京都市左京区 長徳寺・常林寺・正定院
2019年3月24日撮影
長徳寺 おかめ桜は見ごろを過ぎていましたが、カンヒ桜(かな?)が満開でした。
①出町と柳町をあわせて出町柳駅とした。早い春を探して出町柳へやってきました。
京阪電車の出町柳という駅名、変わった駅名だなあと思いませんか。
かつて鴨川の西側は出町、東側は柳町と呼ばれていたそうで、ふたつの地名を合わせて出町柳という駅名にしたそうです。
②出町は「洛外に出たところにある町」もっと正確にいうと、上京区河原町今出川の北部一帯の商業地区を出町と呼んでいたようです。
洛外に出たところにある町、という意味から「出町」になったとのこと。
洛外とは豊臣秀吉が築いた御土居の外という意味です。
御土居の範囲については下の地図を参照してください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%9C%9F%E5%B1%85#/media/File:OdoiRemains.png
北野天満宮に残る御土居としだれ梅(過去に撮影したものです。)つまり豊臣秀吉の時代、京都の町は御土居(土塁)で囲まれた城郭都市だったんですね。
現在はかなり失われていますが、一部御土居が残されているところもあります。
外国に城壁都市がありますが、京都の町は壁のかわりに御土居という土塁で囲まれていたわけです。
出町はこの御土居の外の北側の地域をいいました。
※城壁・堀・土塁などで城下町まで囲んだ都市を城郭都市といいます。
「日本に城壁がなかったのは日本の戦が単なる土地取り合戦で戦争に負けても領民は奴隷にされなかった」という人が結構おられますが、これは勘違いだと思います。
日本に城壁はなかったかもしれませんが、城下町を防御するための堀や土塁は存在していましたし、戦争に負けた領民は奴隷にされていました。
大坂夏の陣屏風にも多くの大坂の住民が乱取り(領民が兵士らに人や物が掠奪されること)される様子が描かれています。
外国の城壁都市も日本の城下町まで堀で囲まれた城も城郭都市なのです。
③柳町と柳女柳町のほうは、鴨川の東ということなので、御土居の東北の町だということになると思います。
出町柳駅の東側には、「砂川の三軒寺」と呼ばれる3つのお寺がありますが、もしかしたらこれらのお寺は都の鬼門(東北)除けの意味で建てられたのかもしれませんね。
砂川の三軒寺とは長徳寺・常林寺・正定院の3つの寺です。
長徳寺の門前には地蔵堂があり「北向地蔵尊」が安置されています。

長徳寺 地蔵堂(過去に撮影したものです。)
百済国王の守本尊で飛鳥時代、舒明天皇(在位629-641)のころ、日本に伝わったといわれています。
宮中に安置されていましたが、823年に西寺の守敏(しゅびん)に下賜されたといいます。
その後、どのような経緯を経て長徳寺にやってきたんでしょうかね?
長徳寺の隣の常林寺にも地蔵堂があり、世継子育地蔵尊が安置されています。
世継子育地蔵尊というからには、子育てにご利益のあるお地蔵さまなのでしょう。
さらに正定院にも「ちご地蔵尊」と呼ばれるお地蔵さまがありました。
境内に置かれていた石仏の地蔵尊は新しいもののようでしたが、本堂などに古い「ちご地蔵尊」があるのかもしれません。
正定寺 ちご地蔵尊
さて柳町という地名はどこからくるのでしょうか。
柳の下には幽霊が出るとかいわれますね。
また柳女という幽霊がいるそうです。
江戸時代の「絵本百物語」に登場する妖怪で、強い風が吹いて子どもを抱いた女の首に柳がからまって女は死んで幽霊となり夜な夜な柳の木の下に、子供を抱いた姿で現れるとあります。
ちご地蔵尊って、もしかして柳女?
また柳町という地名は柳女が出るところからつけられた地名だったりして?
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