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奈良国立博物館 藤田美術館展 八重桜 『星はなぜ反逆者の象徴とされたのか』 


奈良市登大路町 奈良国立博物館
2019年4月21日 撮影

 奈良国立博物館 庭園

奈良公園をうろうろしていたら、遠くのほうに鮮やかな八重桜を発見!茅葺屋根も見えています。
近寄ってみるとそこは奈良国立博物館併設の庭園でした。
奈良国立博物館ではちょうど「藤田美術館展」をやっていまして、チケット提示すれば庭園見れるとのことでした。
趣味人の友人が「天目茶碗が見たい!」というし、閉館まであと1時間くらいだったけど行ってみることに。

奈良国立博物館 庭園2

すばらしい八重桜!穴場的撮影スポットと思います。

①天目茶碗

展示会場では、曜変天目茶碗の周囲に人だかりができていました。

天目茶碗とは、中国の茶の産地だった天目山の寺院で用いられていた陶器の茶碗です。
長石・石灰岩・鉄イオンを原料とする鉄釉という釉薬をかけて焼くのが特徴です。
鉄分の含有率が1 - 2パーセントならば青磁となり、15パーセント以上なら黒磁となるということです。

宋以降、天目茶碗は白茶(中国の弱発酵茶)の流行にともなって数多くつくられるようになりました。
このころ、日本は鎌倉時代で、禅宗が盛んでした。
日本から天目山に留学した禅僧が喫茶の習慣とともに天目茶碗を持ち帰ったといわれます。

奈良国立博物館 庭園3  

②世界に3つ(または4つ)だけ存在する曜変天目

この天文茶碗の最上級品とされるのが「曜変天目」で、世界に3つしかない、と言われています。
(龍光院・静嘉堂文庫・藤田美術館 これにMIHO MUSEUMのものをいれて4つとするケースもあるようです。)

「曜変」はもともとは「窯変(容変)」で陶磁器を焼いた際、偶然に生じる色の変化を指します。
ですが星のように見えることから、星の輝きを意味「曜(耀)」の字が当てて「曜変」と言うようになりました。

「曜変天目」の特徴は次のとおり。

・漆黒の器
・器の内側に星のような斑文が散らばっている。
・斑文の周囲は青または青紫の暈(かさ/太陽や月の周囲に光の輪が現れる現象)で、角度によって玉虫色に輝く。

奈良国立博物館 藤田美術館展 

③中国で作られた曜変天目。でも日本にしか残っていない。

曜変天目茶碗は、中国福建省にあった建釜で南宋時代に作られたとされますが作り方は不明です。
また中国には完全な形で残っているものはなく、完全な形で残っているものはすべて日本にあります。
静嘉堂文庫蔵通称稲葉天目。ので知られ、現存する曜変天目茶碗の中でも最高の物とされる。
もとは徳川将軍家所蔵で、徳川家光が病の春日局にプレゼントした。
1934年、三菱財閥総帥の岩崎小弥太が購入。
藤田美術館蔵水戸徳川家に伝えられたもの。曜変の斑紋が外側にも現れている。1918年、藤田財閥の藤田平太郎が入手
龍光院蔵筑前黒田家の菩提寺、大徳寺の塔頭・龍光院に初世住侍江月宗玩以来伝わる。
宗玩の父で堺の豪商・津田宗及が所持していた説、
建立開基した黒田長政が筑前博多の豪商、島井宗室の縁でこの院に帰した説などあり。
MIHO MUSEUM蔵加賀藩主前田家に伝えられた。かつて大佛次郎が所蔵していた。
曜変が内面の一部に限られるため、「曜変」かどうか議論がある。
失われた曜変天目茶碗足利義政から織田信長へと伝えられたが、本能寺の変で焼失したと考えられている。

奈良国立博物館 庭園5 

④生産地中国で発見された曜変天目の陶片

曜変天目は中国で生産されたにもかかわらず、なぜか生産地の中国の文献には記述がなく、現物や陶片も見つかっていませんでした。
そこで、中国では曜変天目は不吉の前兆として忌み嫌われ、破棄されたので現存していないのではないか。
破壊をまぬがれたものが日本に伝来したのではないかなどともいわれていました。

ところが2015年中国の杭州南宋官窯博物館館長・鄧禾穎が論文を発表。
この論文に、2009年、杭州市内の工事現場から曜変天目の陶片が発見されていたことがことが記されていたのです。

杭州市は南宋の都があったところで、曜変天目の陶片が発見されていた場所は宮廷の迎賓館のような場所だったそうです。
また宮廷用に献上されたという趣旨の文言が刻まれた陶磁器も一緒に見つかったとのことです。

天目茶碗は寺院で用いられるものであったのですが、宮廷に献上されてそこで用いられていたようですね。

出土したものすべてが陶片であること、文献に記述がないことなどを考えると
公に言うことができない呪術などに用いていたのかも?
「〇〇の奴め、くたばってしまえ!」みたいなことを言いつつ、床に投げつける呪術とかw。

⑤曜変天目はジンベエザメを思わせる。

夜空の星のように美しい曜変天目ですが、私は星空とは違うものにも似ていると思いました。
ジンベエザメです。

海遊館 ジンベエザメ2 
色は違いますが、曜変天目にもジンベエザメの背中にも斑点があります。

ジンベエザメの背中の斑点は謀反人の象徴だです。

というのは、日本書紀の『トガノの鹿』にこんな話があるのです。

大仏殿 鹿 
東大寺 大仏殿 鹿

雄鹿が雌鹿に『全身に霜が降る夢を見た』というと、雌鹿が『それは霜ではなく塩で、あなたは殺されて塩を振られているのです』と答えました。


昔、謀反の罪で殺された人は塩を振られることがありました。
鹿の夏毛の斑点が塩に喩えたのではないかと思います。
そしてジンベエザメにも斑点がありますね。

ジンベエザメは別名を「エビスザメ」といいますが、エビスとはイザナギ・イザナミの長子として生まれた神です。
3歳になっても歩けない身体障害児だったので、エビスは両親のイザナギ・イザナミに葦舟に乗せて流されてしまいます。

また水死体のことも「エビス」といい、水死体があがると大量になる、などといわれます。
つまり、エビスとは水死体の神なのです。
エビスザメとよばれるジンベエザメは、死んだエビスが化けたもの、みたいに考えられていたのではないでしょうか。

 熊野若王子神社 蛭子神

熊野若王子神社 蛭子神

⑥抹殺された星の神


夜空には無数の星がきらめています。
それなのに、記紀神話には星の神は天津甕星(別名カカセヲ)たった一柱しか登場しません。
しかも、天津甕星は天照大神の葦原中国平定に最後まで抵抗した神とされています。

なぜ天照大神に抵抗した神は星の神なのでしょうか。

それは、夜空の星が曜変天目や鹿の夏毛、エビスザメの背中の模様のように、斑点状であり、星々が謀反人の死体に振られた塩のように見えるためではないでしょうか。

奈良国立博物館 庭園4






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[2019/04/24 20:25] 奈良県 | TB(0) | CM(0)

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