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城南宮 七草粥 『七草囃子ではなぜ星の神の名前を唱えるの?』 

京都市伏見区 城南宮
七草粥…2月11日


城南宮 七草の節句

①あみばし  とろき  ひつき  ちりこって何?

1月7日は七草の節句で、七草粥を食べる習慣がありますね。
城南宮では旧暦の正月頃にあたるということで、2月11日を七草の日としていますよ。

拝殿には、セリ・ナズナ・スズナ・スズシロ・ホトケノザ・ゴギョウ・ハコベラの春の七草が並べられていました。
また於城南宮斎館では参拝者に七草粥がふるまわれていました。
城南宮神苑で栽培した七草を用いて、焚いたものなのだとか。

私は七草粥をいただきながら、館内に流れる七草囃子を聴いていました。

♪唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に 七草なずな テッテッテロロロ・・・・・♪

自宅で七草粥をつくるときには、七草囃子を歌いながら七草を刻むのがならわしです。
子供のころ、母が七草を刻みながら、私に七草囃子を教えてくれました。
それは城南宮の七草囃子とはすこし違っていました。

♪七草なづな 菜っ切り包丁 まないた 唐土の鳥が 日本の国へ 渡らぬ先に ・・・・

そこから先の歌詞が思い出せないんですが、
♪七草なづな 菜っ切り包丁 まないた 唐土の鳥が 日本の国へ 渡らぬ先に 合わせてバッタバタ♪

というのがネットにありました。

『七草囃子』は地方によって色んなバージョンがあるらしく、次のような歌詞もあるそうです。

♪七草なずな  唐土の鳥と 日本の鳥と  渡らぬ先に 七草なずな  手につみ入れて
あみばし  とろき  ひつき  ちりこ げにげにさりげなきようにて 物の大事は侍りけり♪


『あみばし  とろき  ひつき  ちりこ』とは何のことなんでしょうか。?

 城南宮 七草 

②1月7日は犯罪者の刑罰を禁じる日

ご存知のように「七草の節句」は五節句の一ですね。

1月7日・・・七草の節句・・・人日
3月3日・・・桃の節句・・・・・上巳
5月5日・・・菖蒲の節句・・・端午
7月7日・・・笹の節句・・・・・七夕
9月9日・・・菊の節句・・・・・重陽

中国では奇数は陽、偶数は陰の数とし、陽が重なると陰になると考えられました。
そのため、月と日が同じ数字で重なる日に(ただし、1月だけは元旦と重なるため、1月7日)に避邪の行事を行っていました。

現在では節句は「お祝い」するものだと認識されているが、本来は「避邪」の行事であったという点に注意してください。
この中国の習慣が日本に伝わり、宮中で邪気を祓う行事が行われるようになりました。

また中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗(犬)の日、3日を猪の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物の殺生を禁じていました。
1月7日は人の日(人日)であり、犯罪者に対する刑罰を禁じる日でした。

人日は新年になって初めて爪を切る日ともされます。
七草を浸した水に爪をつけて、柔かくしてから切ると、その年は風邪をひかないなどと言われます。

城南宮 七草 寄せ植え

③手足の爪を抜かれたスサノオ

私は七草に爪を切る習慣は、古事記に記された次の物語からくるものではないかと思う。

スサノオは忌織屋に馬の逆剥ぎを投げ込み、驚いた織女がひで陰所をついて死亡した。
スサノオの姉の天照大神は恐ろしくなって天岩戸に隠れた。
そのため世界は闇となってしまった。
悪い神がここぞとばかりに騒ぎたて、あらゆる禍がどっと押し寄せた。
何とかしなくては、と八百万の神々が天安川の河原に寄り集まって会議を開き、思金神のアイデアで次のような謀を凝らした。
アメノウズメがストリップまがいの踊りをし、それを見ていた神々は笑った。
笑い声を不思議に思ったアマテラスがそっと様子を伺ったところにアメノコヤネとフトタマノミコトが鏡を差し出した。
アマテラスは鏡に映った自分の姿を見てますます不思議に思って身を乗り出した。
そのタイミングを見計らって、アメノタジカラヲがアマテラスを引っ張り出した。
こうして世の中は再び照り輝くこととなった。
スサノオは髭を切られ、手足の爪を剥がされて高天原を追放された。


犯罪者の刑罰を禁じる人日の日に、七草を浸した水に爪をつけ、柔らかくしてから切る、というのは手足の爪を抜かれたスサノオノミコトへのせめてもの供養なのではないでしょうか。

城南宮 七草粥

④はオオゲツヒメとスサノオの神話は七草粥のルーツ?

