奈良市高畑町 片岡梅林
奈良市春日野町 春日大社
2019年3月10日 撮影
①丸窓梅林と円窓亭浮見堂横の高台にある片岡梅林は別名を丸窓梅林ともいいます。
丸窓梅林と呼ばれるのは、梅林の中に建てられている円窓亭(丸窓亭)に由来します。
円窓亭は鎌倉時代の建物で、春日大社経庫を改造したものです。
片岡梅林から道路を隔てた向こう側は飛火野とよばれる野原で、飛火野の北側に春日大社の長い参道が伸びています。
春日大社本殿横の紅梅も満開でしたが、残念ながら春日祭の準備中ということで拝観できませんでした~。
②子授石春日大社の摂社・水谷神社で子授石を発見。↓
これと同じような石を見たことがあります。
そう、確か飛鳥坐神社の神楽殿前に同様の石が置いてありました。↓
飛鳥坐神社といえば夫婦和合の狂言を行うおんだ祭が有名ですね。
飛鳥座神社 おんだ祭 『おんだ祭はサルタヒコを鎮魂する儀式だった?』 その際、天狗がながい竹を股間にあてて振り回したりするのですが(笑)、その竹を上の石の間においたりしていたと思います。
(随分昔のことなので、ちょっと記憶が定かではありません。すいません。)
まあ、つまり、そーゆーことを表す石なのでしょう。
③水谷川は東大寺と興福寺の境界?水谷という神社名は神社北側を流れる水谷川からとったのでしょう。
水谷川の北側は若草山で、若草山山麓には春日大社末社の野上神社があります。
さらにその北側は東大寺の鎮守・手向け山八幡、東大寺三月堂、二月堂となっています。
奈良の新年の風物詩として、若草山山焼きがあります。
山焼きのルーツは諸説ありますが、東大寺と興福寺の境界争いであるとも言われます。
江戸時代までの日本では神仏は習合して信仰されており、藤原氏の氏寺の興福寺と、藤原氏の氏神春日大社は一体化していたとされます。
東大寺と興福寺の境界争いとは、東大寺と春日大社&興福寺の境界争いであると言ってもいいでしょう。
水谷川は東大寺と興福寺の境界を流れる川のようにも見えます。
水谷川の北が東大寺、水谷川の南が興福寺(例外的に野上神社は水谷川の北にありますが)
そして、興福寺は藤原氏の氏寺、春日大社は藤原氏の氏神で
東大寺は天皇家の寺です。
藤原氏は娘を天皇に入内させ、外祖父となって政治を牛耳る氏族でしたね。
奈良時代には、藤原不比等の娘・光明子が聖武天皇に入内して、人臣初の皇后となっています。
水谷神社にある子授石は、藤原氏と天皇家の婚姻を象徴する石のように思えます。
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