、長屋王は自殺した。(長屋王の変)
c.長屋王の変は藤原氏の陰謀だと考えられている。
d.737年,藤原四兄弟が天然痘にかかって次々に死んでしまい、長屋王の祟りとされた。

光明皇后は聖武天皇の皇后で、藤原四兄弟の妹です。

光明皇后は「兄たちはみんな長屋王の怨霊に殺された。次は私が長屋王の怨霊に殺される!」とおそれたことでしょう。
光明皇后は敬虔な仏教徒でしたが、それはみほとけに長屋王の怨霊から守ってもらおうと考えたためではないでしょうか。

孝謙天皇は聖武天皇と光明皇后の間に生まれた娘でしたので、やはり長屋王の怨霊を恐れたことと思います。

二月堂裏参道

季節は駆け足で過ぎていき、風景は走馬燈のように変わっていきますね。

東大寺 二月堂2 

↑↓ 二月堂より落日を望む


東大寺 二月堂 



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[2019/04/26 11:32] 奈良県 | TB(0) | CM(0)

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