人日には七草粥を食べますね。
七草とは現在では芹・なづな・御行・はこべら・仏座・すずな・すずしろの七種類の薬草のことをいいますが
平安時代に書かれた「延喜式」には、七草とは「米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆」のことであると記されています。
七草は七種とも記され、草ではなく、穀物のことだったのですね。
それがいつのまにか七種の薬草に代わってしまったみたいです。

③の伝説の続きは次のようになっています。

追放されたスサノオはオオゲツヒメに食べ物を所望した。
オオゲツヒメは鼻・口・尻などから食べ物を取り出してスサノオにふるまった。
スサノオはわざと穢いものを食べさせようとしているのだと考え、オオゲツヒメを殺した。
オオゲツヒメの死体の頭に蚕が生まれ、目に稲種が生まれ、耳には粟、鼻には小豆、陰処には麦、尻には大豆が生まれた。


この物語では七種ではなく五種、穀物の種類も変わっていますが、これが人日の七草粥のルーツではないかと私は思います。
人日は犯罪者の刑罰を禁じる日でしたね。
それで髭を切られ、手足の爪を剥がされて高天原から追放されたかわいそうなスサノオに、オオゲツヒメは身を犠牲にして稲・粟・小豆・麦・大豆などの食物を与えた、というのがこの物語の趣旨だと思います。
七草粥を食べるのは、この伝説にちなむものではないでしょうか。

堺祭 阿波踊2

古事記には「粟の国は大宜都比売(オオゲツヒメ)」と記されています。
粟の穂は三日月の形をしています。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Japanese_Foxtail_millet_02.jpg?uselang=ja
堺祭 阿波踊 『阿波国の神・オオゲツヒメは月の女神だった?』 

⑤瘡神=草神を食べることで、病をやっつける?

♪七草なずな 唐土の鳥と 日本の鳥と  渡らぬ先に 七草なずな  手につみ入れて
あみばし  とろき  ひつき  ちりこ げにげにさりげなきようにて 物の大事は侍りけり♪


「七草なずな 唐土の鳥と 日本の鳥が渡って疫病をもたらす前に七草なずなを手で摘み取ってしまおう。一見何事もないように見えるが、大事は潜んでいるのだ。」
というような意味でしょうか?(自信なし)

七草を刻むときに歌う『七草囃子』の意味は、一般的には「鳥追い歌」であるとか、渡り鳥が疫病を運んでくるという意味であるといわれています。

瘡神=草神を食べることで、病をやっつける
疫神といえば、スサノオですね。
スサノオは京都の八坂神社の御祭神であり、牛頭天皇(武塔神)と習合されています。
この牛頭天皇(武塔神)には次のような伝説があります。

神代の昔、蘇民将来と巨旦将来という二人の兄弟があった。
蘇民将来は貧乏で巨旦将来は金持ちだった。
しかし貧乏ではあったが蘇民将来は武塔神(牛頭天皇=素戔嗚尊)に宿をかし、巨旦将来はこれを断った。
後に疫病が流行ったとき、武塔神は蘇民将来の子孫には茅の輪をつけて疫病から守ったが、茅の輪をつけない者はすべて死んだ。
(備後国風土記)


この伝説は牛頭天皇が疫神であることを示しています。
スサノオは牛頭天皇と習合されているので、スサノオもまた疫神だといえます。

古においては特に流行り病である疱瘡(天然痘)が恐れられていましたが、疱瘡は瘡(くさがみ)とも言いました。
瘡は草神に通じます。
七草を食べるのは、瘡神=草神を食べることで、病をやっつける、という意味あいがあったのかも?

八坂神社 石見神楽 大蛇 大蛇と戦うスサノオ  
八坂神社 石見神楽 大蛇と戦うスサノオ

⑥スサノオと天津甕星は同一神?


