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樽見の大桜 『石ばしる 垂水の上の さわらびの』 

兵庫県養父市 樽見の大桜
2019年4月14日 撮影


樽見の大桜 
樽見の大桜 樹齢500年とも1000年とも伝わります。

①樽見は垂水?

樽見と言う地名はもしかして垂水が転じたものではないでしょうか。
日本では万葉仮名の影響なのか、漢字の意味より音を重要視する傾向があったように思えますし。
例えば奈良の東大寺に転害門’(てがいもん)がありますが、その転害門の門前の町の名前は手貝町(てがいちょう)といいます。
手貝町という町名は転害門からとったものではないかと思いますが、どうでしょうか。

垂水とは「垂れ落ちる水」という意味です。
垂水という地名は各地にあります。
神戸市の垂水区という地名は、かつて複数の滝(垂水)があったことに由来するといわれます。

樽見の大桜の北北東500mほどのところに、竜涎の滝があります。
ここから垂水という地名がつき、樽見に転じたのではないかと思ったりします。

樽見の大桜付近 
駐車場から400Ⅿほど山道を上っていくと開けた土地があり、大桜の周囲にたくさんの桜が植えられています。まるで桜の園。

②3つに分かれて芽吹くワラビ

垂水というと思い出される有名な万葉歌があります。

石(いは)ばしる 垂水の上の さ蕨(わらび)の 萌え出づる春に なりにけるかも/志貴皇子
(岩の上を流れる水の上で蕨が萌えでる春になったことであるなあ。)


ワラビの新芽は3つに分かれて出てきます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%83%93#/media/File:Pteridium_aquilinum_2005_spring_001.jpg

↑ この写真を見て、「石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも」という歌の意味がわかったような気がしました。
それをいまからご説明します。

樽見の大桜付近2

志貴皇子暗殺説

672年、壬申の乱がおこります。
天智天皇皇子の大友皇子vs天智天皇の弟の大海人皇子(のちの天武天皇)で皇位継承をめぐって争った戦いです。
志貴皇子は天智天皇の皇子であり、壬申の乱の際には天智天皇の皇子(志貴皇子の異母兄)の大友皇子側についていました。
結果は大海人皇子が勝利し、志貴皇子は政治的に不遇な身の上であったのです。

笠金村が次のような志貴皇子の挽歌を詠んでいます。

御笠山 野辺行く道は こきだくも 繁く荒れたるか 久にあらなくに
(御笠山の野辺を行く道は、これほどにも草繁く荒れてしまったのか。皇子が亡くなって久しい時も経っていないのに。)

日本続記や類聚三代格によれば、志貴皇子は716年に薨去したとありますが、万葉集の詞書では志貴皇子の薨去年は715年となっており1年のずれがあります。

笠金村の挽歌は『志貴皇子が死んだのはついこの間のことなのに、野辺道がこんなに荒れているのはなぜなのだ』といぶかっているように思えます。

志貴皇子の子である白壁王は、女帝の称徳天皇が急死したのち、即位して光仁天皇となっています。
これは志貴皇子には正統な皇位継承権があったということではないか。
そして志貴皇子は715年に暗殺されて、その死が1年近く隠されていたのではないか、とする説があります。

715年は元正天皇が即位した年です。
元正天皇を即位させるために、志貴皇子は暗殺されたのではないでしょうか。
しかし、元正天皇にとって志貴皇子の死はあまりにタイミングがよすぎると、人々はいぶかしむかもしれない。
そういうわけで、志貴皇子の死は1年近く隠されていたのではないかと思います。

詳しくはこちらの記事を参照してください→翁の謎⑩ 百毫寺 萩 『志貴皇子暗殺説』 

樽見の大桜付近3 
手前の黄色い花はミツマタ

志貴皇子=春日王?

志貴皇子と春日王、平城津比古大神を祀る神社が奈良市奈良坂にあります。
奈良豆比古神社といい、毎年10月に翁舞が奉納されることで有名です。

古には神と怨霊は同義語であったといわれます。
怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことで、天災や疫病の流行は怨霊の仕業で引き起こされると考えられていました。
③で推測したように、志貴皇子には正当な皇位継承権があったのに暗殺されたとする説があります。
志貴皇子は怨霊であり、そのため神として奈良豆比古神社に祀られているのではないでしょうか。

奈良豆比古神社には次のような伝説が伝えられています。

a.志貴皇子の第二皇子である春日王(田原太子)はハンセン病を患い、奈良坂の庵で療養していました。
春日王の二人の息子、浄人王と安貴王(秋王)は心をこめて春日王の看病をしていました。
ある日、兄の浄人王は春日大社で神楽をって、父の病気平癒を祈りました。
そのかいあって春日王の病気は快方に向かいました。
桓武天皇はこの兄弟の孝行を褒め称え、浄人王に「弓削首夙人(ゆげのおびとしゅくうど)」の名と位を与えて、奈良坂の春日宮の神主としました。
のちに志貴皇子の皇子である光仁天皇が即位すると、志貴皇子は光仁天皇より『田原天皇』と追尊されました。
田原天皇はまた春日宮天皇とも呼ばれましたが、これは奈良坂に住んだ春日王と関係があるのかもしれません。


