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春日大社 節分万燈籠 & 石上神宮 雨 『中臣のトミはトミヒコのトミ?』 


奈良市春日野町 春日大社
奈良県天理市 石上神宮

節分万燈籠 2月3日


春日大社 万灯篭

春日大社

①刀剣を神格化した神フツヌシ

春日大社の御祭神はアメノコヤネノミコト・タケミカヅチ・フツヌシ・ヒメガミの4柱です。
アメノコヤネノミコトは藤原氏の祖神、タケミカヅチ・フツヌシは藤原氏の守護神、ヒメガミはアメノコヤネノミコトの妻とされます。

春日大社の一柱・フツヌシは、刀剣を神格化した神だと考えられています。

②神武天皇を助けた刀剣・フツノミタマ

記紀には「フツノミタマ」という神剣が登場します。

高倉下(タカクラジ)はこんな夢をみました。
葦原中国が騒がしいので、天照大神と高木神はタケミカヅチを葦原中国に派遣しようとしました。
タケミカヅチは「自分が葦原中国へ行かなくとも、国を平定した剣があるのでそれを降ろせばいい」と言いました。
高倉下が目覚めて倉の中を見てみると、倉の中に剣がありました。

神武天皇が率いる軍は熊野で悪神の毒気にあたって倒れてしまいました。
しかし、高倉下がこのフツノミタマをもたらすと意識を戻しました。

春日大社 萬灯篭2 
春日大社

③フツノミタマ、物部氏が祭祀する石上神社から出土。

フツノミタマは石上神社(奈良県天理市)にあると記紀には記されています。

石上神社は別名を石上布都御魂神社などともいい、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を御祭神としています。
石上神社は古代軍事氏族の物部氏が祭祀し、大和政権の武器庫であったと考えられています。

石上神社にはもともと拝殿があるだけで本殿はありませんでした。
拝殿の奥の聖地を「布留高庭」として祀っています。
そして「布留高庭」には二つの神宝が埋められているという言い伝えがありました。
1874年の発掘調査で布都御魂剣が、1878年の発掘調査では天羽々斬剣が出土し、1913年、これらを祀るための本殿が完建造されました。

石上神宮 3 
石上神社

④物部氏の祭祀する神社は神殿がない

大阪府交野市付近は肩野物部氏の本拠地でしたが、星田妙見宮・磐船神社など神殿のない神社が多いです。
どちらの神社も拝殿より直接ご神体の巨大な岩を拝するという祭祀スタイルです。
磐船神社は物部氏の祖神・ニギハヤヒを御祭神とする神社なので、物部氏が祭祀する神社でまちがいないといえそうです。
また交野市の隣・枚方市にある片埜神社の境外社・瘡(くさがみ)神社も拝殿よりその背後にあるご神体の沼を拝します。

石上神社ももともとは本殿がなかったということですし、本殿を持たないのは物部氏の祭祀スタイルなのではないかと思います。
物部氏以外にもそういう祭祀スタイルを持つ氏族はあるかもしれませんが。

磐船神社 天の磐船 

磐船神社 天磐船(拝殿後方の船形の石)

星田妙見宮 織女石  

星田妙見宮 織女石

瘡神社 

瘡神社 本殿はなく、拝殿より後ろの沼を拝します。

高倉下の高倉は石上神社の武器庫を表す?

②の伝説に高倉下と言う人物が出てきますね。
この人は石上神社に関係がある人、すなわち物部氏であり、高倉とは石上神社の武器庫を管理するところからつけられた名前なのかも?

石上神宮 2 

石上神社

フツヌシは物部氏の神だった?

このように見てみると、布都御魂と似た名前を持つ神・フツヌシは物部氏の神であったように思われます。
ウィキペディアを見ても、次のように記されています。

布都御魂を祀る石上神宮が物部氏の武器庫だったとされることから、経津主神も本来は物部氏の祭神だったが、後に擡頭する中臣氏の祭神である建御雷神にその神格が奪われたと考えられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B4%A5%E4%B8%BB%E7%A5%9E より引用

石上神宮 雨 
石上神社

⑦中臣氏はトミヒコの子孫?

古代、中臣氏という神祇を祭る氏族がいました。
585年、蘇我馬子は敏達天皇に仏教を信仰する許可を得ました。
ところがその後、疫病が流行ったので、物部守屋と中臣勝海は廃仏を訴えています。
587年、中臣勝海は彦人皇子と竹田皇子の像を作って呪詛していますが、迹見 赤檮に斬られて没しました。
このようなことがあって、崇仏派・蘇我馬子vs廃仏派・物部守屋の戦いがおきました。
結果、蘇我馬子が勝利し、神仏は習合して信仰されるようになっていくわけですね。

物部守屋墓 

物部守屋の墓(大阪府八尾市)


こうしてみてみると、中臣氏は物部氏とつるんでいた氏族のように思えます。

そして初代神武天皇が東征して畿内入りした際、神武天皇は物部氏の祖神ニギハヤヒを神と奉じるナガスネヒコと戦ったと記紀には記されています。

ナガスネヒコの妹は物部氏の祖・ニギハヤヒの妻となってウマシマジノミコトという御子が生まれたとされます。
ナガスネヒコは物部氏の親戚なのです。

このナガスネヒコの別名はトミヒコといいます。
中臣のトミとトミヒコのトミは関係があったりして?

つまり、中臣氏は物部氏と婚姻関係を結ぶことによって物部氏の神・フツヌシを奪ったのではないか、と思ったりするのです。

そして中臣鎌足は天智天皇から藤原姓を賜ったとされます。こうして、フツヌシは藤原氏の神とされたのかも?

そういえば春日大社の元社は東大阪市の枚岡神社とされます。
枚岡神社からアメノコヤネノミコトとヒメガミを、鹿島のタケミカヅチ、香取のフツヌシを勧請して春日大社は創建されたのです。

枚岡神社 のある東大阪は神武天皇が東征して上陸し、ナガスネヒコ(トミヒコ)と戦ったとされるあたりです。

枚岡神社 お笑い神事

枚岡神社 お笑い神事





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[2019/02/12 14:15] 奈良県 | TB(0) | CM(0)

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