「あみばし とろき ひつき ちりこ」は中国の二十八星座「二十八宿」のうちの四つの宿を指す和名です。
二十八宿とは、黄道上に見える二十八の星座群(宿)をいいます。
玄武・朱雀・青龍・白虎・のことを四霊獣といい、玄武は北、朱雀は南、青龍は東、白虎は西を司るとされる。
そして四霊獣はそれぞれ七種の星座群(宿)を支配すると考えられました。

あみぼし=亢宿=おとめ座のκ付近・・・・東(青龍)
とろき(ぼし)=觜宿=オリオン座のφ付近・・・・西(白虎)
ひつき(ぼし)=斗宿=いて座の南斗六星・・・南(朱雀)
ちりこ(ぼし)=張宿=うみへび座のυ付近・・・北(玄武)

あみぼしは『疫病』を、ひつき(ぼし)は『天子の寿命』を、とろき(ぼし)は『軍隊』を、ちりこ(ぼし)は『飲食』を司ります。

なぜ七草囃子では星の名前を唱えるのでしょうか?

記紀はスサノオは海の神であると記しています。
しかし、スサノオの本来の神格は、海の神ではなく、星の神であったと思われるふしがあります。。
おそらく、記紀編纂の過程で星の神という神格は故意に剥奪されたのだと思います。
というのは、日本神話に星の神はたった一柱・天津甕星(別名カカセオ)しか登場しないのです。
スサノオの海の神という神格は、星が航海の指標とされたために生じた二次的な神格だと思います。

記紀に次のような話があります。

イザナギは黄泉の国へイザナミを迎え似行くが、蛆のわいたイザナミの姿を見て恐ろしくなり、黄泉の国から逃げ帰り、禊をした。
このとき、左の目を洗ったときに天照大神が、右目を洗ったときに月読命が、鼻を洗ったときにスサノオが生まれた。
イザナギは尊い御子が生まれたと喜び、天照大神に高天原を、月読命に夜之食国(よるのおすくに)を、スサノオに大海原を治めさせた。


一方、陰陽道の宇宙観では、東を太陽の定位置、西を月の定位置、中央を星とするのだそうです。
記紀の記述はこの陰陽道の宇宙観に基づくものではないでしょうか。
イザナギの顔が宇宙空間に喩えられているんですね。

東・・・太陽の定位置・・・天照大神・・・イザナギの左目から生まれた。
中央・・・星の定位置・・・スサノオ・・・イザナギの鼻から生まれた。
西・・・月の定位置・・・月読命・・・イザナギの右目から生まれた。

※地図では左が西で右が東、左右逆だと思われるかもしれないが、それはあくまで向かって右、向かって左なのであって、イザナギの側から見れば左が東で、右が西となります。

とすれば、中央である鼻から産まれたたスサノオは星の神だということになります。

また船場俊昭氏はスサノオという名前は星を表すとし、次のように説明しておられます。

スサノオノミコトは漢字では素戔嗚尊と書く。
この名前は、「輝ける(素)ものを失い(戔う/そこなう)て嘆き悲しむ(鳴/ああ)神(尊)」という意味で、スサノオはもとは星の神であったと。

さきほど日本神話には星の神は天津甕星(たった一柱しか登場しないと言いました。
この神は古事記には登場せず、日本書紀においてのみ登場します。

日本書紀・本文・・・
フツヌシとタケミカヅチは国津神をことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星の神の香香背男だけは征服できず、織物を司る神のシトリガミタケハヅチを遣わして、ようやくカカセオは服従した。

第二の一書・・・フツヌシとタケミカヅチは、まず高天原にいる荒々しくすさまじい神である天香香背男、別名を天津甕星という悪い神を誅してから葦原中国平定を行うと言っている。

一方、スサノオは天照大神に悪戯をした罪で高天原を追放され、葦原中国に天下っています。
天津甕星はスサノオと同一神なのではないでしょうか。

星の神は禍々しい神、疫病をもたらす神だったと考えられます。
七草は星の神に喩えられているのだろう。
星の名前を唱えつつ、七草を菜っ切り包丁で刻むことは疫神である星の神をやっつける、というような意味合いがあったのではないでしょうか。

八坂神社 石見神楽 大蛇 大蛇の首を取るスサノオ  
八坂神社 石見神楽 大蛇の首をとるスサノオ






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