『別冊太陽・梅原猛の世界(平凡社)』によれば、地元の語り部・松岡嘉平さんは①とは別の語りを伝承しておられるとのことです。

b.志貴皇子は限りなく天皇に近い方でした。
そのため、神に祈るときにも左大臣・右大臣がつきそいました。
赤い衣装は天皇の印です。
志貴皇子はハンセン病を患い、病が治りますようにと毎日神に祈りました。
するとぽろりと面がとれ、皇子は元通りの美しい顔となり、病は面に移っていました。
志貴皇子がつけていたのは翁の面でした。
左大臣・右大臣も神に直接対面するのは恐れ多いと翁の面をつけていました。
志貴皇子は病がなおったお礼に再び翁の面をつけて舞を舞いました。
これが翁舞のはじめです。
のちに志貴皇子は第二皇子の春日王とともに奈良津彦神の社に祀られました。


ハンセン病を患ったのは①の伝説では志貴皇子の子の春日王となっていますが、②の伝説では志貴皇子となっています。

春日王は田原太子とも呼ばれており、志貴皇子は田原天皇、春日宮天皇と呼ばれていました。
春日王と志貴皇子は同じ名前で呼ばれていたということになります。
皇族でこのようなケースは他に例がないと思います。
春日王と志貴皇子は同一人物なのではないでしょうか。

④三人翁は御霊・和魂・荒魂をあらわす?

奈良豆比古神社で毎年10月に奉納されている翁舞は、能・翁のルーツだと考えられますが、
能の翁では白式尉は一人なのに対し、翁舞は三人翁といって3人の翁が登場します。

八坂神社 翁 白式尉

八坂神社 翁 白式尉

奈良豆比古神社 翁舞 三人翁

奈良豆比古神社 翁舞 白式尉(三人翁)


bの伝説では、三人翁は志貴皇子・右大臣・左大臣ということになっていますが、本当は志貴皇子・春日王・奈良豆比古神なのではないかと思います。

神はその表れ方で御霊・荒魂・和魂の三つに分けられるといわれます。
志貴皇子・春日王・奈良豆比古神はこれを表すものではないかと思うのです。
御霊神の本質志貴皇子
荒魂神の荒々しい側面春日王
和魂神の和やかな側面平城津比古大神

春日王はハンセン病になったといいますが、実際にハンセン病になったというわけではなく、春日王はハンセン病をもたらす神だという意味だと思います。
貧乏神はいかにも貧乏そうな姿で表されるように、ハンセン病をもたらす神はハンセン病を患った姿で表されるのではないかと思います。
ハンセン病をもたらす神は疫神であり、怨霊です。怨霊は荒魂と言っていいでしょう。

平城津比古大神は神社名の奈良豆比古に同音で別の漢字をあてたものだと思います。
奈良豆比古の名前のとおり豆のように小さな神なのだと思います。
小さな神といえば少彦名神などがありますが、少彦名神は医薬の神として信仰されています。
医薬の神はよい神、ご利益をもたらす神であり、和魂だと思います。
また小さな神は和魂という信仰があったのではないでしょうか。

すると残る志貴皇子は神の本質・御霊ということになります。

そして、和魂・荒魂は同じ御霊の現れ方の違いによる分類なので、
御霊は志貴皇子、春日王は志貴皇子の荒魂、奈良豆比古神は志貴皇子の和魂ということになると思います。

石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも

この歌に詠まれたワラビの3つの芽は、志貴皇子・春日王・奈良豆比古神の比喩ではないでしょうか。

奈良豆比古神社 翁舞 白式尉2 

奈良豆比古神社 翁舞

⑤『とうとうたらりたらりろ』は春日若宮=志貴皇子のテーマソングだった?

翁は『とうとうたらりたらりろ』と謎の呪文を唱えます。
(能の翁では『とうとうたらりたらりら』となっています。)

12月に奈良の春日神社では春日若宮おん祭が行われています。。
12月16日深夜に若宮神社の前で新楽乱声(しんがくらんじょう)が奏されます。
雅楽における楽譜のことを唱歌(しょうが)というが、その唱歌は『トヲ‥‥トヲ‥‥‥タア‥‥‥ハア・ラロ・・トヲ・リイラア‥‥』と記されます。

『トヲ‥‥トヲ‥‥‥タア‥‥‥ハア・ラロ・・トヲ・リイラア‥‥』『とうとうたらりたらりろ』はあまりに似ています。

翁=志貴皇子と春日若宮は同一神であり『とうとうたらりたらりろ』とは志貴皇子=春日若宮のテーマソングなのではないでしょうか。

翁舞や能・翁で翁=志貴皇子は自らのテーマソングを口ずさんでいるのではないか、ということです。

奈良豆比古神社 翁舞 

奈良豆比古神社 翁舞

⑥藤原氏の祖神・アメノコヤネは天智天皇だった?

春日若宮が志貴皇子と同一人物だと考えられる理由はほかにもあります。

春日大社の主祭神はアメノコヤネ・タケミカヅチ・フツヌシ・ヒメガミの四柱の神々で、このうち、アメノコヤネは藤原氏の祖神とされています。

私はアメノコヤネ(天児屋根命)とは天智天皇のことではないかと考えています。
というのは天智天皇の作として、は次のような歌が伝えられているからです。

秋の田の 仮庵の庵の 苫をあら み わが衣手は 露にぬれつつ
(秋の田の小屋のとまがたいそう粗いので、私の着物は露でびっしょり濡れてしまいました。)


この歌は万葉集にはなく、958年ごろに成立した後撰和歌集の中に天智天皇御製として掲載されています。。

万葉集には「秋田刈る 仮庵を作り わが居れば 衣手寒く 露そ置きにける」という読人知らずの歌が掲載されており
その内容から農民が詠んだ歌だと考えられています。

「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 梅雨にぬれつつ」「秋田刈る 仮庵を作り わが居れば 衣手寒く 露そ置きにける」を改作したものであり、
実際に天智天皇が詠んだ歌ではないが、天智天皇の心を表す歌であるとして後撰和歌集の撰者たちが天智天皇御作として後撰集に掲載したものと考えられています。

なぜ「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 梅雨にぬれつつ」という歌は、天智天皇の心を表す歌であると考えられたのでしょうか。

一般には、農民の気持ちを思いやる優しさが、天智天皇にふさわしいと考えられたためだといわれています。
でも、私はそうではないと思います。

③で述べたように、672年、壬申の乱がおこりました。
壬申の乱は天智天皇が崩御したあとすぐに興ったので、天智天皇の死体は長い間埋葬されず、放置されていたと考えられています。
『続日本紀』に天智陵が造営されたと記されているのは、天智天皇が崩御してから28年たった699年です。

古事記には「大国主神が八十青柴垣(ヤソクマデ)に隠れた」という記述があります。
これは柴を沢山立てた中に死体が葬られていたということですが、大国主神はニニギに国譲りをして死んでいて、ニニギにとっては敵です。
そのため、高貴な身分の人であれば立派な陵をつくるところ、そうはせずに、庶民と同じように風葬にしたということではないかと思います。
天智天皇の歌にある、苫の荒い仮庵戸は大国主神が葬られたような八十青柴垣を意味しているのではないでしょうか。
また、近年まで沖縄地方などで風葬が行われていたが、小さい小屋の中に死体を収めて風葬にするという地方がありました。

「秋の田の~」の歌は、死んだ天智天皇の霊が、きちんと埋葬されないわが身を嘆いた歌だと解釈され、天智天皇が詠むにふさわしい歌とされたのではないでしょうか。

そして『児』には『小さい』という意味があり、天児屋命とは『小さい屋根の下におわす神』という意味になります。
仮庵のとまの粗い小屋の屋根はそれは小さいことでしょう。

するとアメノコヤネは藤原氏の祖神なので、藤原氏は天智天皇の子孫だということになりますが、
藤原不比等は天智天皇の後胤であるという説があります。
藤原鎌足は天智天皇の后であった鏡王女を妻としてもらいうけていますが、この時鏡王女はすでに天智の子を身ごもっており、これが藤原不比等であったと、『興福寺縁起』『大鏡』『公卿補任』『尊卑分脈』には記されています。
とすれば天智天皇が藤原氏の祖神だというのは辻褄があいます。

春日大社 舞楽始  
春日大社

⑦春日若宮=志貴皇子は水徳の神だった。


アメノコヤネノミコトの御子神・春日若宮様は、神名を天押雲根命といい、長保五年(1003年)旧暦三月三日、第四殿に神秘な御姿で御出現になったとされます。

その後しばらく、第二殿と第三殿の間の獅子の間に祀られ、水徳の神と信仰されていたそうです。

長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢饉がおき、疫病が流行ったため、1135年に時の関白藤原忠通が若宮様の神殿を造営し、1136年より春日若宮おん祭が行われるようになったとのことです。

ここでもう一度、志貴皇子の歌を鑑賞してみましょう。

石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも

この歌に詠まれたワラビの3つの芽は、志貴皇子・春日王・奈良豆比古神の比喩ではないかということはすでに述べました。

この3つの芽をもつワラビ(志貴皇子・春日王・平城津比古大神)が垂水(滝)の上で萌えているのです。
志貴皇子=春日若宮はこの歌を詠んだため、水徳の神として信仰されたのではないでしょうか。

樽見の大桜付近4

樽見の大桜付近の集落


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